残酷

 自然と足が止まることはなく、僕はあてもなく歩き続けていた。

 薄暗い廊下に、明度の低い、鈍い光が差していて、僕は立ち止まる。

 右手にガラス扉があって、そこから漏れてくる光だった。


 扉の向こうには、小さな中庭がある。

 僕は、ガラス扉を開けて屋外に出た。


 薄暗い曇り空と、寒々しい枯草色のやせた芝生が広がっている。

 思ったよりも狭く、庭というより箱庭と言った方が良いほどだった。

 入口以外の三方向はコンクリートの壁に覆われているから、余計に狭く感じるのかもしれない。その壁を覆うように、背の低い木や草が茂っている。


 やはり、伽藍はそこにいた。

 何故、やはり、なのかは自分でもよく分からない。

 気まぐれな伽藍に、意図して会える確率はそう高くないのに。

 人間は自分の期待や希望と予測を、時に混同するという。

 僕は、伽藍と話したいと考えていたのだろうか。伽藍がここにいてくれたらいいのにと思っていたのだろうか。

 混乱の極致にいるせいで、何もかもがよく分からない。


「門沢と話していたな。聞いたのか?」

 僕は頷いた。どこで知ったのかは分からないが、やはり伽藍は耳が早い。

 伽藍はいつものように、小馬鹿にしたように言った。

「全く傍迷惑な話だ。馬鹿な人間ひとりの責任を、我々機械闘士に負わせようなど。人間は本当に愚かなものだ」

「……君は、あの事件は、僕たちには全く責任が無いと考えているのか?」

「責任も何も、例の事件は我々と関係も無い。人間同士の愚かな争いと我々の試合は全く違う」

 いつものように伽藍はにべもない。


 僕は、門沢の娘の話をした。

 伽藍は珍しく興味を持ったようだった。

「あのつまらなくもない人間が被害者だったとは。また遊びに来るなどと言っていたが、もう見かけることもないかもしれんな」

 伽藍は残念そうでもなく、淡々とそう言った。

 もし人間が伽藍のこういう面を見たら、きっと冷たいだとか不謹慎だとか言うのだろう。

 だが、あの伽藍がわざわざ人間に、つまらなくもない、なんて修飾語をつけること自体、非常に稀なことである。

 伽藍は門沢の娘を気に入っていた、とは言いすぎかもしれないが、少なくとも嫌ってはいなかったのだろう。


 ただ、伽藍にとっても、そして僕にとっても、自分に身近な人間が傷ついたとして、それが試合とまったく関係のない負傷であれば、試合へのモチベーションに何の影響も及ぼさない。

 知人か知人でないか、ではなく、ただ試合に関係があるか。それのみが重要である。そのはずだった。


「僕は……僕は分からない。門沢の娘をはじめとする、大勢の人間が傷つけられた。多くの人間は、事件が試合のせいで起きたと考えている。機械闘士の試合と、事件の暴力を同質なものだと誤解しているからだ。この問題は本当に、機械闘士には関係ないことなのだろうか」

 伽藍はふんと鼻を鳴らした。

「誤解。誤解ねぇ。誇り高き機械闘士が、まるで人間のようなことを言う。そんなことを考えるのは時間の無駄でしかない。我々にとって意味があるのは、現状、試合が行われていないという問題だけだ」


 確かに、伽藍の言うことは正論だった。

 機械闘士は試合のことだけを考えていれば良いのだ。

 そんなことは、僕だって十分よく理解していた。

 しかし、一度こうして事実を知ってしまった以上、僕はこの事実から目を背けることができそうにない。


「だが、このままでは機械闘士が暴力的な存在なのだと誤解されたままだ。僕達は試合という決められた場所、決められたルールの外で、進んで他を傷つけるような真似はしない」

「だから人間の誤解を解くと? 人間は我々の言葉に耳など貸さない。我々を人間より劣るただの機械と侮る奴らを、一人説得するためにどれほどの時間を費やすつもりだ? そうまでして人間の誤解を解くことに、一体どれほどの利点があるか」

「しかし、このまま放置しておくには問題があるはずだ。現に、ここしばらく試合は行われていない。試合を再開するためには、人間の支援が必要だ」

 伽藍は僕の言い分を否定しなかった。

 伽藍は苦々しい表情で、ガラス扉の向こうを見つめた。

 廊下には人影もないが、伽藍はその空間を睨みつけている。

 人間がいなければ試合ができないことの何と忌々しいことか。

 伽藍がそんなことを考えているのだろうと、僕にはよく分かった。


「……僕は、試合が人間に与える危険性を知ってしまった以上、今まで通りにただ闘っていても良いものかと疑問を抱いている」

 伽藍は、途端に大げさに驚いた顔を作ってみせ、いつものような皮肉な笑いを浮かべた。

「闘っていていいのか、だって? それこそ愚かな問いだ。我々は機械闘士だ。闘わない闘士に何の意味がある?」

 その通りだった。試合をしない機械闘士なんて、全くのジャンクでしかない。役目を果たさない機械は不要。当然のことだ。

 しかし、それでも僕の中で、このままで良いのかという疑問は消えない。


「僕は今まで、試合は人間を喜ばせるものだと思っていた。それなのに、試合を憎み、試合のせいで傷ついた人間もいるなんて、考えたこともなかった……」

 ニュース映像で流れた、人間たちの怒りの表情。門沢の悲しみの表情。

「僕は理解できない。何故人間は、試合でも無いのに他の人間を蹂躙するのか」

 何故強いもの同士で闘わない。何故弱いものばかり狙う。

「流石、箱入り闘士はお優しいことだ。今まで人間の醜さに気付かされた経験が一度も無かったとは驚きだね。世間知らずのお前に良いことを教えてやろう」


 伽藍はこれ以上ないほどの満面の笑みを浮かべる。

 それでも、伽藍は全く楽しそうではなかった。

 細められた瞳は何も映さない、ただ無機質なガラス製の眼球がはまっているだけ。


「人間は残酷な生き物だ」


 人間のように瞳の奥から生まれる光が無いからか、平面的にすら見える眼球がぎょろりとこちらを向く。

 伽藍は、虚ろな笑顔で滔々と並び立てる。

「海外の恵まれない子供に涙した五分後には、近所の薄汚れた浮浪者に唾を吐きかける。金のある犯罪者を優遇し、罪もない被害者に落ち度があったと責め立てる。一度自分に正義があると思えば、簡単に他人に死ね殺すと暴言を浴びせる。自分より劣る存在と見なしたものを騙し、蹂躙し、嘲笑する」

 人間は誰しも残酷に成り得る。

 それなのに自分の残酷さから目を背け、そんなものが存在しているはずがないと否定し続けている。


「それが人間の本質だ。どれだけ外皮を取り繕っても、中身は弱く愚かで残酷、それが人間という生物だ」


 僕は、人間のことをよく知らない。いつだって分からないことばかりだ。

 でも伽藍は違う。時折こうして、人間がいかに愚かか、僕に説明してみせるほどには、人間のことをよく知っている。


 伽藍は僕よりも随分と長く、この世界に存在していた。

 機械闘士が機械闘士として認められる以前のその時代で、伽藍は一体何を見たのか。僕には分からない。

 ただひとつ確かなことは、伽藍は人間のことをよく知っていて、人間のことが大嫌いだということだ。知っているからこそ、嫌いなのかもしれなかった。


「試合が有ろうが無かろうが、人間は事件を起こす。今回の件も結局、残酷な本性を隠せなくなった人間が、責任を我々に押し付けただけのことだ」

「……確かに、人間の本質は残酷と言えるかもしれない。他でもない、人間をよく知る君の思考だ。間違いはないだろう。だが、僕らが、人間が普段隠していた本質を表現させる、その引き金にはなったかもしれない」

 僕はまだ食い下がった。


 もはや、納得できる答えが見つからないことはよく分かっていた。人間の本性に、唯一絶対の解は存在しない。

 それでも伽藍に問うたのは、僕が彼女の考えを知りたいと思ったからだった。


 伽藍は作り笑顔に飽きたのか、表情を一瞬で白けさせると、「考えてみろ」と言った。

「もし仮に、犯人の『機械闘士のようになりたい』が事実だったとして。本当に我々のようになりたければ。圧倒的な強さを手に入れたければ。強い相手と闘う必要があると理解することは、素人にも難しくない。では犯人は、何故女や子供、自分より弱いものばかり狙ったのか?」

 僕は、伽藍の言わんとすることを理解した。

「犯人は、本当に機械闘士のように強くなりたかったわけではない。自分は強いと錯覚するために、必ず勝てる相手を狙った、ということか」

 伽藍は肯首して、さらに付け加えた。

「それどころか、『強さ』などではなく、ただ暴力を求めていただけとすら思える。『誰でも良いから殺したかった』は下らない人間がよく言うセリフだろう?」

 その通りだった。「誰でも良い」という人間が狙うのはいつも、子どもや女性や老人、そういう存在ばかり。例えば屈強な人間に正面切って立ち向かうような真似はしない。


「結局、人間は勝てる相手にしか力を向けないということだ。それは闘いと呼べる代物ではなく、ただの暴力だ。だが、我々は違う。英知と技術の上に生まれた、ただ闘いの為に生きる崇高な存在。それこそが機械闘士。機械闘士こそが、真の闘いを生む」


 機械闘士至上主義ともいえる伽藍の言葉は、激しく高慢なものだった。

 しかし、その言葉はどこか淡々とした、諦念を含んだもののように僕には思えた。

 きっとそれは、伽藍が無機質で空虚な表情をしているからだ。

 人間にとっては、伽藍のこの表情は酷く冷たく恐ろしいものに映るというが、僕にとっては何故かこちらの方が自然で、落ち着くほどだった。

 人間がなぜこうも表情に拘って僕らを制作したのか、理解できる気がした。言葉の内容だけでは分からない思考が、顔にこんなにも豊かに表現されるとは。


 伽藍は気を取り直したように、再び、ねっとりと口角を上げて、意地悪そうな笑顔を作って見せる。

「だから結局、お前にはそんな無駄なことを気にする時間はないんだよ。分かっているだろう? 余計なことを考えていれば敗ける。敗ける機械闘士に価値は無い……剣を折った試合を思い出せ。あんな惨めな試合を、もう一度見せたいのか?」

「……二度と。あんな試合はしたくない」

「ではこの話は終いだ。これまで何度も同じような事態はあったが、その度に企業は誤魔化して忘れさせてきた。原因が同じだと分かった今、時間は掛かるかもしれないが、いずれ試合は再開される。その時まで備えておけ」


 伽藍は踵を返すと、室内への扉へ向かった。話すことが無くなれば帰る、いつものことだった。

 だが、予想に反して、伽藍はドアノブを握ると、僕の方を見もせずに唐突に言った。

「あいつはつくづく気の回らない男だよ。娘は、父親が自分の被害を他人に話していると知ったら、気分の良いもんじゃないだろうさ」

「門沢のことか。僕たちは人ではないから、許されると判断したのではないか?」

 僕の返答には答えず、伽藍は続けた。


「知られたくないこともあるだろうってことさ。そもそも、自分の娘が傷つけられるまで、傷つけられた人間のことを考えもしないとは。門沢が反省するために、あいつは傷つけられたわけではないだろうに」

 そうして伽藍はドアを開けると、室内へ戻っていった。


 乾いた足音がドア越しに廊下から聞こえて、やがて何も聞こえない。

 僕はまだ中庭に立ち尽くしていた。

 ふと、目の前を小さな蝶が横切っていった。

 僕は手を伸ばす気も起こらず、その姿を見ていた。

 頼りなくふらふらと飛んでいき、やがて壁に切り取られた四角い空からは見えなくなった。

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