恐怖

 今日は、次の試合に向けてボディのメンテナンスが予定されている。

 まだ1時間早いが、メンテナンスの準備を見学しようと僕は思い立った。

 螺鈿という機械のメンテナンスに使用するために、また別の機械のメンテナンスが行なわれているところを見るのは、何故か無性に面白いからだった。


 他の機械を見ていると、「自分」も含めて、機械のことを客観的に見ることができるような気がする。

 機械を見ていて、自分がどんな思考を持っているか。

 今、自分が何を考えているかモニターし、気づく。

 その気付きは人間で言う「メタ認知」に近いとされ、自分の存在について考える上で重要な概念だと、本棚の30番目の本に書いてあった。


 僕は未だに、自分が何なのか、考え続けている。

 それでも、以前に比べると、そうしている時に絶望するような感覚を抱くことはほとんどなかった。それはきっと、伽藍の教えのおかげだろう。



 廊下を歩き始めると、妙な感覚にとらわれた。

 上手に言語化できない。

 内部ソフトウェアの故障か。自身の思考を確認する。いや、違う。

 僕ではなくて、僕を取り巻く環境が妙なのだ。

 僕を見る人間の目が奇妙だった。

 気まずそうに目を逸らしたり、不安げな顔をしたり。まるで僕が試合に敗北した翌日のようだった。だが、最近にそんな事実はない。


 整備室を見に行けば、僕をそんな顔で見てくる人間はいなかった。

 代わりに、仕事をしている人間すべてがこわばった顔をして、慌ただしく動いている。

 落ち着きがなくきょろきょろと視線を動かしている人間。大声で指示を飛ばしている人間。

 これではまるで、僕が小型ナイフ・体術混合型機との試合に負けた時、それも大部分が損傷して修理に5か月以上はかかると分かった時のようではないか。

 あの時は同胞も折れたので、本当に人間たちは業務が大変だったのだと門沢が言っていた。


 そんなことを思い出していれば、門沢を発見した。

 廊下で、二人の部下と話をしている。門沢と同じで、部下の人間も僕の機械整備の担当チームの人間だった。

 門沢は、いつも以上に疲労困憊で、くたびれたと全身から語っているような様子だった。


「なぜこんなに騒がしいのか」

 僕がそう聞くと、人間たちはぎょっとしたように僕を見て、顔を見合わせた。

「やあ、どうしてここに……?」

 門沢が下手な笑顔を作りながら言った。

「1時間後にメンテナンスがある。メンテナンスの準備をしている機械の見学に来たところだ」

「ああ、そうだったよな……すまない、今日は、メンテナンスは中止になりそうだ」

「中止? 機械のトラブルか?」

 門沢は何かを言いあぐねている様子だった。代わりに、別の人間が応えた。

「……いや、技師が別の仕事に駆り出されるんだ」

「そんな事態は今まで経験したことが無い。人間たちの様子も奇妙だ。余程の緊急事態があったのか?」

「それは……」

 人間たちは全員とも黙りこくってしまった。

「何故黙っている」

 聞いても視線をさまよわせるばかりだった。

 これは、かなりのトラブルが発生したのではないかと僕は推測した。

 企業の全てのインターネットがハッキングされたとか、重要なデータが消失したとか。企業の倒産や、戦争、大災害が起きたということもありうるだろうか。


 すると、門沢が突然、がばりと顔を上げた。

「……いや。説明するよ」

「門沢さん! しかし……」

 部下たちが止めようとするが、門沢は首を振った。

「歪められた情報に突然晒されるよりも、ちゃんと事実を知るべきだ……上には後で報告する。螺鈿、こちらへ」

 門沢が僕を「螺鈿」と呼ぶのは珍しい。

 門沢は以前、自分が職業人として、企業の人間として僕と対話する必要がある時には、けじめとして正式名称を使うようにしているのだと胸を張っていたことがあった。

 今回のトラブルには、機械闘士の「螺鈿」が関係しているのだろうか。


 門沢は、僕を小型の会議室に連れていった。

 白い部屋だ。壁も机も何もかも。この建物の中にあるのは、白い部屋ばかりだ。

 人間は他人と会話をする時、こんなにも刺激を排した部屋でなければならないとは、余程集中力が欠けやすいのだろう。


 門沢は、まるで虚勢を張っているかのように、勢いよく廊下を歩いていたが、部屋に入るなりふらふらと椅子に座りこんだ。

 僕は対面の椅子に掛けるように促され、従った。

「昨日、伽藍の試合があったことは知っているね」

 知っていた。昨日、そんなことを考えながら閲覧室で伽藍の試合を見ていたのだから。


「単刀直入に言う。伽藍が試合で……自爆したんだ。相手を巻き込んで。相手も伽藍も、粉々に砕けた……元通りの修復はもはや、不可能だろう」



 理解できなかった。

 僕は何度も、門沢の言葉を自分の中で復唱する。


 伽藍が自爆した。

 粉々に。

 修復は不可能。


 伽藍が。

 あの伽藍が。

 伽藍が?


「伽藍が、勝てなかったと?」

 敗ける、だなんて。

 言葉を使うことすら恐ろしいのに。

 そんなこと。

 あり得るはずがない。

 到底信じられない。

 何かの間違いではないか。



 門沢はふっと、場違いな、何かを悟ったように小さく笑った。奇妙な笑いだった。

「やはり、君たちは……いや、そういう風に作ったのは、僕たち人間だったか」

 門沢は、淡々と何かを説明していた。


 相手は最新機で、スペックが機械闘士の中でも最高峰だった。一度目の敗北を踏まえて、伽藍を研究し尽くしてきていた。

 それでも皆、最後に伽藍が勝つと信じて疑わなかった。

 それなのに。両者が接近し組み合いになったその時、伽藍は自らの腹部を切り裂いて、機械部分を引き出すと……


「怪我人こそ出なかったが、一歩間違えれば大事故になりかねなかった。会場は大パニックさ。一夜明けた今も、世界中でとんでもない騒ぎになっている。前代未聞だよ。機械闘士、それもあの伽藍が、自分の身体を弄って自爆機能を獲得していたなんて……」


 当然、機械闘士に自爆機能を付随するなどあり得ない話だった。

 しかし、世間は、企業が伽藍にわざと「自爆させた」と考えるかもしれない。

 機械闘士が自分の意思で、技師にも秘密で自爆機能を完成させて使用することの方が、余程あり得ないことだからだ。


「技師も職員も総出で、伽藍の修復と、マスコミ、対戦相手サイドへの対応に追われている。だから、君のメンテナンスどころか、試合もしばらくは実施できないと思う」


 顔を青くして、門沢がこちらを不安そうに見ている。

 僕は立ちあがった。もうこれ以上、何も聞きたいと思えなかった。

 僕の背中に向かって、門沢は小さな声で語り掛けた。

「レフェリーは、試合を機械トラブルによる両者の引き分けと判断したそうだ。自爆なんて今まで想定もされていなかったから、ルール違反ですら無かったんだ」


 伽藍の無敗記録は守られた、ということだ。

 しかしそれを知っても、僕はそれほど嬉しいと感じなかった。

 無敗記録の為に失った犠牲にしては、余りにも大きすぎる。


 伽藍がいない。もういない。

 壊れてしまった。


 本当に? 勝てなかったと? 

 そんなこと、到底受け入れられない。ありえない。

 人間が嘘をついていると考える方が余程容易い。

 だって、伽藍はあんなにも強いのに。

 勝てる相手など、もうずっと、ひとつも現れなかったのに。

 あれほどに美しく動く機械は、世界中どこにもいないのに。

 今だって、「人間共が何やら騒いでいるな」とあの嫌な笑いを浮かべて、そこの廊下に現れるのではないかと思うのに。


 いつものように相手を圧倒して、粉々に打ち砕いて、がんがんと鳴りやまない歓声の中で拳を突き上げて。

 それが伽藍、世界で一番強い機械闘士だ。

 そうでなければ、あの歓声の中、勝利してひとり立っているのでなければ、それは伽藍ではない。


 伽藍は伽藍で無くなってしまったのか?

 修復できない。直らない。それはどういうことなのか?


 消えてしまったのか? もうこの世界の何処にもいないのか? それが「死ぬということ」なのか? 機械なのに? 何故直らない? 伽藍ほど有名な機械なら、部品はいくらでもスペアがあるはずなのに? データのバックアップはどこに?


 分からない。何も分からない。

 怖い。


 敗けること、闘えなくなること、それを考えた時と似ているが全く違う、しかし同じ「恐怖」という言葉が思考からせりあがってくる。

 視界のすべてが深い霧に覆われて、何も見えず、何も感じられない。


 分からない。何もかも。

 何もかもが理解できない。

 僕の中の何かが、すべてが無くなってしまった。

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