最後の奇跡2


 薄暗い森をランタンの明かりを頼りに歩いていると、やがて先にぼんやりと光が見えてきた。

 光は近づくにつれ大きく鮮明になる。薄闇に慣れていた私は思わず目を細めながら光の中に入った。

 目が明るさに慣れると、視界にはいつもの広場が出迎えるように現われた。

 広場は上が開けているため、空から青白い月明かりを一杯に浴びていて明るい。

 私がランタンの電源を切るために繋いでいた手を離すと、リンは吸い込まれるように広場の中心へと歩いて行った。電源を切ってから彼女の後を追う。

 リンは切り株の手前で立ち止ると地面を見た。


「何だか不思議よね」


 その視線の先には、リンが人間だったころの身体が埋まっている。


「私が今ここにいるなんて」


 本当に、と私も思う。

 今朝、再会したあと、リンはこれまでのことを話してくれた。

 最後の時、深い眠りに落ちるように意識が遠のいたあと、リンは闇の中にいた。

 そこは上下の感覚もなく、自己というものは存在せず、時間という概念も無かった。

 だから何かを感じることもなく、どれくらい時が経ったのかも分からない。

 そんな無のような空間に漂いながら、リンは一つの映像を見せられていた。

 私とリン型アンドロイドが繰り返す日々だ。

 彼女はそれを、まるで観測者にでもなったかのように俯瞰から眺めていた。

 そうしている内に、いつからか徐々に記憶との距離が縮まるのを感じた。それに伴い、自己と時間の流れが認識できるようになり、そしてついには今朝のあの瞬間、リンの意識は目覚めたのだった。


「人は死んだら魂は星炎神しょうえんじんの元に還り、新たな命になるって言われているけれど、もしかしたら私の魂は還らず記憶とともにメモリの中にでもあったのかな」


 リンは地面から視線を上げると私を見た。


「もしかして、それを踏まえてのこの身体なの?」


 博士が作ったリンの身体は、私と全くの同型だ。

 つまりエンが設計した、心を持てるアンドロイドの姉妹型ということになる。

 エンが残した設計書によると、この身体は人の記憶を埋め込んだ状態で心が発現した場合、記憶と同じ人間が生まれる可能性があるとあった。

 そして記憶を埋め込まなかった場合は、新たな生命が生まれるとも。

 このエンの設計書はリンの身体が作られた研究室に残されていたものを、つい先ほど見つけて確認したものだ。おそらくリンが蘇る可能性があることを伝えたくて博士が残してくれていたのだろう。けれどあの時の私にはそれを確認する心の余裕がなかった。そしてリン型アンドロイドを起動させたあとも、あの研究室には一度も足を踏み入れていなかった。なので今日までその存在に気づくことが出来なかった。


「設計書にはメモリが魂を保存できるかどうかの記述は見当たりませんでしたが、身体に関してはそうです」

「すごいね。それって簡単に言えば、死んだ人間を生き返らせることができる技術でしょう?」

「そう簡単にはいかないようです」


 私はエンの設計書の後述を思い出す。


『――心とは脳の機能が生みだしたもの、脳が感覚統合した結果や脳の創発現象、そして魂という物理学の法則外なものまで複数の説があるが、それはどれも正解であり不正解だと私は考える。

 なぜならそのどれか一つが欠けても心は生まれないだろうし、これらが全て揃っていても心は生まれないからだ。

 それなのに何故、人には生まれながらに心が宿るのか? その理由は簡単だ。

 奇跡だ。

 結局の所、心とは奇跡の産物なのだ。

 人の脳から発現し、身体に宿った、人が意図せず起こせる唯一の奇跡。

 だから人と同じ構造の人工脳を持つアンドロイドに心を宿すには、奇跡が必要なのだ――』


「心を発現させるには、奇跡が必要なようですから」

「そうなの?」

「はい」

「意外」

「意外、ですか」

「うん。お母さん、あまりそういうの好きじゃないから」

「気づいてたんですか?」

「昔を思い出した時にね。そういえばお母さん、本を読んでくれているとき難しい顔をしてることがあったなって」

「科学者としては、超常現象的なものは認められないものなのです」

「それは分かる気がする。だから意外だなって」

「そのことについてはまた話しましょう」


 リンが不思議そうに首を傾げた。


「奇跡を起こそうとした科学者と、その奇跡を信じた科学者の話を」


 リンが寿命を克服した今なら、きっと博士も許してくれることだろう。


 それに彼女は知るべきだ。リンが人として生まれたのも、今こうして蘇ったのも、エンと博士、二人の人間の想いと奇跡の賜だということを。


 リンは訳がわからないという風に眉を寄せたが、すぐに何かに気づいたよう足下を見ると声を上げた。


「まだ起きてたんだ」


 彼女の足下には、いつの間にか小動物が集まってきていた。

 その中には今まで警戒して近寄らなかった動物や、いつもの灰色の兎の姿もある。

 今朝、私達が再会したあと、側にいたはずのこの兎は気づけば姿を消していた。折角リンが戻ってきたというのに、いつの間にか何処かへ行ってしまっていた。

 これまでリンがいるときは片時も側を離れることがなかったので、何かあったのだろうかと心配をしていたのだが、何事もなかったようで安心する。そしてふと思う。もしかしてこの兎は私達に気を使って姿を消していたのではないかと。

 考えすぎかもしれないが、もしそうだとしたらアンドロイドより気遣いができる兎だと私は感心した。

 リンは兎を抱きかかえると切り株に座った。そしていつものように兎を撫で始める。


「この身体の中から見てたから久しぶりではないんだろうけど、でもやっぱり久しぶりな感じがする」

「おそらく、その兎もそう思っています」


 兎はリンに撫でられながら気持ちよさそうに目を細めていた。その表情はいつもと変わらないようでいて、不思議と嬉しそうに見える。


「私だって分かってくれてるのかな」

「そうだと思います。他にも貴女が目覚める前には警戒して近づかないものもいましたから」

「何だか素敵ね」

「素敵ですか」

「うん。それって私を心で見てくれているってことでしょう? 素敵じゃない?」

「――確かに、そうですね」


 私が素直に同意すると、何故かリンは嬉しそうに笑った。


「どうかしましたか?」

「以前のケイなら、理解しかねます、て言ってただろうなあと思って」

「そして、その度に貴女は言いましたね。いつか、私にも分かるときが来ると」

「私の言った通りになったでしょう?」

「――はい。本当に」


 リンは得意げに微笑みを浮かべると、周囲を軽く見渡した。


「でも、確認できない子もいるね。寝てるのかな」

「そうだと思います。ここに来る動物の殆どは夜行性ではありませんから。あと亡くなったものもいるのかもしれません」

「亡くなった」


 リンはその言葉が理解できないような不可解そうな顔をすると、すぐに何かを思い出したかのようにこちらを見上げた。


「そういえば私が死んで何年経ったの?」


 ――そうか、無意識の中にいたリンは知らないのだ。現実でどれくらいの時が経っているのか。


「七年です」


 私がそれを伝えた途端、リンは大きく目を見開いた。そして一度兎に視線を落とすと、再度こちらを見て切り株を軽く叩いた。どうやら私に座るように促しているらしい。

 私は動物達に気をつけながら切り株に近づくと、ゆっくりと腰を下ろした。すると切り株に置いた私の手に、リンが手を重ねてくる。

 私が少しばかり驚いてリンを見ると、彼女は気遣うような優しい微笑みを浮かべて言った。


「寂しかった?」


 問われてふいに目の奥が熱くなった。

 脳裏にリンが死んでからの記憶が一気に思い起こされる。

 今日までの七年、リンの記憶との日々は、何気ない毎日がどんなに幸せで尊いものかを教えてくれた。

 リンの気持ちと、自分の気持に気づかせてくれた。

 それは確かに私が知らなければならない、大切なことだった。

 けれど、だからといってあの七年が良い思い出になるわけではない。

 たとえ今ここにリンがいるとしても、リンに二度と会えないと思いながら戻れない過去を繰り返す日々に抱いた全ての感情を無かったことにはできない。


「――はい」


 この七年で抱いた感情を吐き出したい気持ちはあった。

 けれど今は我慢した。その気持ちを目から溢れさせてしまわないよう耐えた。

 リンにそれを知られたくなかったからではない。

 折角、再会できたのに、泣き顔ばかりを見せたくはなかった。


「今なら、貴女の好きな本の騎士の気持ちが分かります。とは言っても、私は経ったの七年ですが」

「ううん。凄いよ。私なら一日も耐えられない」


 伏し目がちにリンはそう言うと、僅かに眉を潜めた。すぐに私が彼女の元に戻れなかったあの日のことを思い出しているのだと分かった。私はリンのそんな顔が見ていられなくて、彼女の頬に手を添えた。

 驚くように視線を上げたリンに私は言った。


「もう二度と、貴女を置いていくようなことはしません」


 私の誓いをリンは微笑んで受け止めると、添えた手に自分の手を重ねて言った。


「うん。私も」


 それからリンは兎を愛でることに戻った。

 私に寄りかかりながら、穏やかな微笑みを浮かべて。

 私はその様子を黙って見守っていた。

 広場には私達の声の代わりに、虫や鳥たちの声だけが鳴り響いている。

 その美しい夜の音色を、私達はただ静かに聞き入っていた。

 言葉は必要なかった。肩越しで感じられるお互いの存在だけが、今の私たちの全てだった。

 リンが隣にいる。それだけで涙が出てしまいそうになるぐらいに穏やかで幸せな時間だった。

 しばらくそうしていると、不意にリン声をあげた。


「ケイ、見て……!」


 驚いてリンを見ると、彼女は笑顔で空を仰いでいた。私も釣られるように空を見上げる。

 円形状に開けた広場の上には、深い青色の夜空が広がっていた。

 そしてその夜空の中を、いくつもの星が落ちるように流れていく。

 この光景自体は前回の流星群の映像をリンと一緒に見たので知っている――知っているのに、今、目の前で繰り広げられている光景は、映像で見たそれとは全く別物のように映った。

 私は軌跡を描いて流れていく星を見ながら、気分が高ぶるのを感じた。感動、しているのだと分かった。


「この目で見ないと意味が無い、本当ですね」


 以前リンが言っていたことを口にすると、リンは誇らしげな笑顔を向けてきた。


「でしょう? 私の言うことに間違いはないんだから」

「えぇ、全く」

「これだけ流れていたら、お願いし放題ね」

「何か願いますか?」

「そうね。ケイは?」

「私の願いは叶いましたから」

「それならこれから先、望むことはない?」


 これから先に望むこと。

 過去に縋り、私が目を背け続けてきた未来のこと。

 昨日までの私はそれを訊かれたとしても、何も思い浮かべることができなかっただろう。

 だが今は違う。

 今なら見れる。

 思い浮かべられる。


「リンと共にいることです」


 貴女と一緒なら。

 リンは驚いた表情をしたあと、嬉しそうにはにかむと言った。


「私と一緒ね!」


 ――遠い未来、人類は滅ぶだろう。

 けれど、それは私たちには関係のないことだ。

 人がいなくなっても、私たちの世界は続いていく。


 人が奇跡を手放した世界で生まれた、最後の奇跡。


 私と彼女と、永遠に――――。


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