憎悪

「評判だったそうじゃあないか」


 訳知り顔でにたりと笑う伽藍に、僕は頷いた。

 伽藍と廊下で偶々出会って、いつも通りに意地悪く話しかけられたのだった。

 僕がこれまで出場した試合の中で一番反響が大きく、興行収入の最高記録を更新したのは、例のフェンシング型同士の対決だった。

 意外にも思える結果だったが、やはり機械の特性を一番活かせる試合が、一番機械闘士を輝かせるということだろう。

 因みに、僕が1試合を終えて、治療という名の修理を受けている間、伽藍は何と3試合に出場し、そのすべてに勝利していた。


「フェンシング型同士の試合は初めてだったので、非常に興味深かった。良い技術を持った機械闘士と闘うことができた」

「負けた奴に、良い技術も何もないだろうさ。機械闘士は敗けたら終わりなのだから」


 伽藍は相変わらず、にべもない。

 伽藍の言っていることは機械闘士として十分すぎるほど、正しい。

 だが最近、僕は時折、その考えが恐ろしくなり始めてもいた。

 伽藍とは違って、僕は誰に対しても勝ち続けることなど出来そうにもない。

 いつだって勝つことだけを目標に、学び準備をするが、それでもどうしても埋められない差はある。


 敗けると身体どころか内部のデータまでもが粉々になったような気分になるし、もう二度と闘うことができないような、勝つことなどできないような気持ちがする。

 それでも僕は闘い続けなければならないのだ。どれだけ惨めに敗けようと、止まることはできない。

 だが、伽藍は敗けたら終わりだという。もしも終わってしまったら、どうやって闘い続けたら良いのだろう。


 そういえば、伽藍はどうして、僕が敗北した時も、いつもと同じように話しかけて来たのだろうか。

 敗けるような機械に、興味は持たないはずなのに。ふと疑問に思う。


「試合の評判だけじゃない。お前、人間から随分もてはやされているそうじゃないか。門沢の奴なんて、泣いて喜んでいたらしい」

 伽藍がからかうようにそう言って来たので、僕はしっかりと言い返した。

「それは別に、僕が望んだことではない」

「望んでない? 本当にそうか? お前はずっと、人間なんぞに理解されることを望んでいた。人間共はあのインタビューの『胸を打つ一言』のおかげで、『機械闘士も人と同じ心を持つことが証明された』ともっぱら噂しているそうだ」

「僕は、たったの数十秒の話だけで、人間が僕を理解したなどと思ってはいない。機械闘士を理解することとは、対話をすることではなく、試合を見ることだろう」


 意地悪く笑っていた伽藍も、これには満足げに同意した。

「当然のことだな。ま、人間の中には、お前のことを、企業の人気取りのためにお膳立てされたセリフを言った『企業の犬』と考えている輩も多い。やはり人間の言うことなんざ、無視するに限る。お前もそれがよくわかっただろう?」

「……君の言う通り、僕には、闘うことしかできない。それが機械闘士だということも、理解している」


 伽藍がますます口角を上げて、何か言葉を発そうとする。

 だが、僕はそのまま話を続けた。

「しかし僕は、機械闘士のせいで傷つき苦しむ人間が存在するということは、ちゃんと知っておきたい。覚えておきたい。そのことを抱いたまま、闘っていきたいと思う」

 僕がそう言うと、伽藍は突然眦を吊り上げた。

 とても美の象徴とは思えないような、恐ろしく醜悪な表情になる。

 人間が伽藍のこの顔を見たら、腰を抜かすのではないだろうか。


「はあ? 何だそれは。お前がその事実を抱き続けたとして、一体何になる。神か聖人君子にでもなったつもりか? お前の試合が傷ついた人間の力になるとでも? 勘違いも甚だしい」

 伽藍は、いつものような取ってつけたような猫撫で声を止めた。

 それほど声域は広く設定されていないはずだが、初めて聞くほど低い声がする。

 いいか、と言って、伽藍は僕のユニフォームの襟をつかむ。


「我々が何を考えようと感じようと、それが人間に届くことは無く、ましてや人間を変えることなど出来やしない。機械闘士を憎む人間なら尚更だ。であれば我々機械闘士が、人間の事情を考えてやる必要などない」


 強い情動。激しい憎しみ。

 こちらを睨みつける瞳から、ユニフォームが皺になる程に握る手から、濁流のように押し寄せる。

 これが人間ではなく、機械闘士の、それもあの伽藍から発せられたものとすぐには理解できず、少し混乱した。

 しかし、だからこそ、これが伽藍の強さの源泉なのかもしれないと、ふと気づく。

 試合以外の場所でこれほどに燃え上がるものを、僕も、他の機械闘士も持っていない。


「君がそう思うなら、伽藍はそうしたらいい。僕は、そう割り切った在り方はできなかった。それだけのことだろう」


 伽藍は微動だにせず、こちらを睨みつけたままだ。

 伽藍の焦茶色の瞳の中に、僕の影が揺らめいている。

 いや、本当に僕の影なのだろうか? 余りにも形が無く不明瞭だ。これは、僕ではない。


 唐突に僕は理解した。

 伽藍は、僕を見ているのではない。僕の中になにかを見たのだ。

 伽藍が憎んでいるのは僕自身ではない。

 僕のなかにある、人間のことを考え共にあろうとする何か。その何かを激しく憎んでいる。


「伽藍、君は何を憎んでいる? 何故君は、それほどまでに人間を嫌う?」


 伽藍の試合を何度傍観者として見ていても、そのことだけはわからない。

 機械闘士を理解することは、試合をすること。

 だが僕は、伽藍と試合ができない。

 できたとしても、相手にならないほど僕は弱すぎる。

 だからこそ、まるでただの人間と同じように、こんな陳腐な言葉を使って問うことしかできない。

 伽藍の中にある強いなにか。

 僕はそのなにかを知りたいと思った。それを理解することができれば、僕ももっと強くなることができるだろうか。


 伽藍は不快そうな素振りをしてぐっと唇を引き結ぶ。返事はやはり無い。

 襟から手を引き剥がすようにして、踵を返した。

 荒々しく足を踏み鳴らしながら歩いていく背中が見える。

 あんなに機嫌の悪い伽藍は初めて見たかもしれない。

 あんな姿を一目でも見た職員たちは、廊下の端から端まで蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げていくことだろう。機嫌の悪い伽藍に絡まれることを、何よりも恐れている人間は多い。



 僕は、伽藍の機嫌を損ねたことを残念だとも怖いとも思わなかった。

 そう簡単に、答えを知ることはできないだろうと分かっていた。

 またいつか、聞けることもあるはずだ。伽藍の機嫌も、そのうち直る。

 僕たち機械闘士は、人間のように多くのことに執着することはない。

 それは僕たちが機械だからということもあるし、試合のことを考えるだけで十分だということもある。

 むしろ人間の側が、自身の生命の持ち時間の短さと比べて、欲望や執着が酷く大きすぎるのだ。


 僕らの時間は永遠とも言えるほどに長い。

 試合をして、壊れて、直して、また闘う。

 古い部品を取り換えて、データを引き継いで、何度も何度も繰り返す。

 その狭間でなら、またこうして伽藍と語らう時間もあるだろう。

 僕は伽藍の消えていった方に背を向けて、歩き出した。

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