夢――心の芽


 気づくと私は、博士の研究室にいた。

 目下にはデスクで入力作業をしている博士の姿がある。

 そして、その背後に立つ私の手にはトレーに乗せられたティーセット。

 以前は初めてのことだったので自覚できていなかったが、今回は分かる。

 これは昔の記憶――夢だ。


「博士、お茶をお持ちしました」


 博士は作業の手を止めると、空中に表示されているディスプレイを消してから椅子ごと振り向いた。


「ありがとう。今日はアールグレイね」

「香りで分かったのですか?」

「それもあるけど、昨日まで棚に並べられている紅茶を順に入れてくれているから」


 ティーセットをデスクに置き、ティーポットからカップに紅茶を注ぐ。


「何でも宜しいと仰ったので。もしお好みの味があったら教えて下さい」

「紅茶なら何でも好きよ。でもランダム性は欲しいかも。なので明日から貴女の気分で選んで」

「それは私には難しいかと」


 本来アンドロイドは人の命令やプログラムに準じて行動するものだ。そこに自由意志はなく、人のように好き嫌いをしたり、環境や日によって気分が変わることもない。

 なので気分で紅茶を選べというのは、アンドロイドにとっては無理難題――無茶振りというものだった。


「貴女なら出来るわ」


 しかし博士はアンドロイドの気も知らず、なんてことのないようにそう言った。

 制作者にそのように言われてしまっては、こちらとしても反論しようがない。


「――努力します。ところで博士は何のお仕事をされているのですか?」


 ティーカップを手にした博士が、興味深げな視線を向けてきた。


「その質問はどうしてしようと思ったの?」


 そう口にした博士の顔がリンのものと重なる。

 博士がこれから幾度となく口にすることになるこの質問を、リンは自然と覚えたのだ。


「私に与えられた使命はリンの管理、面倒を見ることです」

「えぇ」

「なので育児を滞りなく行なうために、子育ての資料を収集していました。その中で、子は親の職業に興味を持つと記されてるものが何件かありました。なのでリンに母親の仕事について聞かれたときの対処用にと質問しました」

「なるほどね」


 博士は納得したように頷くと、カップの紅茶を一口含んだ。


「仕事と言われると、今は何もしていないわ」

「ですが毎日、研究室には来られていますし、何かしらをされているように見受けられます」

「これは汚染風が動物や植物などの生態系に影響を与えない原因を調べているの」


 博士が空中をタッチすると、非表示になっていた複数のディスプレイが姿を現わした。

 そこには無数の文字列が並ぶ他に、植物や動物などの画像、そして画像に載っている生物のDNAであろう二重らせんと記号が表示されている。

 私にはそれらを完全に理解するほどの専門的な知識は搭載されていない。それでもディスプレイに映し出された要素だけでも、博士が専門である遺伝学の観点から調査を行なっていることだけは分かった。


「それを仕事、研究というのでは」

「いいえ、趣味よ」

「趣味、ですか」


 意外な回答に、自然と言葉を反復してしまった私を見て、博士はくすりと笑った。

 ……その表情がリンによく似ていると、今だからこそ気づく。


「今の時代の研究ってね、簡単に言ってしまえば人類に役立つものを、発見、応用、改良、実用することを言うの。だから都市では人類に役立たないものは研究とは呼ばれない」

「博士のなさっていることも、人類に役立つ可能性があります」


 種の設計図である遺伝子は人間だけでなく動物や植物にも存在しており、その大部分が人間と類似している。だからもし博士により生態系が汚染風の影響を受けない原因が解明され、それが遺伝子的な問題であるのならば、人間が汚染風を毒とする原因や克服する足がかりになるのは間違いない筈だ。

 そしてそのことは博士も気づいていないわけがない。

 案の定、博士は「そうね」と肯定をした。だがすぐに伏し目がちに微笑むと続けて言った。


「でも、私にはそのつもりがないから。だから趣味なのよ」


 その言葉は人類が抱えている問題――種の存続に興味が無いと言っているも同然だった。

 生物は生まれながらにして種を保存する本能、種族保存本能を持つという。己が種族に危機が訪れれば、何としてでも存続させようと考えるのが生物としての本来の在り方だ。

 だが人間は動物とは違い多種多様な生きものだ。中には本能に従わないイレギュラーな存在が生まれることもある。おそらく博士もそれに当てはまるのだろう、と当時の私は納得していた。

 ――だが、今は違う。

 心を得た影響なのか、私は博士の言葉に違和感を覚えた。


 そもそも人類の存続に興味がない博士が何故、自分の遺伝子を残そうとしたのか?

 何故、リンという子孫を産みだしたのか?


 今さらそんな疑問を抱いたところで仕方がないのに。

 たとえそれを知ったところで何かが変わるわけでもないのに。

 それなのにどうしてだろうか、私は、その答えを得なければならないという思いに駆られた――。


「では私も、趣味の産物、ということになるのでしょうか」


 ――だとしても、どうすることもできない。

 その答えを持っている博士はもういないのだから。

 ここが記憶の中である以上、ただのアンドロイドに過ぎなかった当時の私が、今の私の疑問を口にすることは出来ないのだから。


「そうね。がっかりした?」

「いいえ」

「そう? 少し残念そうに見えるけれど」

「それは博士の勝手な思い込みです」

「あら、手厳しい」


 博士は笑みを漏らすと、手元のカップに視線を移した。そして紅茶を飲もうとカップの取っ手を掴んだものの、そのカップは一向に持ち上がらない。博士の顔を見ると、彼女は目を細めていた。まるで紅茶の水面に出来た揺らぎから、何かを見ているかのように。


「でもねケイ」


 博士は顔を上げてこちらを見上げた。


「少なくともエンは真剣だったわ。周囲から酔狂やら道楽やら陰口を叩かれても、貴女を生み出すことに生涯をかけた。そしてエンの意思を継いで貴女を完成させたのは、彼女から頼まれたからじゃない。紛れもなく私の意思よ。貴女は私たちに望まれて生まれてきたの。それだけは覚えておいて」


 望まれて生まれてきた――それはアンドロイドに対して使うにはあまりにも人間味に溢れる、愛情に満ちた言葉だった。

 このようなとき、どう返すのが最適解なのかいくら演算しても導き出せなかったからだ。

 それは今思えば、戸惑いの感情に似ていたように思う。まだ心が無い私が博士の言葉に戸惑いを覚えていたのだ。

 博士は何も言わない私に微笑みかけると、そのまま培養器に目を向けた。培養器の中の細胞――リンは以前より少し大きくなっている。


「今では貴女と、りんの成長を見るのが私の楽しみよ」


 リンは人間なので時が来れば培養器から出され、更に成長することだろう。

 しかし私はアンドロイドだ。生まれた時から外見も内面も成長することはない。


「アンドロイドの私に成長という単語を使用するのは適切ではありません」


 そう口にしてから、先ほどもこう返せばよかったのではと当時の私は遅くながらに思った。


「適切よ。だって貴女は特別だもの。エンが生みだした、世界で唯一のアンドロイドなのだから」


 自分が従来のアンドロイドと構造が異なることは知っていた。増産型アンドロイドの型番を検索した際にスペックも参照していたからだ。けれどそれは機械部分が従来のアンドロイドより極端に少なく、そして疑似プログラムが搭載されていないぐらいの認識だった。


「何をもって、私は特別なのですか」

「エンは貴女に種を仕込んだの」

「種」

「心というプログラムコードを」

「でしたら、それは失敗しています」


 私は正直にそう申告した。この発言により自分が処分される可能性があることは理解していたが、それは問題ではなかった。心を持たない故に自己がなく、死の概念もないアンドロイドには、自分の命よりも制作者が想定した通りに稼働してないことのほうが問題だと感じていたからだ。失敗を早期に制作者に伝えるのは当然の義務だと思っていた。


「いいえ」


 けれど博士は軽く首を振った。

 心が無いと当人がそう申告しているのに、それは違うと即座に否定した。

 博士は席を立つと、私の頬に触れてきた。夢だというのに、その手から不思議と温もりを感じる。

 彼女は私に微笑みかけると言った。


「私には、芽が見えるわ」


 リンと同じ、青い瞳に確信に満ちた色を湛えて――。



 そこで意識が覚醒する。

 アラームはまだ、鳴っていなかった……。



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