二人の母


 午後三時。今日はリンと二人、シェルター地下四階の自然エリアへと訪れていた。

 二百メートル四方あるこのエリアには、噴水やベンチ、小さな森に小川、そして走り回れるぐらいの芝生が内包されている。回りを囲む白い壁がなければ、外にいるのではと見間違うぐらいに自然豊かな場所だ。

 ここに来るのは随分と久しぶりのことになる。

 リンの母親が――博士が亡くなって以来だ。悪天候で長いこと外に出られない時には、ここで博士とリンと私の三人で室内ピクニックをしていた。

 博士が亡くなってからも何度かピクニックの提案をしたことがあるのだが、リンは絶対に首を縦に振らなかった。本を読んでいるほうがいいからという理由で。

 当時はそうなのかと素直に信じていたが、今ならそれが嘘だったことが分かる。

 辛かったのだ。ここに来たら母親と過ごしたことを思い出してしまうから。

 だから今日、リンがここに行きたいと言い出した時は、少し驚いた。

 だが、すぐに理解もできた。

 リンは本当の意味で、母親の死を受け入れられたのだ、と。


「昔のお母さん。初めてみた」


 空中に表示されたディスプレイを、私に寄りかかりながらリンが見ている。

 今、ディスプレイに映し出されているのは昔の博士だ。

 それを私達は噴水前のベンチに並んで座って見ていた。

 先ほどまでは三人で過ごした時の写真や映像を見て懐かしんでいたのだが、そうしていたら唐突にリンが、母親の昔の記録が残っているのなら見てみたいと言い出した。

 だから古いファイルを検索して、そして最初に出てきたのがこの映像だった。


「お母さん若いね、て言ったら怒られるかな」


 映像を見ながらリンが、ふふ、と笑う。

 映し出されている映像はファイル情報からすると博士が十六歳の時のものだ。まだここに来る前、都市で科学者をしていた時代のものになる。

 リンが生まれたのは博士が二十三の時だから、私はもちろん彼女も十代の博士を見るのは初めてだった。


「私と似てるかな?」


 リンがこちらを見上げる。私は目の前のリンと映像の博士、双方を見比べる。瞳の色は同じ青色だが、髪色と髪質は違っている。リンが銀色でウェーブ、博士が黒色でストレートだ。

 しかし、髪は違えど二人はよく似ていた。リンの体の外見年齢は二十歳で、この頃の博士とは四ほど差があるのだが、それが気にならないぐらいに造形が一致している。

 それは博士が大人びていたからなのか、リンが童顔なのかは分からない。

 人間の年齢と外見に関するデーターは不足している。


「よく似ています」


 そう答えると、リンは嬉しそうに微笑んだ。

 データーによれば子供が親と似ていると言われた場合、八割方、子供は喜ぶらしい。そしてその場合は、親の愛情を受けて育った子供に多いという。

 そのデーターに間違いはないだろうと思う。

 リンが博士に愛情を持って育てられたことは間違いないから。

 私はそれを知っている。この目でずっと二人の母子を見守ってきたのだから。

 実際に目の当たりにしているとデーターの信憑性が増すのだと、私は気づき感心した。


「でも、お母さん。何だか雰囲気違うね」


 視聴に戻ったリンが言った。私もディスプレイに目を向ける。

 映像の中の博士は椅子に座ってキーボードを打っている。おそらく仕事中なのだろう。そして時よりカメラの方を向いては、何か言いたそうな顔で眉を寄せていた。その表情には、私達の知っているいつも微笑んでいた博士の面影はない。


「そういえば、昔は可愛げがなかったと、博士が言っていました」


 そう、そしてこうも言っていた。

 自分でも随分と変わったと思うと。

 エンがあまりにも締まりがない人間だからほだされてしまったのね、と。


「へぇ、そうなんだ」


 母親の意外な一面が珍しいのだろう、リンは映像を興味深そうに見ている。

 それからカメラはしばらく仕事をしている博士を撮り続けていたが、やがて博士が椅子から立ち上がるとカメラに手を伸ばした。映像がぐるりと回転する。

 それからディスプレイに映し出されたのは、違う人物だった。

 赤い眼に、癖毛気味のショートな銀の髪、そして中性的で整った顔立ち。

 一見すると性別が見分けにくい女性――。


「この人が、私のもう一人のお母さん?」


 リンがこちらを向いて訊く。

 エンのことは先日、リンに全て話した。

 リンが博士とエンの子供であることも。

 そして、寿命が短かったのはエンの遺伝子が原因であることも。


「そうです」


 頷くとリンは「そう」と呟いてディスプレイに向いた。目を細めて微笑みながらエンを見ている。その顔がどういう心境の表われなのかまだ私には読み取ることができない。だが、それでも不思議と好意的なもののように感じられた。

 エンは博士にカメラを取られたのだろう、突然カメラを向けられて気恥ずかしそうに笑っている。何か話しているようだが生憎この映像の音声ファイルは破損しており、それを聞くことはできない。おそらく元々カメラのマイクが壊れていたのではないかと思う。そもそも、今では手に持つタイプのカメラ自体が珍しい。大分、旧式のもので撮ったのだろう。


「優しそうな人」


 リンが映像を眺めながら、ぽつりと零す。


「そうですね」


 私もそれには同意する。

 エンの造形は客観的に見ると彫刻に近い。顔のパーツだけを見れば、おそらく相手に冷たい印象を抱かせるような作りをしている。

 だけど、映像の中のエンからはそういう印象を受けない。それは彼女があまりにも締まりのない微笑みを浮かべているからだろう。


「ケイに少し似てるね」リンがこちらを見上げて言った。

「少し似てる、ではなく同じです。私はエンをモデルに作られましたから」

 と、前も伝えていたのだが。

「でも、同じでも違うよ? 心が違うとね、やっぱり違う人に見える」


 ……そうか。そうかもしれない。

 それは以前に自分でも感じたことだった。鏡に映った自分とエンを比べると、随分と受ける印象が異なると。


「でも、これで一つ謎が解けたな。私の髪って彼女譲りだったんだ」


 リンがそう言ったと同時に、また映像がぐるりと回転した。

 そして、ディスプレイに博士とエンが流れるように映し出される。

 おそらくもう一人、誰かがやってきてカメラを奪ったのだろう。カメラの高度が大分上がったことから、それは背の高い男性かもしれない。

 カメラは見下ろすように二人を映すと、二人から距離をとって手を伸ばした。大きな手がカメラに映る。やはり男性だ。その手は外から内へと動いている。

 撮ってやるからもっと近寄れ、と二人に言っているように見えた。

 エンは締まりのない微笑みを浮かべながら博士に近づく。博士はというとその場から動かないまま、横目でエンを見ている。

 二人が接触するぐらいに近寄ると、カメラから伸びていた手がピースを作った。エンはそれに習うようにピースをするが博士は何もしない。


 それでもそんなエンを見る博士の顔には、苦笑に似たような小さな微笑みが浮かんでいた。


 そこで映像は終わった。

 私達はしばらく何も言わずディスプレイを見ていた。

 幸せそうな映像の余韻に浸るかのように。


「一つ、疑問に思うことがあります」


 温かい沈黙を破ったのは、私だった。


「なに?」リンがこちらを見上げる。

「何故、博士は私にエンの記憶を埋め込まなかったのでしょうか」


 博士にとってエンは大切な人だったはずだ。

 私の姿をエンと同じにし、二人の遺伝子でリンを生みだしたぐらいに。

 それなのに博士は私にエンの記憶を埋め込まなかった。

 私に記憶を埋め込めば、エンが戻ってくる可能性があったというのにそれをしなかった。

 私にはその理由がどうしても分からなかった。


「私はお母さんの気持ち分かるな」


 リンはディスプレイをタッチした。映像がまた初めから再生され始める。

 ディスプレイに再び現れた母親を見ながら彼女は言った。


「だって、大切な人を置いていきたくはないもの」


 その言葉で、私は人間だった頃のリンの最後を思い出した。

 あの時のリンも、私を置いていくことに心を痛めて泣いていた。


「ですが、博士が亡くなっても私がエンとなって戻ってくれば、博士を蘇らせることができたはずです」


 奇跡さえ起これば、奇跡さえ起こせれば、また二人は一緒になれたのだ。

 私と、リンのように。


「それでもよ。それまでは一人になっちゃうじゃない」

「一人」


 不意に私は胸が締め付けられた。リンがいなかったあの七年のことが脳裏によぎったからだ。


「たとえ奇跡が起こせるとしても、その間、寂しがりやの彼女を一人にさせたくないとお母さんは思ったんじゃないかな」


 ……確かに、一人でいるのは辛いものだ。

 いや、実際には記憶を埋め込まれた心が無いアンドロイドと一緒なのだが、それでもやはり過去を繰り返す日々は一人でいるのと同じだと思う。

 私ももし――考えたくもないがもしまたリンがいなくなり、もう一度一人で長い時を待ち続けなければいけなくなったら今度は……機能停止を選ぶだろう。

 リンが戻ってくる可能性があると分かっていたとしてもだ。

 それほどまでにあの七年は、あの孤独は、私にとって辛いものだった。


「それなら、私にも理解できます」


 そう言うと、リンが頬に触れてきた。


「どうやら私も貴女も、彼女の寂しがりやの部分が似ちゃったみたいね」


 彼女がそう言うということは、私は今そんな顔をしていたのだろう。


「ですね」


 苦笑して答えると、リンが、ふふっ、と笑いを漏らした。

 私が素直にそれを認めたからだ。

 以前の私なら『私はエンの外見を模して作られただけであり、リンと違ってエンとは直接的な血の繋がりはありません』とか空気を読まない抗弁で否定しただろうから。

 そのことは、本当に不思議だと自分でも思う。

 昔は制作者としてしか認識していなかった二人を、私は今確かに親のように思っている。

 博士とエンに、見えない繋がりのようなものを感じている。

 それでも以前は二人に恨む気持ちを持っていた。

 何故、私を生み出したのかと。

 こんな思いをするぐらいなら、生まれてこなければよかったと。

 一人になった時に、そう二人を責めて嘆いた。

 だけど、今は違う。

 今ならはっきりと言える。

 私を生みだしてくれてありがとう、と。

 二人のお陰で私は今こうして、彼女と一緒にいられると――。


「明日」


 自然と零れた言葉に、映像を見ていたリンがこちらを見上げた。


「お墓参りに行きましょう。博士と、エンの」


 私の提案にリンは目を見開くと、笑顔を浮かべて頷いた。


「えぇ。そうしましょう。二人もきっと喜ぶわ」


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奇跡を手放したこの世界で 連星れん @renbosiren

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