門沢、再び

 門沢は、スタッフルームの隣のミーティングルームを借りた。

 白い壁、ホワイトボードに白い机、白い椅子。部屋の半分以上が白い部屋だった。

 とにかく、冷静に。シンプルに。そんなメッセージが感じられるような部屋だ。


 門沢は椅子に座り、僕にも座るように促したが、僕は立ったままだった。

 人間はすぐに座りたがるが、僕は無駄な動きをすることを好まない。一刻も早く話をするためには、座る時間も惜しいと判断した。


「閲覧室でニュースを見た。機械闘士の映像を見たことがきっかけで罪を犯した人間がいると話題になっていた。貴方の娘が被害者になった事件のことか?」

「……ああ、そうだ」

「試合が行われなくなったことも、この事件が原因か?」

 門沢は静かに頷くと、説明を付け加えた。

「マスコミは、機械闘士が青年の攻撃性に影響を与えたのだと報道した。今や、機械闘士の業界に市民が向けている怒りは凄まじい。最近、試合が行われないのも、イベントやプロモーションの仕事がないのもそのせいだ」


 僕は混乱した。

 僕はいつでも、闘うことが人間を喜ばせるのだと思っていた。

 望まれるから試合は存在するのだと思っていた。

 それなのに、僕の試合が、人を傷つけている。憎まれている。

 試合のせいで、人間の間で無駄な争いが起き、治らない傷を負うものがいる。

 そんなことは、まるで考えたこともなかった。


 しかし、僕は知っている。

 人間の世界には、暴力的なもので満ち溢れている。自ら暴力的で血生臭いものを創り出していると言っても良い。

 そして、暴力的な映像を日常的に見ている人間は、より暴力的な存在になるか。

 この問題は、常に多くの人間の関心事だった。


 長きにわたり、様々な人間が、様々な研究成果を発表しているが、決定的な答えは出ていない。僕の本棚の中だけでも、そういった研究や主張はいくつも登場した。

 それらの理論の背景にあるのは、人間は他の人間の行動の真似をして発達し、発展してきた生物だということだ。

 単純に考えるのであれば、他の人間同士の暴力を見ながら育った人間は、自身も同様の暴力を他者に行うだろう。

 その暴力的な映像が与える影響がどの程度なのか、映像の内容や視聴者自身の性質によって異なるから、この論争はいつまでも決着がつかない。

 機械闘士は、そういう人間の動作や思考を真似して作られた。

 動作、知識、全ての学習を、人間を通して行っている。

 では、人間が機械闘士の真似をすることもあるのだろうか。

 考えたこともなかったが、機械闘士が人間に極めてよく似た形態をしている以上、そういう奇特な人間がいることは、あり得ないことではない。

 そもそも、人間はあらゆるものを模倣する奇妙な生物なのだ。


「人間は、いつか、このような事件が起こるという危険性を予測していなかったのか?」

 門沢は押し黙った。

 僕は自分の中で最も良くない予測が当たったことを予感した。

 予測していなかった、できなかった、のではなくて。

 予測はしていたけど、無視をしていた。見ないふりをしていた。


「……知っていたよ」

 知っていた、という言い方は妙だった。門沢は、「予測していた」と答えるべきだった。

 まさか。僕は愕然とした。

「このような事件が起こるのは初めてではないのか」

 門沢の沈黙は、僕の問いを肯定しているようなものだった。


「人間は、事件が起こると分かっていて、ずっと試合を行ってきたのか。何故、今まで黙っていた。何故、僕達に何も言わなかった」

「これまでずっと、機械闘士には余計な負荷を掛けないようにと、箝口令が……でも、本当に君たちが気にすることじゃない。これは、人間の問題なんだ」

「当たり前だ。僕達は試合以外では一切何も傷つけはしない。そんなことは無意味だからだ。人間とは違う」


 試合以外で闘って何の意味がある。

 それこそ、書籍を読みながら、常日頃から僕が抱いていた疑問だった。

 歴史でも文学でも、人間はいつどこでも他者と争う生物だった。


 自分の思考を言葉に変換して、人間に説明することは非常に難しい。それでも、僕は自分の思考を門沢に説明しなくてはならない。

 僕は、擦り切れそうなほど思考を回転させて言葉を紡いだ。

「だが、人間の一部には僕達が暴力的な存在に見えており、本質を違えた、機械闘士の形ばかりの真似をする人間がいるという事実がある。他の人間は、その愚行を犯した人間だけではなく、機械闘士を憎んでいる。愚かな人間のせいで、人間は機械闘士を誤解している。もはやこれは、人間だけの問題ではない」

「……そうだな。その通りだよ。本当は、もっと早く君たちに話すべきだった……でも本当に、最近まで、そんな批判は取るに足りないものだと思っていたんだ。こうなってさえ、未だにそう思っている社員もいる」

 門沢は、僕の言葉に頷いてばかりいる。以前のような元気はない、弱り切った様子だった。


 僕は黙って門沢の言葉を待ってやった。

「少し前の私なら、今回もまたいつもの過熱報道だと、高をくくっていただろう。不安や怒りに踊らされる人たちを愚かだと思っただろう。だって、暴力的な映像は、この世界に数えきれないほどあふれている。なぜ私達だけが責められなければいけない? 表現の自由は? そもそも、反対運動やメディアこそもっと暴力的じゃないか?」

 僕は今まで公式のように繰り返していた、僕らの存在理由を、ようやく真に理解した。

「……人はどこかで暴力的なものを望んでいて、求めている。だから僕たちは存在する」


 機械闘士の試合を見ることで、人間は暴力性を昇華して社会に適応できる。

 本当にその結論が正しいことなのか、もはや僕にはわからない。

 門沢は「人間の本質は、暴力的なものなのかもな」と呟いた。


 そして、諦念を含んだ溜息をつく。

「……身近な人が被害者になって、初めて気付かされた。自分のこれまでの考えがどれほど浅はかだったか、自分の仕事が誰かを傷つけているかもしれないという視点が、どれほど欠けていたか……被害者の人たちは、僕や機械闘士を見るたびに、事件のことを思い出すのかと思うと、やりきれないよ」


 僕はもう、この部屋にいたくないと思った。

 もうこれ以上、知りたい情報は無い。

 何より、自分自身だけで思考を整理する必要があった。

 僕は門沢に背を向けて、ドアノブに手を掛けた。


 だが、門沢はまだ、僕の背中に向かって、問いを投げつける。

「君は賢い。人間よりずっと賢い。人間とは違う視点で、人間を観て、思考することのできる、この世界で唯一の存在、それが機械闘士だ」

 僕は興味も無かったが、礼儀として振り返る。

 門沢は切羽詰まったように額に汗を浮かべていた。

 それでも、黒々とした瞳だけは、どこか夢見るようにぼんやりとしていた。

 まるで、僕が門沢にとって素晴らしい答えを用意してくれると信じているかのような。

 時折人間はこうして、僕等を神のような存在とみなし、恍惚とした目で見つめようとする。

 僕達を生み出したのは人間であるのに。

 ただの機械が、人知を超えた存在であるわけがないのに。


「君はずっと、闘うために生きていると言って変わらない……なぁ、君は、こんなことがあったとしても、闘い続けるんだろう? 何故なんだ? 何が君をそうさせる? 本当に、闘うことが正しいことだと思うか?」

 僕は何も答えず、部屋を後にした。

「……君が、私たちが今までやってきたことは、間違いだったとは思わないのか?」

 どうして人間は、ただの機械にありもしない答えを求めるのか。

 僕達機械闘士は、時折人間にひどく落胆させられる。

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