第三試合 伽藍とは

幸福

 伽藍の試合は素晴らしい。


 企業の閲覧室では、伽藍の今までの全ての公式戦の動画を見ることができる。

 そのすべてを見ながら、僕は毎回同じことを思わされる。

 ただただ、素晴らしい、と。


 僕が伽藍の試合を見ていると知った人間は、大抵僕に「勉強熱心だ」と言う。「休みの日くらい試合以外のことも考えたらいいのに」と言うものもいる。

 そのどちらの言葉も、僕にはよく分からない。

 人間はおそらく、僕が自分の試合のための研究として、伽藍の試合を見ているのだと思っている。

 だが、伽藍の試合が、僕の試合の糧になることはあり得ない。

 僕たちは同じ機械闘士であるが、戦闘スタイルはもちろん、その基となる素材や製造方法、身体の動かし方まで全くと言っていいほど異なっている。

 それは作られた年代の差であり、制作した人間たちが当初抱いていた、機械へのイメージの違いによるものであったりする。

 より強く。より美しく。より効率的に。より素早く。制作した人間たちは知恵を絞って、そのイメージにもっとも適切だと考えた方法で僕たちを制作したのだろう。


 だから、伽藍の動きや思考を学習したところで、僕の試合に向けて直接使用することは難しい。

 僕たちが試合のために学習するデータは、基本的には人間の動作が中心だ。どの機械闘士も、人間の動作を真似して動いていることは共通である。

 機械の戦闘データは、相手の戦闘スタイルや得手不得手、作戦や次の手を予測し、それに対抗するもっとも最適な方法を判断し実行するための、単なる情報に過ぎない。だから、大抵は次の試合の相手や、その相手と類似性の高い機械闘士の試合動画を見ることになる。


 ではなぜ、僕は伽藍の試合動画を見ているのか。

 それはやはり、伽藍の試合が素晴らしいからだった。

 ただただ、素晴らしいのだ。


 突き、蹴り、投げ、固め。繰り出される多彩な技の数々。

 総合格闘技型と呼ばれる伽藍は、ボクシング、空手、柔道、レスリング、ブラジリアン柔術等のあらゆる技術を学習している。

 伽藍は古今東西、世界中の格闘技、武道を学習し、自らをアップデートし続けている。最強の闘士の技術は今もなお、増え続けているのだった。


 彼女が勝利を続けている裏には、ひとえに長い時間をかけて築き上げた試合経験と、学習内容の広範さが影響していると見ていい。

 だが、その「広範さ」の本質を考えるのであれば、伽藍のもっとも特筆すべき点は、その多彩な技術を繰り出すことができる、「身体の動き」だと僕は考えている。


 大量の情報を学習することは、理論上は機械闘士のすべての個体で可能である。学習能力自体は、機械闘士の中でも、伽藍だけが特段優れているわけではない。

 しかし、通常、機械闘士の多くは、特定の技術分野のみを極めるような学習を選択している。

 螺鈿やボンナヴァンは「フェンシング型」だし、武蔵五号は「剣道型」だ。他の機械も「空手型」や「柔道型」という特定の名を冠することが多い。


 何故かと言うと、伽藍のように数多の分野の学習をしたところで、それを実際に試合で再現することは、並の機械闘士では非常に困難だからだ。

 「再現」とは、つまり、相手の動作に合わせて、数えきれないほどの動作データの中から適切な技術を瞬時に判断し、完璧に自分の身体で再現するということである。

 学習したデータを試合で応用して動作を選択し、思考した通りの動作を自身の身体で再現すること。

 この応用力と再現性において、伽藍の右に出るものはいない。

 並の機械闘士では追いつけない速度で再現を行い、試合に対応している伽藍の身体性は、他の機械闘士とは一線を画している。



 さらに素晴らしいのは、咄嗟の判断から繰り出されているはずの動作や技術が、完璧かつ完成されていることだ。


 すべての動作がしなやかで、柔らかい。

 素早く、自由で、自然。

 無駄がなく、力が抜けていて、全く隙が無い。

 その動きの先には、粉々に砕け散った金属だけが残る。

 伽藍以外の存在のすべてが無になる。

 伽藍だけが唯一の主体で、周りのすべてはただの世界、ただの背景になる。

 狭苦しいフィールドの中で、伽藍だけが自由だった。

 伽藍の力は、見るもの全てに自由を感じさせる。

 およそ、弱さとは無縁な、強大で、人智を超えた力。

 それなのに、恐ろしく強いそんな力を生み出す身体が、どうしてあんなにも柔らかに滑らかに動くのだろう。


 伽藍の動作は、人間が好む美醜というものの分からない僕にも「美しさ」を感じさせた。

 「美しいもの」というのは、きっとあの流れるような動作のことを指すのだろう。

 伽藍の全ての動作には、一切の無駄がない。

 完璧だった。

 それなのにどこか、機械らしくない。

 まるで人間が何気なく動いたときの瞬間をとらえたように、何かが満ちていて、その代わりに何かが欠けているように見えた。

 格闘技や武道といった全ての技術の完成形、最終目標というのは、このような動作法を学習することなのかもしれない。

 その結果に行きつくための過程、方法論として、様々な技術が考案されたのではないだろうか。伽藍の試合を見ていると、そんなことを思う。



 伽藍の動画はいつも、拳を突き上げた伽藍に向かって、観客が割れんばかりの歓声を上げるところで終わる。

 試合会場のおよそ70000人の喚き声は、耐えられないほど酷く五月蠅い。

 それなのに、酷く僕を高揚させる。

 僕ら機械闘士はきっと、人間の歓声に興奮し反応するように作られているのだろう。

 僕もいつか、こんなに大きな声を、たくさんの人間から掛けられる経験をするのだろうか。

 いや、確率としては、かなり低いだろう。僕は伽藍のような「人気者」ではないから。


 伽藍の試合の観戦券は、有名アイドルやアーティストのイベント以上に取得するのが難しいと言われている。

 例えば、2年前の、伽藍対欧米製の総合格闘技型の試合では、70000人規模の体育館のチケットが一瞬で売り切れた。

 これは、僕の試合の最大観客動員数の5倍以上だ。その上、リアルタイムの動画配信の視聴者が30000人いたとされる。

 彼女のもたらす経済効果は、並のプロスポーツ選手やアーティストを優に凌ぐ。

 企業の利益の観点から見ても、伽藍の代わりになる機械闘士は存在し得ないだろう。

 もっとも伽藍は、経済面で彼女を評価する人間を特に軽蔑しているのだろうが。



 それにしても人間というものは、映像ではなく、実際に実物の試合をその目で見ることを非常に重要視する生物らしい。

 自分が試合に出ないのに、試合会場に行くことはとても奇妙だと思う。

 僕は一度も、伽藍の試合会場に足を運んだことは無い。

 僕が閲覧室で伽藍の試合ばかりを見ていると知った門沢が、伽藍の試合に僕の席を用意しようと言ったことがあったが、僕は丁重にそれを断った。


 何故なら、試合の後二日もすれば、閲覧室でその試合を見られることが分かっていたからだ。

 試合会場であろうが、動画で見ようが、伽藍の試合でのパフォーマンスも結果も、何も変わりはしないのだから。試合に行く必要性など僕にはまったく理解ができない。

 それでも、そんな人間たちの行動が企業に多大な利益をもたらし、機械闘士に試合の実施や身体のメンテナンスなどの恩恵をもたらしている。

 やはり人間の考えることは理解しがたい。



 閲覧室の時計を見て、ふと気づいた。

 そういえば、今の時間は、丁度伽藍が試合をやっている頃だった。

 22時35分。22時に試合開始だから、もう決着がついている頃だろうか。

 今日の相手は、伽藍が2年前に完膚なきまでに叩きのめした、欧米製の総合格闘技系列の最新機だという。

 かなり評判が高く、リリースされてから未だ負け無しの強い機械だと門沢が言っていたことを思い出す。


 流石の伽藍も骨が折れるだろう。これは比喩であって、事実彼女の骨組みが折れることは全くあり得ないことだと理解している。

 彼女は強いから。

 ああ、どんな試合をしているのだろうか。僕は伽藍の動作を思い描いてみる。

 閲覧室に映像が追加されるのは2日後だ。それまで待たなければならないことを、心底残念だと思った。


 そうか。

 こんな風に、一刻も早く見たい、見なければならないというような思考に突き動かされて、人間は会場に赴くのかもしれない。

 突然、長年の不明点がクリアになった。

 僕の推論が本当に正しいかどうかは分からないが、正誤はどうでもよかった。真に重要なこととは、僕自身が理解したと感じることだからだ。

 伽藍の試合のことを思考するだけで、こうして新たな学びを得ることすらできる。

 やはり、伽藍の試合は素晴らしい。


 僕は、伽藍の次の試合の展開を自分の中でシミュレーションしてみたり、過去の映像を記憶の中で再生したりする。

 それだけで、僕はとても穏やかな思考を得ることができた。

 一部の人間は時折、機械闘士は闘うことしか知らないから哀れで可哀想だと言う。

 だが僕は、哀れで可哀想なのは人間の方ではないかと常々思っていた。

 人間は、試合ができない。だから、伽藍の試合における動作の美しさも、強烈な自由の表現も、本当には理解できないだろうから。


 ああ、良い気分だ。

 これを幸福と言わずして、人間は何を幸福だと思うのだろうか。

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