第二試合 試合とは

門沢の話

【以下、センシティブな話題が含まれます。ご注意ください】



 廊下の椅子に、くたびれた様子の人間がひとり座っている。

 僕は廊下の奥にある、自分の部屋に戻ろうと思っていた。自室とはいえ、本棚と机と椅子がある程度の小さな部屋である。

 そのため、自然と、その人間に向かって歩いていく形になった。

 僕はだんだん人間に近づいていくが、その人間はじっと床を見つめたまま動かない。

 特に用があったわけではない。だが、僕を見ればいつも声を掛けてくる門沢が何も言わないのは珍しいので、目の前で立ち止まってみた。


 眉間に深いしわが刻まれている。いつになく浮かない顔つきだ。

 目は下に向けられているが、どこを見ているというわけでもなく、ぼんやりとしている。

 廊下の薄暗い照明では顔色も悪く見えて、門沢はいつもの何倍も歳を取ったように見えた。


 最近は試合もなかなか設定されず、暇を持て余していたので、気まぐれに声を掛けてみることにした。

 人間に自分から声を掛けることなどあまりないので、作法がよく分からない。だから、門沢の口癖を真似た。


「やあ」

 すると、門沢はびくりと体を震わせ、非常に驚いた顔をした。

「ああ、君か……驚いた、いつからそこに?」

「丁度1分前からここにいた」

「いや、すまない。ちょっと考え事をしていたから気が付かなくて……」

 門沢は曖昧に口の形だけで笑ってみせたが、僕と目を合わせようともしない。

 普段は僕を見かければいつも、目と目を合わせて会話しようとする人間が。明らかに様子がおかしかった。


 そういえば、こうして門沢と一対一で言葉を交わすのは何時ぶりだろうかと気付く。今までは、用がなくとも何かと話しかけてきていたのに。

「随分深刻な顔をしている。生気がない。何か問題でも?」

「……はは、私がひどい顔してるって、ちゃんと分かるんだな」

 門沢は乾いた笑いを溢した。

 今更、何を言うかと思う。顔色が「ちゃんと分かる」ようになれと僕に希望したのは、人間ではないか。門沢もそれをよく知っているはずだ。


 僕には、人間と会話するための能力、こと表情を読み取る能力に関しては、最新技術が用いられている。

 試合にはまったく不要な能力であるが、人間の間では、人型の機械にはそれを搭載することが何故か望ましいとされているのだった。


「また娘の話か」

 僕がそう指摘すると、門沢はぎょっとして僕を見た。

「え、何で……?」

「貴方は普段から娘の話ばかりしている。そして、娘のことを話すときに最も表情が豊かになる。今まで見たことがないくらい不幸な表情をさせる人物としては、最も可能性が高い人物と推測するのは当然だ」


 すると門沢は、わずかにほっとしたような表情を一瞬浮かべたが、またすぐに、先ほどの暗く険しい表情に戻った。

「どこからか噂になっているのかと思って焦ったよ。誰にも言っていないことだから……」

「だが、そのように一目見て分かるほどいつもと違う様子でいたら、誰かに気付かれて当然ではないか」

「たしかに、そうだよな……もしかしたら私は、君に声を掛けて欲しかったのかもしれない。君がいつもこの廊下を通ることを私は知っている……」

 何か人には知られたくないことがあるらしい。僕は人間ではないから良い、という理論なのだろう。勝手なことだ。

「独り言を言ってもいいかな……本当は、誰にも言うべきではないと分かっている。でも、私だけではとても抱えきれない。私は、弱い人間だ」

 これもまた、「僕に話す」のではなくて、「独り言」だから良いという理論なのだろう。

 そうやって自分を正当化する行為は、罪悪感を抱いていることを示唆している。これは、以前知識として学習したことだった。


 門沢は、すがるような目で僕を見つめている。

 しかし、僕に何を期待しているのか。

 娘に何かあったという話を聞いたとして、僕に門沢の苦しみを理解できるとは思えない。

 門沢の娘と僕は、見た目の年齢が近いと門沢は以前話していた。

 まさか、娘の気持ちが分かるかと問われるわけではないだろう。

 いくら容姿がどうであろうが、人間と機械では、中身が全く異なるものだということは彼でも十分わかっているはずだ。


「貴方が話すことを止める権利は無いから、許可はいらない。話を聞かなければならないという義務もないが、礼儀として貴方が話している時はここにいよう」

 門沢は、小さな声で「すまない」と言って、再び俯いた。

 何か話そうとしてつっかえたように言葉を止める。悔し気に顔をゆがめて、両手で顔を覆った。


「ある男が何件も通り魔事件を起こした。女性や子供ばかりを狙って殴る蹴るの暴行を加える……本当に卑劣な奴だ。でも、亡くなった人はいなかったし、犯人はすぐに逮捕された。普段だったら、私もそんな事件のことはすぐに忘れてしまうはずだった」

 人間の中には、好んで他の人間を害するものがいるということは、知識として知っていた。

 僕は、その心理に特に興味を持っていなかった。

 人間は大小あれど皆そういう欲望を持っているものだと理解していたからだ。でなければ、機械闘士や試合などは生まれなかっただろう。

 人間は自身の暴力性を抑圧、もしくは昇華するために、代理で機械を闘わせて喜んでいる。僕らはそのおかげで闘うことができる。

 ここでその話をするということはつまり、門沢の妻か娘も事件に巻き込まれたということではないかと、僕は予測した。


「でも……実は、娘もその被害者の一人だったんだ。怖い思いをして、必死で逃げ帰ってきたのを、私にも妻にも隠していた。娘がそれを話したのは、犯人が逮捕されたニュースを見てしばらくしてからだった」

 案の定、門沢は泣きそうな顔で予想通りの言葉を続けた。

「娘は怪我をしたのか? だから伽藍のところに最近行かなかったのか」

「いや、目に見えるような怪我はしていない。だから、そんなことがあったなんて全然気が付かなかったんだ……」


 僕は、門沢の娘は死んでもおらず、回復不可能な怪我もしていないのならば、それは喜ばしいことのはずだと思った。

 だが門沢は、泣き笑いのような奇妙な表情をした。

「心の傷、って分かるかい」

「心的外傷という意味か。それならば定義は知っている。心的外傷後ストレス障害、通称PTSD」

 僕は、差し入れられた心理学の書籍にあった記述を諳んじた。

 門沢は静かに頷いた。

「私もその言葉は知っているつもりだったけど、本当は何も知らなかったんだと思い知らされた。今までなら、怖かっただろうが、命があったならよかった、幸運だったとしか思わなかっただろう」


 機械闘士は、再生可能な程度の損傷であれば良い、つまり「壊れても直れば良い」のだが、人間はそうではないらしい。やはり奇妙で不便である。

 人間の奇妙さや不便さを知る時に、僕はいつも、人間は闘うために生まれたものではないのだなと実感する。

 では人間は、一体何のために生まれたものなのか。

 その問いの答えは、未だ知らない。人間自身がそれを知らないので、僕も知らなかった。


「娘を見ていると、『良かった』なんて口が裂けても言えない。もちろん、生きていることが一番大事で、殺されなかったことは本当に良かった。でも、心の傷を本当の意味で癒すことは、すごく難しくて時間が掛かるんだ……」

 門沢の娘は、事件が原因で心的外傷後ストレス障害を発症したのだと推測する。

 門沢はまだ話したりないのか、止まらずに話し続ける。

「娘の話を聞いている間、私は息もできなかった。怒りでぶるぶると体が震えた。あの子がどれほど恐ろしく、辛い思いをしたか……」


 そこで突然、門沢は顔を覆って呻いた。

「それが分かっていたのに、混乱した僕は娘にひどいことを言った。勇気を振り絞って両親に被害を告白した娘に、なぜもっと早く言わなかったんだと言ったんだよ」


 門沢は、何故か娘を責めたらしい。僕は疑問に思った。

 子どもが親に、その日あった出来事を報告することは、推奨されるが義務ではないと思ったが。

「何故、娘にそう言ったのか」

 門沢は、再びぐったりと項垂れると、「本当に後悔してる」と、絞り出すように言った。

「本当に、何でそんなことを言ってしまったんだろうな。そんなこと思っていなくて、ただ無事でよかったって、それだけなのに……きっと、怖かったんだ。娘が害されたという事実を受け止めることが。本当に怖かったのは、あの子の方なのに」


 人間は奇妙だ。すぐに「思ってもいないことを言ってしまった」などと主張する。

 本来、言葉はすべて自分が思考して発した音声である。まったく自分の頭の中にないことなど、言えるはずがない。

「本当に、責めるつもりなんてなかったんだ。でも、あの子はきっとそう感じただろう。彼女はもう十分、自分を責めていたに違いないのに……自分が夜道をひとりで歩いていたから悪かったんだとか、すぐに警察に届けていたら、被害者が減ったかもしれないとか……」

「人間は、自分が間違った行為をした際には謝罪をする。貴方もそうすれば良い」

「そうだな……でも、謝っても、私が最低な父親であることに変りは無いよ」

 僕の意見を聞いているのか、いないのか、分からない。


 一体、門沢は何故こんな話を僕にしたのだろうか。

 僕には、心の傷というものがどんなものか、想像もできないのに。

 機械闘士に例えるのであれば、心的外傷後ストレス障害はどのような状態になるだろうか。意味のない問いだが、ふと思いついたので思考してみる。


 例えば、負けた試合、相手の剣に腹を裂かれた感覚を、いまこの瞬間の出来事のように感じること。繰り返し、繰り返し思い出すこと。

 これはフラッシュバック、再体験に類似しているのだろうか。

 この体験によって試合に支障が出るようなことがあれば、それが障害として診断される可能性があるだろうか。


「たとえどれだけ心や体に後遺症を与えても、心を踏みにじっても、殺さなければ死刑にならない。犯人は、何年かしたらまた普通の生活に戻るんだ。被害者は、犯人が再び現れるかもしれない恐怖を抱えて生きなければならない」


 僕は、試合に敗けることが一番恐ろしい。

 だが、それ以外で、具体的な人や機械を「恐ろしい」と思ったことはない。

 それが機械だ。それが螺鈿で、伽藍で、その他大勢の機械闘士だろう。

 やはり僕たちは、姿かたちがどれほど似せられていても、人間とは全く違うのだ。

 心の傷を持ち得ることすらない。

 僕たちは、闘うために生きているのだから。


 だが、人間はそうではない。

 闘うために生きているわけではないのに、唐突に闘わされる。

 それも、望んでもいない、準備してもいない、自分ばかり不利な状況で。

 だからこそ、門沢の娘は深い傷つきを抱えているのかもしれない。

 

 再び黙り込んだ門沢を見て、話は終わったのだと判断し、僕はその場を離れた。

 思えば、僕はこの時、もう少し長く門沢の話を聞いておくべきだったのかもしれない。

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