最後の奇跡1
シェルター入口の扉が閉まると、辺りは闇に包まれた。
その闇を月明かりが木々に遮られながらも、徐々に森の輪郭を浮かび上がらせる。
光と影のコントラストにより完成した風景を見て、私はいつにも増して外が明るいことに気がついた。
それは普通に考えれば雲が月を隠していないことにより光源が強いのが原因なのだが、どうもそれだけではない。月が出る夜は彼女の墓参りに行くときにも何度か体験している。しかし今夜はそれ以上に明るく感じている。
感じる、ということはおそらく心情的なものが作用しているのだろう。
そういえば以前、彼女がこんなことを言っていた。
人は気持ち次第で見る世界が変わると。
私は納得する。彼女の言うことは正しかった。
世界は本当に、心情一つで変わるものだった――。
しかしそれはあくまでも私の主観によるものだ。月が出ているとはいえ夜なので暗いことには変わりない。自分だけならまだしも、彼女に暗い夜道を歩かせるわけにはいかない。
私は手に持っていたランタンを掲げて電源を入れた。すぐにガラスに囲われた中心にホログラムの炎が灯る。その炎はゆらゆらと揺らめきながら温かい光で足下を照らした。
「行きましょう」
私は横に手を差し出す。
「うん」
隣にいた彼女は――リンは微笑んで頷くと、私の手を取った。
そしていつものように指を絡めて握ってきたので、私も握り返す。繋がった手からは彼女の体温が伝わってくる。それは今までと変わらないはずなのに、全く違うもののように感じた。
その本物の彼女の温もりは、手から私の中に溶けるように入り込んでくると胸を熱くさせた。
……あぁ本当だ、と私は思った。
深く繋がるから心が温かくなる――これもリンが言っていた通りだ。
心が無かった頃には理解できなかったことを、今こうして彼女の隣で実感できるのは、本当に幸せだ。
リンが歩き出したので、私も歩幅を合わせて付いていく。
「汚染濃度が高いのに外に出られるなんて夢みたい」
薄闇から聞こえてきたリンの声は弾んでいた。
「これからはいつでも外に出られるのね」
「今日は特別です。いくら耐性があっても汚染濃度が高い日に無闇に外に出ることはお勧めできません」
そう口にした途端、後悔が襲ってきた。
よりにもよって今日という日に水をさすようなことを言わなくてもいいのにと。
リンが喜んでいるのだから同調してあげればいいのにと。
どうもこういう所は以前と何も変わってはいないように思う。たとえ心を持ったとしても、アンドロイドとしての合理的な思考は綺麗さっぱりと消えるものではないらしい。
そんな自分に少し嫌気がさしていると、意外にもリンがくすくすと笑った。
「ケイは相変わらずね」
「……残念ながらそう簡単に変われるものではないようです」
「残念ではないと思うけど」
「そうでしょうか」
「うん。だってそれがケイじゃない」
「それが私」
「そう。それに駄目なことは止めてくれないと、私、好き放題しちゃうわ」
そんなことはと言いかけて、そういえばと思い出す。
子供の頃のリンはなかなかの無茶を考えていたことを。
電波塔に登りたいとか、そこから鳥みたいに空を飛びたいとか、広場で動物達と暮らしたいとか、世界の裏側まで穴を掘りたいとか。
幸いだったのはリンはまずやりたいことを宣言する素直さがあったことだった。だからそういうときは博士と私でやめるよう説得していたが、止めなければリンは迷わず実行していたことだろう。
そう考えると私が歯止めになるぐらいが丁度いいのかもしれない。……まあ今は流石に子供の時のような無茶は考えないと思うが。
「確かに、そうですね」
「ね」
リンは笑うと続けて言った。
「でもね、ケイ。変わったところもあるよ」
心を得たことだろうか、と考えているとリンが覗きこむように私を見上げて言った。
「笑うようになった」
言われて気づく。自分の口端が上がっていることに。
「らしく、ないでしょうか」
「ううん。素敵よ」
リンはそう言うと、薄闇の中に満面の笑顔を浮かべた。
これほどまでに心の底から笑っているリンを見るのは子供のとき以来だ。
そんな彼女を見て、私も頬も緩む。
心を持った私に対するリンの反応が見られたのが嘘みたいで、それが本当に嬉しくて。
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