大切な人2


 やがて彼女は思い出から戻るように瞼を閉じると、こちらを見て言った。


「それで、私はあと何年生きられるの?」


 努めて明るい声を出しているように、私には感じられた。


「……おそらく、二、三年かと」

「そっか」

「すみません」

「? 何が?」

「私の所為でリンが寿命を縮めたからです。あれがなければあと四、五年、貴女は長く生きることができた」


 そこで彼女は思わずという様に、誤魔化しではない本当の笑いを漏らした。


「もう。何度も言っているでしょう? あれは勝手に外で待っていた私が悪いだけで、ケイの所為じゃないって」

「そうさせる状況を作ったのは私です」

「ケイって思いのほか、頑固よね」

「事実を言っているだけです。ですが疑問もあります」

「なに?」

「外で待っていた理由です」


 その疑問は、当時も今も気持ちが一致する部分だった。

 私が電波塔施設へと出かけたあの日、リンの側を長く離れることにより彼女に不安を感じさせたことについては、記憶と過ごす日々で理解することができた。

 けれどもそれにより彼女が寿命を縮める行動に出た理由については、いくら考えても未だに分からなかった。


「理由って、心配だったからだけど」

「それは理由にはなりません」

「どうして?」

「心配はシェルターの中でもできるからです。私が知りたいのは汚染風の危険性を知った上で貴女が外で待っていた理由です」


 リン型アンドロイドは私から視線を外して、何かを考える素振りを見せた。

 そして何かを思い至ったかのようにこちらを見ると言った。


「それは、お母さんがここに来た理由と一緒なんじゃないかな」


 私は不思議に思った。何故ここで博士の名前が出るのかと。


「博士と?」

「お母さん、お墓で一緒に眠ってる人に会いに来たんでしょう?」


 それは当時の私にも想定外の言葉だった。

 博士が都市生まれで科学者をしていたことはリンも知っている。子供の頃に問われて私が話したからだ。しかしエンのことは、博士と共に墓に埋まっている〈誰か〉ぐらいの認識しかない。二人を繋ぐもの――都市で博士がエンの助手をしていたことなど知らないのだ。

 リンが何故そのことを知っているのか――その理由はどう考えても一つしかなかった。


「博士に聞いていたのですか?」


 私の言葉に彼女はしてやったりとした表情で微笑んだ。

 そこで私は自分が鎌をかけられていたのだと気がついた。


「そう言うってことは正解だ」


 私は何も言えなかった。黙秘自体が認める行為になると分かっていても、適切な返答が思い付かなかった。

 口を閉じた私に、リン型アンドロイドは小首を傾げながら言った。


「口止めされてるの?」

「されてはいません。ただ、それが、先ほどの件と繋がりがあるように思えないだけです」

「あるよ。理由が一緒だって言ったでしょう?」

「それが分からないから聞いているのです」

「それならヒント。ケイ、人が命を省みない行動をする時ってどんな時だと思う?」


 人が命を省みない行動――それはつまり自己犠牲のことだろう。

 自己犠牲とは人が目的や他者のために自分を捧げる行為のことだ。有名なものではかつての神、星炎神しょうえんじんニベルファルンの恩恵を得るために生贄として命を捧げた女性達の記録がある。その理由は恩恵を失いかけて危機に瀕していた世界を救うためだった。

 もし博士がエンに世界を救わせるためにシェルターに赴いたのならこの理由は当てはまっただろう。しかし博士は世界の存亡になど興味がなかった。それはリンに関しても全く同じだ。

 ならば二人には違う目的があるということだ。 

 会うという行動の根底にある、自分の命よりも重要だと思える何かが――。


「分かりません」


 当時の私は早々に白旗を上げた。都市ネットワークから情報を引き出し演算もしなかった。

 それをしたところでリンの望む答えは導き出せないだろうと考えてのことだった。


「考えることを放棄するのは良くないなあ」

「アンドロイドには難題が過ぎます」 

「もう」


 仕方がないとでもいう風にリン型アンドロイドは苦笑すると、


「それはね」


 と言って私の正面に立った。

 そして私を見上げると、青い瞳に私を映して答えを口にした。


「大切な人のためよ」


 ――その言葉は、何も介すことなく私の中に直接入り込んできた。

 二度目だというのに、まるで初めて聞いたかのように私に気づきをもたらした。


 あぁ……そうか。なんて、簡単なことだったんだ。


 全てはそれだけだった。


 そのたった一つの想いだけで説明できることだった。


 博士が寿命を縮めてまでエンと共にいることを選び、私の姿をエンと同じにし、リンという二人の遺伝子を残したのは、博士にとってエンが大切な存在だったからだ。

 そして、それはリンも同じだった。

 私に心が宿ると信じてくれていたのも、シェルターに戻れなかった私を命を縮めると分かって外で待っていたのも、リンが私のこと大切に想ってくれていたからだ。

 だから最後に彼女は――……。


「そうなのですか」


 当時の私は、淡白にそう答えた。

 理解できないと思いながらも、これ以上リンを問い詰めたところで自分が納得できる答えを引き出すのは無理だろうと判断して。


「うん。そうなの」


 私の反応に彼女は寂しそうに笑った。その表情が、私の胸を強く締め付ける。


 リンは、私に気づいて欲しかったのだ。

 私を大切に想う気持ちを、幾度もこうして伝えようとしてくれていたのだ。

 けれど、最後の時までそれが届くことはなかった。

 私には彼女の想いを受け止める心がなかったから。

 心を持たない人形には、心を持つ人間を理解することはできなかったから。


 ……まるで同じだ、と私は思った。


 あの頃のリンは、今の私と同じだと。

 心を持った私の言葉は、記憶を埋め込んだだけの人形には響かない。

 返したい言葉があっても、口にしたところでリンに届くことはない。

 なぜならリンはもう――。


「――――」


 不意に目の奥が熱くなり、私は目もとに力を入れた。そうでもしないと出てしまいそうだった。行き場のない感情が、溢れ出てしまいそうだった。

 私は感情を押し殺し、言うべきことを口にする。


「今日は、どうされますか」


 けれどその声は、自分でも分かるぐらいに酷く震えていた。


「図書館に行く」


 そんな私を気にする様子もなくリン型アンドロイドは答える。入力する言葉さえ正確であれば、彼女の動作に支障はない。……私の抱いている感情など、記憶を再生するだけの人形には関係のないことだから。


「それなら、紅茶を入れてから私は行きます」

「うん」


 リン型アンドロイドは微笑んで頷くと、検査室の扉から出て行った。

 私は彼女を見送ると、そのまま閉じられた扉を見ていた。ダイニングキッチンに行って紅茶の用意をしなければと思うも、身体は一向に動かない。


 ……今日、私は大切なことに気がついた。


 リンの気持ちを、本当の意味で知ることが出来た。


 けれど……これが何になるのだろうか。

 私の心は、私に何をさせたいのだろうか。

 今さらこんなことに気づかせて、私にいったいどうしろというのだろうか。

 その想いを返したい相手は、もうどこにもいないというのに。


 リンはもう――死んでしまったというのに――……。


 気づけば、押しとどめていた感情が静かに目もとから溢れ出していた。


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