最終試合:心臓

 意識が飛んでいたのは、ほんの一瞬に過ぎない。


 だがその一瞬によって、気付けば相手の左手は、僕の右腕の間近に迫っていた。

 相手は、利き腕を潰すつもりらしい。

 こちらに避ける猶予はない、一方、相手の身体は剣先を優雅に回避してある。

 であれば、あれをやるしかない。腹を括る。思い出すのはいつかの伽藍の……



 相手に手首を掴まれた瞬間。

 相手が力を入れて握る直前、腕を内側にひねりながら、思い切り自分の胴に引き付ける。相手は僕の腕を掴んだまま、ややこちら側に重心が引っ張られる。

 やはり、どれだけしっかりと掴み、握っていても、親指とその他の指先が重なる部分は力が弱い。

 さらに、相手が体重を移動しようとしていた方向に向かって、引っ張ってやれば、身体は逆らえず自然に動いてしまう。


 相手の体勢が、左手左足を前に出し、やや半身になる。

 前に出た左足の後方に、自分の右足を差し込む。太腿同士が擦れ合う。相手の足を、背中側から前側にすくい上げるように引っ掛ける。同時に、掴まれた右手ごと相手を後ろに押し込む。


 突然に進行方向と逆の力を加えることには、相手の体勢が戻り整ってしまうというリスクもあるが、上手く行けば、重心が前後に揺さぶられることで身体が不安定になる。

 重心移動で不安定になった身体に、足のフックを組み合わせれば。

 相手は見事に体勢を崩した。背中から地面に倒れる。

 少しでも倒れこんでくれれば、止めを刺せる。僕は腕を思い切り引いて、剣先を相手の身体に向け狙おうとする。


 しかし、相手の背中が地面に着くことは無かった。

 背中より先に両の腕が、ぐっと地面を押す。背中が弓のようにしなる。そして両足を縮めるやいなや、ひらりと思い切り全身を伸ばした。

 ドロップキック。

 これぞ徒手闘士の十八番。

 何と華やかで派手で、試合映えする動作だろう。

 相手の足裏が眼前に迫る。僕は必死に地面を蹴って下がり、背中を地面と平行になるほど反らす。


 間一髪、蹴りは鼻先を掠めるが、辛うじて回避できた。

 不必要なほど高く制作された鼻先の肉が多少、持っていかれたかもしれないが、何ということは無い。


 今、僕と相手との間にはかなりの距離があった。剣同士の間合いよりも少し遠いくらい。

 この間合いでは、僕の長い剣でも普通は攻撃を届かせられない。そう、普通の攻撃では。

 僕は一歩踏み出す。

 相手は瞬時に計算し、攻撃と防御のどちらかを選択する。相手はその場でボクシングのような構えを取った。カウンターを狙う算段だ。

 螺鈿の攻撃速度と、新伽藍の攻撃への反応速度、どちらが上か。おそらく僕が劣る。だが、相手の予測を超えた攻撃で意表を突くことができれば、あるいは。



 徒手闘士の多くは、剣闘士が上半身重視の設計と考え、それを基準に予測を展開する。つまり、剣の強さは腕の強さ。それが一般的な理解であり、また真実でもある。

 特にフェンシング型は、走力、つまり中距離の移動速度においては、他の機械に劣ると考えられがちだ。

 それは、剣の間合いでの攻撃速度を最速にするために、走るために必要な身体の均等性を犠牲にしているからである。

 前後移動や踏み込みといった基本動作に適した身体を制作するためには、筋肉を左右でアンバランスにせざるを得ない。


 フェンシング型の剣は他の武器……例えば日本刀や杖、ナイフ、長刀……に比べると一撃ごとの威力が限定的だ。

 そのため、俊敏な動きで、手数を増やす、あるいは急所を一撃で仕留めることが勝利の鍵となる。


 だからこそ、螺鈿は剣闘士でありながら、腕力と同じかそれ以上に、脚力を重視して制作されている。

 アンバランスな筋肉であっても、短距離であればかなりの速度が出せるように。

 それを知らなければ、こと敏捷性においては、おそらく相手は僕の能力を読み違える。



 僕は地面を蹴った。

 踏み込むのではなく、走るように。

 一瞬で走り抜けろ。


 一気に相手に向かって飛び込んでいく。

 単純な攻撃速度に、走力による速度増進。腕と剣の長さによるリーチの広がり。相手の攻撃予測を上回るための材料は揃った。


 フェンシングで最速の技、フレッシュ。


 一度使えば相手に必ず警戒される。だから、必ずこの一撃で仕留めなければ。

 僕はもう、どこに向かうべきか、はっきりと理解していた。

 剣先に意識を集中させる。

 腕を伸ばす。

 ただ真っすぐに。

 剣先が吸い込まれていく。


 狙いは、相手の身体に無数に空いた穴の一つ。

 正中線寄りの左胸。

 ほんの数ミリメートル。赤い線が見えた。

 銀のボディの中で赤く赤く存在するその臓器を、たった一部分であっても、決して見間違えるはずがない。


 それは僕らにとって動力源であり、至高の弱点。

 あれは、「心臓」の輪郭だ。

 まるで針穴に糸を通すように、剣先を傷口から差し込む。同時に手首を振るって、剣をぐんとしならせる。


 柔らかい剣の特性を活かして、普通の武器では到底不可能な角度から、心臓を直接攻撃する。

 まるで僕の意思でなく、心臓が刺されるために剣先を迎え入れたような感覚。

 鈍く輝く細い銀が、グロテスクに赤くてらてらと光る曲面に侵入していく。


 剣先が吸い込まれていく。

 この瞬間、いつも僕はそう感じる。

 何故だろう。ずっと、そういうものなのだと思っていた。


 でも、今なら分かる。

 それはきっと、僕がそうしたいと思ったからだ。絶対に刺すという、意思を持ったから。

 僕が、機械闘士だから。

 自らの意思で闘う。それが、機械闘士の在り方だから。

 心臓を破壊した手ごたえを感じる。突き刺した剣を抜き、次の攻撃につなげようとする。


 それと同時に、突然右半分の視界がブラックアウトした。相手のカウンターだ。僕の右の眼球が半分に割れて、地面に転がっているのを視界の端で捉える。

 視界は犠牲になったが、相手の動きを抑えることができた。後は、止めを刺すだけだ。


 決して油断をしていた訳では無かった。

 だが、そう思った瞬間、身体に衝撃が走った。


 僕は俯いて自分の身体を見て、驚愕した。

 相手の手刀が、僕の胸を貫いている。

 剣のように細く尖らされた左手の4本の指。面積を点に絞ることで、殺傷力を倍増している。失われた視界の方向からの攻撃に、僕はまったく反応することが出来なかった。

 心臓の破壊を告げる警告音が、僕の頭脳に鳴り響く。


 僕と相手は同時に動いた。

 先ほどまでとは比べ物にならないほど緩慢な動作。美しさの欠片もなく、醜く、弱く、どうしようもない。

 それでも僕らは、最後まで動きを止める訳にはいかない。

 それが機械闘士だ。

 闘わなければならない。勝たなければ意味が無い。

 ただそれだけ。それだけが僕らが存在する意味。絶対不変のルール。


 相手の両手が僕の首に向かって伸ばされるのが分かる。リーチは有利なはずなのに、僕は恐怖を感じながら必死に剣を伸ばす。

 剣先が首の皮膚に触れる。最新の科学技術を用いられて制作された皮膚は柔らかく滑らかで、人間に近くなりすぎて、逆に偽物のようだった。


 剣が貫通する。そのまま左に払う、頸部を切断した手ごたえを感じるが、未だ首の皮一枚で繋がっているのか、相手は未だ倒れない。

 僕の首に指が掛かった。細い白い指。10本のそれがばらばらに広がって、僕の首を包む。

 撫でるように触れた直後に、万力のような途轍もない力が掛かる。締め上げられている。警告音。意識がシャットダウンされる寸前。戦法も何も無い。

 がむしゃらに、もう一度、今度はさっきとは逆の方向に向かって、すべての力を掛ける。思い切り、薙ぎ払うように剣を振るう。間に合うか。分からない。どうなった。視界のすべてが白く発光する。意識が、落ちる。

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