たった一つの願い
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「見に行きたい」
気象予報を伝えた途端、朝食中のリン型アンドロイドが目を輝かせて言った。
今夜は流星群が接近するという予報が出た。以前は生前のリンが十七歳の時に起こったので十一年振り、七週目にして初めての記憶再生だ。
再生条件は確認したところで解読はできないだろう。あれから定期的に記憶コードの観測を行なっているが、相変わらず書き換えは続いている。
だが予測するに《夜に流星群が来る日》のみだろう。
「駄目です」
「どうして? 天気は晴れなのでしょう?」
「だとしても、夜には濃度が上がる予報です」
当時の予報は日中が最低濃度、夜が中濃度まで上昇だった。リンは低度汚染をしていたので日中は外に出られたが夜は無理だった。
しかし今日は当時とは違い日中が低濃度、夜が高濃度の予報になっている。本来なら日中からリンは外に出られないが、私たちには汚染に対する耐性があるので、許容範囲としてリン型アンドロイドの人工脳は処理したのだろう。
私の言葉を受け、彼女は珍しく、むぅ、と子供のころを思い出させるように唇をすぼめた。
当時は十七歳だったが、リン型アンドロイドの外見は二十歳だ。大人になった姿で子供のような仕草を見るのは変な感じもあり可愛らしくもある。
それを見て最近、変わらない日々に落ちていた気持ちが少しばかり和らぐのを感じた。
リンはそっぽ向くと、拗ねたように言った。
「ならこれ食べたら出る」
「分かりました」
向かう先はいつものように森の中の広場だ。
「流星群、見たかったなあ」
道中、リン型アンドロイドはまだ拗ねた様子で小言を呟いている。
よっぽど流星群が見てみたかったらしい。
「録画しておきますから」
「この目で見ないと意味が無いの」
「その理屈は理解しかねます」
「そういうものなの」
そういうもの――当時は理解不能だった曖昧で抽象的な説明も、今では自然と意味が伝わるから不思議だ。
この時リンが言いたかったのは、何かを通してそれを見たとしても、それは本物ではないと言うことだ。
たとえばそう、このアンドロイドのように……。
「そういえば知ってるケイ? 流れ星に願いごとをすると、お願いが叶うのよ」
「それはたまたま願いが叶った人が、流れ星と関連付けただけなのでは」
「もう。ケイは夢が無いわね」
「アンドロイドは夢を見ません」
「それを夢が無いっていうの」
そう言ってリン型アンドロイドは楽しそうに笑った。機嫌は直ったようだった。
そうして歩いている内に、森の中の広場へと辿り着いた。
リン型アンドロイドが定位置の切り株に座ると、いつものように灰色の兎が飛び乗ってくる。
リンが記憶だけのアンドロイドとなってからというもの、警戒してか小動物の中には彼女に近寄らなくなったものもいた。けれどこの兎だけは変わらなかった。以前と同じように彼女の膝に乗っては大人しく撫でられていた。
おそらくこの兎も気づいてはいるのだ。これがリンであってリンではないことを。それでも寄ってくるのはやはり……私と同じなのだろう。
「今日はね、流星群が来るのよ」
リン型アンドロイドは兎に話しかけている。
「私は外で見られないから、だから私の代わりに見てね。あ、お願いこともするのよ。あなたは何を願うのかな」
言葉を理解しているのかしていないのか、兎は閉じていた瞼を開けると赤い目で彼女を見上げた。
当時には見られなかった反応だ。けれどリン型アンドロイドは気にすることなく兎を撫で続けている。兎の態度も彼女の行動には支障がないようだ。
「ねぇ、ケイ」
しばらく兎を撫でていたリンが、手を止めて私を見上げた。
「はい」
「ケイはもし、お願いが叶うとしたら、何を願う?」
その質問に私は、はっ、とした。
瞬間、記憶の波が私の意識を埋め尽くした――。
『ケイはもし、お願いが叶うとしたら、何を願う?』
『願い――こうなって欲しいと思うこと、ですか?』
『うん。望みでもいいけどね。ようはケイがこうなってほしい、こうしたい、て思うこと。何かない?』
『それは、私には非常に難解な質問です』
『アンドロイドには心が無いから?』
『簡潔に表すとその通りです』
『それなら逆に考えると、ケイに願いごとが出来たとき、望むことが出来たとき、貴女には心が宿ったと言えるのね』
『リン、何度も言うようですが、アンドロイドに心が宿ったという前例はありません』
『ケイ、何度も言うようだけど、私は貴女に心が宿ると信じてる』
『だから教えてね』
『貴女に願いごとが出来たら』
そう言って笑ったリンが、徐々に薄れて消えていく。
それと代わるように、目の前には何も言わない私を不思議そうに見上げているリン型アンドロイドの姿があった。
……いや、これは不思議なんて思ってはいない。ただ待機状態に入っているだけだ。私の返答という言語入力の。
今見た記憶のように、言葉を返さなければ――そう思って口を開くも、何故か言うべき言葉が出てこない。
口元がわなわなと動くだけで、言葉が声にならない。
心が、本心が、それを言うことを拒否している。
それでも私は喉に力を入れる。
この日々を続けるためには仕方がないのだと、自分に言い聞かせる。
心を殺し、感情を抑え、アンドロイドであった私を演じないと――。
『だから教えてね。貴女に願いごとが出来たら』
――それでも、私は――。
「――――……会いたい」
それが口からこぼれ落ちた途端、足の力が抜けた。
それまで押さえつけていたものが崩れ落ちるかのように、私はその場に両膝をついていた。
私の言葉に、リン型アンドロイドは何も言わなかった。
……当然だ。記憶にないことには〈これ〉は反応しない。
今ごろ人工脳が不正言語入力を感知して再生停止処理をしていることだろう。
そうなればセットアップをし直さない限り〈これ〉はもう、物言わぬ人形だ。
それでも、もう限界だった。
どう思い込もうと、〈これ〉はリンではない。
リンの姿をした、ただの人形だ。
幸せだった日々を見せつけるだけの、変わることのない夢だ。
これは、私が望んでいることではない。
彼女が望んでいることでもない。
私の望み――私の願いは――。
「会いたい……」
それが私の本当の心だった。
あの日から、リンを失った時から、私はそれだけを願っていた。
記憶ではない、本当の彼女に会いたいと、本当の彼女と一緒にいることを望んでいた。
けれど、それは叶わない夢だと分かっていた。
どんなに願っても、リンが蘇るわけではない。
どんなに想っても、リンに届くことはない。
それが分かっていたから、私は自分の心に背を向け続けていた。
……けれど、それももう終わりだ。
もう過去の自分を演じるのは嫌だ。
もう自分を偽って生きるのは嫌だ。
心を押し殺す日々を続けるのは――彼女の命と引き換えに得たこの心を殺すことはもう……嫌だ。
地面に滴が落ちた。
気づけば目から涙が溢れていた。
地面に縋るように私は泣いていた。
……人は涙を流せば溜まった感情を洗い流せるというのを何かで見たことがある。
けれどそれは嘘だと私は思った。彼女が死んだ時も、これまでも、いくら涙を流したところで私の中に溜まった感情は減らなかった。リンに焦がれる想いは減らなかった。それどころか増えるばかりだ。
何年経っても、涙を流している今も、想いは募るばかりだ。
涙は次々と彼女の埋まっている地面に滴り落ち、その度に土に吸収されていった。
まるで溢れ出るこの想いを無かったことにでもするかのように、跡形もなく痕跡を消していった。
それでも止まらない涙は、次第に地面を潤わせた。その一点だけでも埋まっている彼女に届いたかのように小さな水たまりを作った。
その時だった。
「誰に、会いたいの?」
最初は、幻聴だと思った。
その声に聞き覚えはあった。ありすぎた。だからこそ、そう思った。
頭の中だけで聞こえた声なのだと、そう思っていた。
「誰に会いたいの?」
しかし、声は再度、聞こえてきた。
頭の中ではなく、頭上からはっきりと。
そのことで誰が声を発しているのか分からされる。そして同時に当惑もする。
何故、それを口にしたのかと。
それが発した言葉に似た台詞を私は知っていた。
リンが好きだった本のクライマックス――生まれ変わった聖女が騎士に投げかけた台詞だ。
しかしリンは生前、この言葉を声に出したことはない。
だから目の前のそれが、その言葉を口に出来るはずがない。
私は項垂れていた顔を上げる。
ぼやけた視界には、いつの間に立ち上がっていたのかリン型アンドロイドの身体が見えた。
それは私の頬に手を伸ばすと、指で涙をすくった。
リンは生前、私の涙を拭ったことはない。
当然だ。私は、彼女が生きている間に、泣いたことなどないのだから。
私は更に上を見上げた。リン型アンドロイドの顔が見える。
その顔は――微笑んでいた。
今にも泣きだしそうな顔で――。
……まさか、そんなことが――――。
「貴女に――」
私は口にする。
七年の歳月で募らせた想いを、心と共に生まれた唯一の願いを。
「――リン、貴女に会いたかった」
長い時を経て、聖女と再会した騎士と同じように――。
願いを受け、彼女は――リンは破顔させると、私に抱きついて言った。
「私も会いたかったわ――ケイ」
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