彼女の奇跡


 森の小道を歩いて丁度二十分。

 私たちは森が円形にくり抜かれたように作られた自然の広場に辿り着いた。

 ここはリンの母親である博士が好きだった場所だ。晴れて汚染濃度が最低の日には、博士はリンを連れてここにピクニックに来ていた。そんな天気の日は滅多にないため、幼少のリンはそのピクニックを何よりも楽しみにしていた。


「あ」


 広場に入るとリンは嬉しそうに声を上げた。そして手を離して小走りに走り出す。向かう先は広場の中心、大きな切り株だ。そこには遠目でも兎やリスなどの小動物が集まっているのが見える。

 小動物達はリンの姿に気づくと、切り株から降りて彼女の足下に集まってきた。


「みんな元気そうでよかった」


 リンは足下の小動物達と触れあい、やがて大きな切り株に座った。すると、即座に一匹の兎がリンの膝に飛び乗ってくる。それはリンに一番懐いている灰色の兎だった。彼女が切り株に座ると、必ず膝を占領しにやってくる。そのいつも通りの行動にリンは思わずとでもいうように笑みを漏らすと、灰色の兎の頭を撫でた。


「そんなにここが好きなの?」


 灰色の兎は鼻をひくつかせながら一度リンを見上げると、その場に座り込み耳を下げて目をつぶった。それはまるでリンの手を受け入れる体制を取るかのようだった。リンもそのことに気づいてか再度、笑みを漏らすと、要求に応えるべく兎の丸まった身体を撫で始めた。

 私はそれをリンから離れすぎず、けれど近づきすぎない程度の距離で見守っていた。わざわざそうしているのは、私が近づくと逃げる動物がいるからだった。

 本来、野生の動物は総じて警戒心が強いものだ。

 ここの動物達も私に対してはそれなりの警戒心を見せる。しかしリンに対しては最初から警戒心が無いに等しい。それはおそらく動物に好かれていた博士にリンがよく似ているのが理由なのだろう――……そう、今までは思っていたのだが。

 私は広場を囲うように生える、木々の根元に目を向けた。

 そこには警戒して隠れている小動物の姿が、ちらほらと見受けられる。

 動物は人よりも感覚が研ぎ澄まされていると言われている。……だから、分かるものには分かるのだろう。


「でもほんと不思議よね。人にだけ害があるなんて」


 リンが言っているのは汚染風のことについてだ。

 汚染風は人間にだけ害を及ぼし、自然や動物には害は無い――そのようにリンは認識しているが、それは正確ではない。

 実際は人と、人が作り出したものに対して害があるのだ。

 汚染風が人体に与える影響は大きく分けて二つある。その一つが寿命の減少だ。

 人は汚染風にあたると単純に寿命を縮めることになる。汚染風が観測出来なかった昔、人間の突然死が増えたのは正にこれが原因だった。

 それと同じく機械もアンドロイドも汚染風にあたれば不具合が生じ最終的には機能停止してしまう。

 現時点での例外は〈太陽の一族ニベルファルン〉が設計したドーム都市の防壁と、その技術によって作られているらしい私たちが住む地下シェルターと周辺の施設、そして新型アンドロイドぐらいだ。

 ドーム都市の防壁は完成から百年たった今でも問題なく機能しているらしい。だがその設計図はとうの昔に失われており、太陽の一族が滅んだ今、二度と同じものは作れないとされている。

 新型アンドロイドは太陽の一族最後の人間が設計したものだ。世界初の汚染風に完全耐性があるアンドロイドで、私も構造は異なるが一応その新型に分類されている。


「私もケイみたいに平気だったら、この子たちとも毎日会えるのにな」


 そう言って兎を撫でていたリンだったが、やがて思い付いたようにこちらを見上げた。


「いっそのこと、外で暮らそうかしら」


 それは冗談とも本気とも受け取れる口調だった。

 リンならどちらの意味合いでも言いそうだからだろう。

 しかしたとえ冗談だとしても本気だとしても、私の言うことは決まっていた。


「駄目です」

「どうして?」

「寿命が縮まります」

「それはケイが困ることなの?」

「困ります」

「どうして困るの?」

「博士に、与えられた使命に反するからです」


 欲しかった言葉ではなかったのだろう。リンは目尻を下げて寂しげに微笑むと、視線を落とし膝の兎を見た。


「私の生活と健康の管理だよね」

「そうです。リンが然るべき寿命まで生きられるよう、生活と健康と安全の管理をするのが私に与えられた使命です。だというのに貴女は、私が原因で本来の寿命を縮めてしまった」


 ……そう、リンは私の所為で寿命を縮めてしまった。


 あれは、リンが十七の時だった。

 シェルター内の通信機器に見たことがないエラーコードが表示された日、私は外の電波塔施設にその原因を調べに出ていた。

 もちろん外出することはリンにも伝えていた。

 そのとき『いつ戻れるの?』と訊かれたので『夜までには戻ります』と返した。たとえ夜までにエラーの原因が判明しなくとも、解決しなくとも、一度はシェルターに戻るつもりだったのでそう答えた。それはリンのためというよりは、博士に管理を任されているリンの側を長く離れるわけにはいかないという理由だった。

 エラーの原因は施設のマニュアルを確認してすぐに判明した。

 それは故障などではなく、五十年に一度のメンテナンスとシステム再起動日だった。

 私はマニュアルに沿ってメンテナンスを済まし、再起動を行なった。そして通信機器が問題無く稼働したのを確認してからシェルターに戻ろうとした――が、外は急激な天候悪化により、嵐のような汚染風が吹き荒れていた。

 私の身体は汚染風に対して完全耐性があった。しかしだからといって嵐の中を歩くことは賢い選択ではなかった。なので仕方なく汚染風が収まるのを施設で待つことにした。

 リンには連絡をしなかった。

 そもそも彼女は通信機器の使い方を知らないので、元より連絡しようがなかった。

 最新の気象予報では、この嵐は夕方から翌朝まで続くと出ていた。リンを朝まで一人にするのは気がかりではあったが念のため夕食の用意も済ましてきたし、何よりもう彼女は幼子ではない。だから少しくらい私がいなくても問題は無いだろうと思っていた。

 翌朝になって予報通り嵐は収まった。

 私は施設を出てシェルターへと向かった。外は嵐後ということもあり霧が深く、汚染度が高くなっていた。

 十分ほど早足で歩いていると、霧の中にシェルターの入口がぼんやりと浮かんできた。

 その光景に私は違和感を覚えた。シェルターの影の側に濃い影があったからだ。

 私が近づくとその影はこちらに気づいたかのように動いた。

 それが何か理解した途端、思わず私は息を飲んでいた。


『ケイ……!』


 リンだった。彼女は私に駆け寄ると抱きついてきた。


『……よかった……帰ってきてくれて』

『何故、外に出たのですか。今日は汚染濃度が高いのです。入口の数値計にも表示されていたでしょう』

『だって……』


 リンは抱きついたまま私の肩に顔を埋めると、それ以上、何も言わなかった。

 私にはリンの行動が理解できなかった。

 汚染濃度が高い日に外に出ればどうなるのかリンが知らない筈がない。

 それなのに何故、彼女は外に出てしまったのだろうか。

 中で待っていれば安全だというのに何故、危険を冒してまで外で私を待っていたのだろうか。

 たかがアンドロイドである私の帰りを何故、己の寿命を使ってまで待っていてくれたのだろうか。

 私には……理解できない。

 私はリンを連れて急いでシェルターへと入った。

 そして嫌がる彼女を説得し検査をした。

 結果は低度汚染。除染はもう、不可能な状態だった。


「あれはケイを信じて大人しく待っていなかった私が悪いの。それに数年縮まっただけでしょう? 元々寿命が短いのだし、そんなに気にしなくていいのに」


 自身の短命を、大した事柄でもないかのようにリンは言った。

 ……そう、リンはもともと長くは生きられない身体だった。

 先天的な短命――それは生まれる前から分かっていたことだと博士は言っていた。


「リンは、死ぬのが怖くないのですか」


 兎を優しく撫でていたリンの手がピタリと止まった。


「人は感情を持った生き物です。そして死は、人がもっとも恐れるべきものと聞きます。貴女は怖くないのですか?」

「――怖いよ」


 そう言ったリンの声は、まるで心情がそのまま表われたかのようにか細く、悲しいものだった。

 私は何も返せなかった。……何故、言葉が出なかったのか分からない。  

 少しの沈黙の後、リンは「でも」と呟いて私を見上げた。


「一人じゃないから」


 黙っている私にリンは微笑みかけると、兎を地面に置いて立ち上がった。


「その時まで、ケイは一緒にいてくれるでしょう?」

「はい。それが博士から――」

「与えられた使命よね」

「リン。言葉をかぶせるのは、あまり褒められたことではありません」


 ちょっとした意地悪よ、と言ってリンは笑うと私の右手を取った。そしてそれを両手で包みこむと、青い瞳で見据えるように私を見た。


「――ケイ、私は信じてる。いつかきっと貴女に心が宿ると」


 言葉に込められた、ひたむきな想い。

 何度も聞いた、昔から変わることのない、彼女が望む奇跡――。


「……何度も言いますが、世界の何処にもアンドロイドに心が宿ったという事例は出ていません」

「それなら貴女が初めての――ごほっ――ごほ……」


 言葉の途中でリンが苦しそうに咳き込みだした。

 彼女の手から伝わる体温が平常時より下がっている。

 私はリンを抱きよせると背中をさすった。


「リン。冷えてきました。汚染風ではないとはいえ、冷気は貴女には毒です。帰りましょう」

「……えぇ」


 素直に従ったリンを支えながら、私たちは帰路についた。


 ――……私は知っている。

 彼女は確かに奇跡というものを信じていた。

 奇跡は本当に起こせるものだと信じて疑っていなかった。

 けれどリンが信じている奇跡は、気象予報を覆すようなものではなかった。

 世界の現状を、人類の未来を変えるものでもなかった。


 ただ私に、心が宿ると、信じていた。


 彼女の奇跡は、私にだけ向いていた。 


 幼いころからずっと、私にだけ――。


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