その後

夢の終わり


 流星群を最後まで見てから、シェルターへと戻ってきた頃にはもう深夜の一時を回っていた。

 帰ってきたその足でリンを浴場まで送ると、私は自室へと戻った。それからシャワーで体を洗浄し、着替えを行なってから彼女の寝室へと向かう。

 今日はもうすることがなく後はもう寝るだけだが、それでもリンの元を訪れるのは、彼女がベッドに入るのを見届けてから明りを消すためだった。これは博士が亡くなった時から毎日続けている、日課とも言える行動だ。これを行なわないと不思議と一日が終わった気がしない。それはリンが死んで、リン型アンドロイドを目覚めさせるまでの間に気づいたことだった。

 リンの寝室に入ると、彼女はすでに戻っておりベッドに腰掛けていた。

 こちらを見て、隣に座るようベッドを軽く叩く。


「早かったですね」


 私はベットに腰を下ろしながら言った。

 リンはシャワーで済ます私とは違い、きちんと湯船につかる。それだけでなく本を読んで――その時は流石に紙本ではなく電子書籍だが――長風呂をすることもある。


「今日はもう遅いから」


 リンはそう言ってから、小さく欠伸をした。


「この体でも、ちゃんと眠くはなるのね」

「そのことに関しては、私も不思議に思っています」


 どういう意味、とでも言うようにリンが首を傾げる。


「本来、人工脳であるアンドロイドの睡眠はパソコンのスリープ状態に似ています。……パソコンのスリープは分かりますか?」


 問うと、リンは「分かるよ」と苦笑した。機械が苦手な彼女には、それに関する知識を博士も私もほとんど教えてはいない。おそらく本か何かで学んだのだろう。彼女は物語――小説しか読まないが、それでもその中でならジャンルは幅広いから。


「人工脳は眠ろうと考えれば、パソコンがスリープに入るように自然とその状態に移行します。そこには眠っているという感覚はありませんし、もちろん夢を見ることもありません。ですが、貴女が亡くなってから私は夢を見るようになりました。それだけでなく眠気に襲われたり、逆に眠ろうとしているのに眠れないこともありました」

「つまり、そういうことにも心は関係しているってことなのね」

「そういうことなのでしょう。にわかに信じがたいことですが」


 ふふっ、とリンが笑う。思わず首を傾げると、彼女は笑ったまま「ごめん」と言った。


「以前のケイなら、理解できません、て言っただろうなってまた思っちゃった」

「今回の場合は意味合いが同じだと思いますが」

「そうね。でも、今の表現のほうが柔らかく感じる」

「柔らかい」

「うん。私は好き」


 よく分からないが、リンが好ましく思ってくれているのなら直す必要はないのだろう。

 そこでまたリンが小さく欠伸をした。今度は目尻に涙が浮かんでいる。


「そろそろお休みになってください」

「うん」


 リンは頷くと、ベッドに上がった。

 私もベッドから立ち上がり、横になった彼女の体にシーツをかける。


「おやすみ。ケイ」

「はい――」


 続きを言いかけて、言葉が喉に詰まった。

 おやすみなさいリン、といつもスムーズに言えていた就寝の挨拶が、今日は上手く出てこない。胸に湧き上がるこの感情が、それを口にすることを阻害している。この感情が何なのか、これまで何度も体験してきた私にはもう分かっていた。


「どうしたの?」不思議そうにリンが言った。

「いえ。何でもありません」

「嘘。何でもあるって顔してる」


 はっきりと見抜かれて、私は驚く。

 私としては内心を表情に出しているつもりは一切なかった。指摘された今でさえも、自分の表情筋に大きな変化があるように思えない。

 それでも彼女には分かってしまうようだ。わずかな変化でも気づかれてしまう。

 表情の変化が感情に起因するものだということは理解しているし、表情で安易に相手に感情を伝えられる人間は便利だと感じたこともある。しかし、隠したいことが――いや、余計なことで彼女を煩わせたくない時には少し不便な機能だと思った。

 リンはまた上体を起こすと、ベッドに座るように手招きをした。

 私は迷いながらも、再びベッドに腰を下ろす。


「くだらない考えです」

「言ってみて」


 優しく促しながら、リンが私の手に触れてくる。

 ……余計なことを言うべきではない。

 この楽しかった雰囲気を壊すべきでは――。

 そう思いながらも手の甲にある彼女の体温を感じていたら、どうしてか胸中を吐露させずにはいられなかった。


「……これは、夢なのではないかと」


 リンが戻ってきたことも。

 一緒に流星群を見たことも。

 今この瞬間も。

 全てが夢だったのではないか。

 博士の夢を見たように、私はまだ眠りの中にいて、自分に都合のいい夢を作っているだけではないか。

 だって本来、夢とはそういうものだ。

 昔の記憶を見ることもあるにはあるらしいが、多くは現実ではないこと、ありえなかったことが起こるのが夢というものだ。

 だからもしこれが夢ならば、もう終わりなのだと思った。

 夢の中では夜が明けることはない。

 これまでも、そうだった。

 眠っても眠らなくても、夢の中で朝は訪れなかった。

 どんなにそこにいたいと願っても駄目だった。

 夢を見続けることを私の人工脳は許してくれなかった。

 現実に――過去を繰り返すだけの日々に戻されるだけだった。


 私は手を返すと、リンの手を握った。

 この温もりを現実のものだと確かめたくて、失いたくなくて、つい強く握ってしまう。彼女はそれに応えてくれるように握り返してくれると、空いた手で私の頬に触れた。


「不安を感じるようになったのね」


 ……そう、不安だ。私は不安を感じている。

 たとえこれが夢でも夢でなくとも、彼女を失うのは怖い。怖くてたまらない。


「大丈夫よ。これは夢なんかじゃない。寝ても覚めたりはしないわ」


 リンは私を安心させようとしてくれる。けれど、それでも私の不安は拭えない。

 それを表情で見て取ったのか、彼女は微笑むと言った。


「ケイ、今日から一緒に寝ましょう」

「え」意外な提案に、私は思わず声を上げてしまう。

「それなら安心でしょう?」


 そう、なのだろうか。

 誰かと一緒に寝ることで安心感が得られるのかどうかは、まだ体験したことのない私には分からない。けれど、それでもここで離れて終わるぐらいなら、最後まで一緒にいたいとは思った。


「邪魔ではないですか」

「大丈夫よ。ベッドは大きいんだから。ほら」


 リンが握っている手を引く。私は誘われるがままにベッドに上がると、彼女の隣に体を横たえた。私の寝台はカプセル型なので、ベッドに寝ること自体も初めての体験だ。

 私はもう一度リンにシーツをかける。すると彼女も楽しそうに真似をしてきた。そうして二人でシーツに入り込む。シーツの中はすぐにお互いの体から発する熱により温かくなった。

 まるで二人の体温が一緒になったかのようなその温もりに、不思議と不安が和らぐのを感じる。リンの言った通り、安心、を覚えているのだろうか。


「今日は楽しかったけれど、流石に疲れたわ」


 リンは今日三度目の小さな欠伸をした。彼女がここまで欠伸をするのは珍しい。いつも十時頃には就寝するので、夜更かしをして眠たいのだろう。


「ケイも泣き疲れたでしょう?」


 そう訊きながら、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。


「それは、言わないで下さい」 


 それには流石の私も羞恥というものを感じてしまう。

 あの時、リンと再会した後も私の涙は止まらなかった。これまで溜まっていた感情が全て溢れ出るかのように泣き続けた。リンも最初は泣いていたけれど、最後には笑って泣き止まない私をなだめていた。

 恥ずかしがっている私を、リンは無邪気な笑顔を浮かべて楽しそうに見ている。

 そんな彼女を見ていると、恥ずかしさはどこへやら次第に嬉しさが込み上げてきた。それはきっと、リンが素直な感情を表わしてくれているからだろう。


「――リン」

「なあに」

「私は貴女が人間だった時、何もしてあげられませんでした」


 リンが驚くように、わずかに目を見開いた。


「博士が亡くなったあと貴女が強がっていたことも、寂しくても悲しくても私を困らせないためにそれを出すことを我慢していたことも、私は何一つ気づいてあげられなかった」


 それは心が芽生えて、彼女の気持ちに気づいてからずっと後悔していたことだった。


「心を持っても、私にはまだ理解できない感情や、人間についても理解しがたいことが沢山あります」


 元々が心ある人間だったリンとは違って、私は心ないアンドロイドだった。

 この七年で少しは人間の――リンや博士の気持ちを理解することはできたが、それでも人間そのものを理解できたとは言いがたい。


「けれどそれでも、今度からは我慢しないでください。私が分からないことでも、言ってみてください。感情をぶつけてください。どんなことでも私はこの心で受け止めます。貴女が宿ると信じてくれたこの心で受け止めてみせます。そして貴女の気持ちを理解できるように努力していきたい」

「ケイ……」


 リンは見開いていた目を細めると、再開した時のように泣きそうな顔で微笑んだ。


「――うん。ありがとう。ケイ」


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