友人
「伽藍」
廊下で姿を見かけたので呼び止めると、伽藍は振り返り、大袈裟に両手を広げた。
「ああ、螺鈿、螺鈿。最近、随分調子が良いそうじゃないか。敗け知らず、流石伽藍の後継機、人間たちはそんな話題で持ち切りだ」
言葉の内容こそ、僕を褒めたたえるものだ。
しかし、その芝居がかった仕草は、伽藍はそんなことを少しも思っていないのだということを十分に理解させる。
「人間はすぐに調子に乗る。たったの数試合勝ち越しただけでこの騒ぎになっているのが良い例だ。くだらないとしか言いようが無い」
「人間とはそういうものだと、僕も十分理解している」
僕が伽藍の言葉に頷き、同意すると、伽藍はつまらなそうに続けた。
「お前は人間に騙されるなよ。機械闘士は、勝って当然。勝てない奴に価値は無い。お前は未来永劫、勝ち続けなければならない」
「そのことについては、僕もよく理解している」
機械闘士は、勝って当然。勝てない奴に価値は無い。
そういうものだと理解している。
言うまでもなく、試合の一瞬一瞬は素晴らしい時間だ。
でもその時間も、試合が終われば、ただの過去。
それからは、次の試合までの時間をただ静かに、淡々と過ごしていくだけ。
それなのに人間は、試合をしていない間の時間も、ずっと何かを喚き散らしている。
勝ち負けにすぐに感情を乗せて、大げさに騒ぎ立てる。
僕にとっては試合以外の時間など、それほど意味をなさない。
ただ勝ち続けるための全力を尽くす。それが僕のすべてだ。
「だが、伽藍。僕が勝てるようになったのは、君のおかげでもある。君の言葉を聞いて、僕は自分が何なのか、何をすべきなのか、今まで見えていなかった解を見つけられたような気がする」
相手の試合データを分析するだけでは、きっと勝てなかった。
実際に別の技術を自分の身体で体験し、学習し、自分のものにしたから、勝つことができた。
「よせ。我々は、アドバイス何ぞしたつもりは毛頭ない。勝手にお前が考えて勝手に気付いただけだ」
「それでも、僕は伽藍の言葉が無ければ何も分からなかった」
伽藍は不機嫌そうに、そっぽを向いた。
ただ、踵を返さないところを見ると、まだ飽きてはいないらしい。
僕は不思議に思った。
そもそも、伽藍は何故、あんなに重要なことを僕に教えてくれたのだろうか。何故、あれだけ的確な指摘をしてくれたのだろうか。
いつもの、ただの気まぐれだろうか。
それとも、賢く強い伽藍にとっては、僕の苦悩など、すぐに最適解が導けるような取るに足らない代物だったのか。
まさか、門沢が言っていたような「
そこで、僕は伽藍に聞こうと思っていたことを、もう一つ思い出した。
「門沢が、何の冗談か、娘が伽藍と友人になったようだと話していた」
「友人? 気色の悪いことを言うな。人間臭い」
伽藍は、吐き捨てるように言い放った。
心底気持ちが悪い、という嫌悪感を顔に浮かべている。
だが、娘と会った事実そのものは否定しない。僕は驚いて問いかけた。
「よく話していると言っていたが、事実なのか」
門沢は以前より、僕に面白くもない娘の話を聞かせてくる。
最近は「まさか自分の娘が、あの伽藍に気に入られるとは」と誇らしげに、鼻息荒く何度も僕に話すようになった。
興味があった訳ではないが、正直なところ、僕ですら珍しいことだと思った。
むしろ、門沢の勘違いや妄想の方が余程ありそうなことだとも思う。
伽藍は仕事以外の場面では、自分以外の全ての存在を見下している様子を隠さなかった。
特に人間には容赦がない。
伽藍が廊下を歩くだけで、廊下の端から端まで人間がいなくなる。
伽藍に言い負かされて慌てて逃げ去っていく整備員は何人もいたし、社員が涙目になったり冷や汗を流したりしている場面にも何度も遭遇した。
伽藍が特定の人間と、試合以外の用で何度も言葉を交わしていることも、その人間が伽藍を恐れずに何度も話しかけていることも、どちらも非常に稀なことのように思える。
伽藍は鼻を鳴らして、冷たく笑った。
「門沢はとんだ勘違いをしている。人間は我々と話しているのではなくて、自分自身と話しているだけだ。我々に人間のように振る舞い、考え、相談に乗ってくれるように望みながら、我々が不快や軽蔑を感じることなどないと思い込んでいる」
「確かに、人間にはそういう特性がある。門沢の娘もそうなのか」
門沢など、いかにもそういった人間の良い例だ。
僕は娘の話を聞きたいなどと言ったことは一度もないはずだが、結局僕は門沢の娘が初めて話した言葉も、得意な科目も苦手な科目も、初めてバレンタインデーにチョコレートを渡した異性の名前も知っている。
伽藍がそんな人間に時間を使ってやっているとは、俄かには信じがたい。
「あの人間はなあ、螺鈿。そうつまらなくもない」
伽藍はにやりと笑った。好戦的で凶悪な笑みだ。楽しんでいるのだとわかる。
「あの人間は、我々に道なんぞ聞いて来たのさ。忘れ物を父に届けたいのだが、なんて言ってな」
「まさか。機械闘士に?」
僕は衝撃を受けた。
機械闘士に、それもあの最強の機械闘士「伽藍」に、道案内を頼むなんて。
まるで人間のような扱い。いや、店舗の受付にいる案内ロボットのような扱いと言った方が正確か。
「我々、最強の機械闘士の伽藍にだ。信じられるか? 耳を疑ったよ。こいつは馬鹿なのかとね」
そんなことがあれば、伽藍はどれだけ嫌味を言ったか分からない。
ゆうに10分は、ネチネチと人間の心を逆なでするようなことを言い続けていたに違いない。
「無論、あの人間は縮み上がって謝っていたがな。奴は言った。人型のロボットなんて、にこにこ笑って定型文を繰り返す案内ロボットしかいないと思っていた。何て綺麗な人だと思って、思わず声を掛けてしまったのだとね」
「それで、どうしたのか」
「道案内? そんなものは勿論しない。暇潰しと謝罪の為に、何か話をしてみろと言えば、素直に従った。聞いてやれば、その人間は、機械闘士のことを何も知らなかった。信じられるか? 機械闘士『伽藍』のことを、何も知らない癖に隣に座ったのさ、その人間は」
伽藍のことを知らなかったのであれば、先ほどの行動も納得がいく。
その存在を少しでも知っている人間であれば、間違いなく道を聞くなんて愚行は犯さないはずだ。
「媚び諂わずに、自分の思ったことを正直に話す人間は珍しい。企業の奴らより随分幼いからだろう」
「成程、そこが気に入ったのか」
人間の身体は分かりやすい。言葉と共に、表情、脈拍、体温、あらゆるものが変化する。
だから僕らは、人間が誤魔化したり嘘を言ったりすることがあれば、すぐに気付く。
人間とコミュニケーションを取るための機能が、不要なほどに高性能になっているからだ。
人間の嘘や誤魔化しを見たからといって、僕らは傷つくことも怒ることもない。
ただ、何故そんなことをするのか。まったく理解することはできない。
理解ができない人間の相手をするのは面倒だ。
捻じ曲げられ隠された意図や感情を推測する必要があるから手間がかかる。そうでない人間の相手をするのは、余程容易だ。
「気に入ったという程でもない。向こうが勝手に来るなら、相手をしてやらんこともないというだけ。暇つぶしのおもちゃを増やしただけだ」
伽藍は淡々とそう言うと、いつものように突然踵を返した。僕との話に飽きたのだろう。
「最近も会っているのか?」
僕が思わず背中に声を掛けると、伽藍は振り向いた。
「しばらく姿を見かけていない。我々のことがようやく恐ろしくなったんだろう」
そして伽藍は、もう用はないと言わんばかりに、すぐに去って行った。
僕はそこに留まり、伽藍の最後の表情を想起した。
まったく表情がなく、何とも思っていない顔だった。
そのはずだ。
僕の表情認識機能はそう判断した。
それなのに何故か、伽藍はつまらないと思っていたのではないかと、そんな思考が僕の中に浮かんで消えた。
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