最終試合:勝敗
ブザーが鳴った。けたたましい音だ。
控えめな歓声。拍手。
息を呑み畏れ慄く人間の声。
突然視界がぱっと開けた。
僕は自分の身体を見て、破け砕けた胴体、そして胸部の穴を確認した。
これはまた、修理に随分と時間が掛かることだろう。技術者たちが卒倒しているかもしれない。
僕は次に、フィールドを見回した。
見当たらず、視線を下げて、ようやく探していたものが見つかる。
足元、数センチメートルも離れていないところの地面に、それはあった。今まさに崩れ落ちたばかりの相手の身体。
それを見てようやく理解した。
ああ、僕は、勝ったんだ。
いつもならば、安堵と喜びに身体が震えるはずだった。
それなのに、僕の中には、もはや何も無かった。
内部機器のすべてが湧き上がるようなあの高揚感は無い。
少し遅れて、冷えた徒労感ばかりが僕を襲った。
勝利を理解したその瞬間に、こんな空虚を感じたのは、初めてだった。
もし、僕が闘ったのがあの伽藍であったならば。僕に敗けることなどありえない。首に剣が突き刺さるその瞬間か、それより前の瞬間に、どうあっても自爆していたに違いない。例え、爆発ができないように設定されていたとしても。
地面に転がっている首に視線を向ける。
硝子のように澄んでいるのに、何の姿も映さない瞳を見て思った。
やはり、これは伽藍ではなかったのだ。
分かっていたはずだった。それを証明したくて、僕は闘い、勝ったのだ。
それなのに。
僕は首から目を逸らした。顔を上げ、辺りを見回す。
人間たちが拍手をしている。歓声を上げ、笑っているのは螺鈿の整備員たちだろう。門沢が拳を突き上げ、何か言っている。
会場の後ろの方には、門沢の娘がいた。よく分からない表情で、こちらをじっと見つめている。僕では無くて、倒れ伏した「伽藍」を見ているようだった。
渋い顔、動揺した顔を隠せずに、忙しなく何かを話す人間もいる。新しい伽藍の制作者たちだろう。初試合で、格下の螺鈿に敗けるとは思っていなかったのかもしれない。
僕はもう一度、地面に目をやった。今度は首が離れた身体の方を見る。
糸が切れた人形のように、関節が妙な形のまま倒れている機械がそこにあった。さっきまであんなにも強かった闘士が、ぴくりとも動かない。
僕はこの機械に勝って、これが伽藍では無いと証明した。僕自身のために。
だが、人間たちにとっては、これが新しい「伽藍」になるのだろう。
螺鈿でも、他の誰でも、誰に倒されたところで、きっとそれは変わらない。
人間たちはこの「伽藍」を闘わせ、直し、闘わせ、直し、そしていつか壊れ、直せなくなったその時には、再び新しい「伽藍」を作る。無限にそのループが繰り返される。
これからも人間は「伽藍」を作り続けるのだろう。
分かっていた。当然のことだ。
では何故、僕は闘ったのだろう。
ひどく虚しい。
僕は何故、これが伽藍では無いと証明したかったのだろう。
どうしてこんなにも僕は孤独で、空っぽで、虚しいのだろう。
例えばここが体育館ではなく、アリーナやスタジアムで、今どれだけの拍手と歓声に包まれていたとしても、同じことを思っていただろうか。
何故だろう。
虚しくて仕方が無かった。この世界にはもう、伽藍がいないということが……
ああ。僕はようやく気付く。
僕は、伽藍と闘いたかったのだ。
これは伽藍では無いと思いながら、伽藍と違う箇所を数えながら、それでもずっと君の姿を探していた。
本当は、どんな形でも、伽藍と闘いたかった。これが、もしかしたら伽藍であったらと、きっとそう思っていた。
空っぽの僕の中には、こんな単純な願いしかなかった。
もしも、伽藍の自爆に巻き込まれるという名誉を得たのが、螺鈿であったなら。
全身全霊で闘って闘って、その末に伽藍が僕を壊してくれたなら。
僕が伽藍を終わらせることができていたのなら。
最後の瞬間に、あの美しい動作と、凄惨な笑みを目に焼き付けて壊れていけたのなら、僕はどれほど幸せだったことだろう。
今になって願いに気付いたところで、その願いはもはや叶いようもない。
僕は途方に暮れてしまった。
今までと同じに闘って、闘って、闘って。闘っている間はあんなにも幸福で、楽しくて。
でもきっと、ふとした瞬間に、どうしようもなく寂しくなる。虚しくなる。
それでいいのだろうか。分からない。僕はどうすれば良いのか、まるで分からなかった。
気付けば、僕は問いかけていた。
伽藍、僕は……
答えが返ってくるはずもない。
十分すぎるほどよく分かっていた。
この世界には、伽藍はもはや存在しない。
それでもなお、問いかける。
伽藍、僕はこれから、どうしたらいい?
「闘え」
僕は慌てて顔を上げた。
左右を見回す。人間の顔、顔、顔。笑ったり、眉間に皺を寄せたり、表情はさまざまだ。いや、違う。下を見る。機械はぴくりとも動かない。当然だ、完全に先ほど僕が破壊したのだから。
では、さっきの言葉は何だ。
確かに、聞こえた。
確かに、あの声は……
人間の群集に目を凝らす。いるはずがない。いるはずがないのに。
それでも僕には、伽藍の声が……
人間たちはこちらに背を向けて、ばらばらと撤収していく。
視線を忙しなく動かしていると、人波の中、ぽつりとひとりだけ、微動だにせずにじっとこちらを見ている人間を見つけた。
門沢の娘だ。今は、他のものを探さなければならないのに。それでも僕は、その人間から目を逸らすことができなかった。
どんな表情をしているのだろう。これだけ距離があると、うまく感情が読み取れない。しかし何故か、彼女は泣いていたのではないかと、そんなことを思った。
門沢の娘が、口を開く。ざわついた会場、たったひとりのその声が聞こえるわけもない。
けれども、僕には分かった。唇が細かに動く。言葉が紡がれる。
音の無いそれは確かに、あの聞きなれた声となって、僕の耳まで届いてくる。
「闘い続けろ」
ああ、そうか。
君はそこにもいたんだな。
すとん、と胸に何かが落ちた。
どうしてそんなことを思ったのかは分からない。
けれども、その声が聞こえたその瞬間、確かに僕はそう理解したのだ。
気付けば、門沢の娘は人波に紛れて、姿が判別できなくなっていた。
何故門沢の娘が、あんなことを言ったのか。いや、そもそも、本当に言ったのだろうか。僕の空想ではないのか。そんなことを考えても、僕には何も分からないのだ。
本当にいつでも、分からないことばかりに囲まれて僕は存在している。
何を見ても、考えても、ずっとそうだ。伽藍、いつだって君ばかりが教えてくれていた。
でも、それで良いのだと今は思える。
こんな僕でも分かっていることが、ひとつだけあるから。
何度も言い聞かせた言葉を、僕は再び思い出す。
機械闘士は、勝たなければならない。勝てなければ意味が無い。
では、勝つこととは何なのか?
きっと、勝つことは、闘うことだ。闘い続けることだ。
だから僕は、闘うのだ。
僕は、機械闘士だ。
今までもこれからも、何があろうと変わらない、それだけが真実だ。
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