勝てない理由
僕が思考し悩んでいる間にも、次の試合が決定した。
相手は、日本刀を使う機械闘士だ。この国ではそれほど珍しい型とはいえない。
日本由来の武道である、剣道や柔道をメインに据えた剣闘士は、世界でも人気が出やすいとされ、機械闘士の定番だった。
その一方で、機械闘士たちの差別化が難しくなり、様々な意味で生き残りを懸けた熾烈な争いを繰り広げているという。
試合の日程が決まれば、機械闘士は当日までひたすらラーニングを実施し、戦闘に備えることになる。
ラーニングは主に、相手の試合データの分析と、有効な戦法のシミュレーションだ。
それに伴って、自分に足りない技術や動作を洗い出す。そして、機械闘士だけでなく、人間の選手や格闘家の動作データをトレースし、完璧に再現できるようにする。
併せて、ボディや使用する武器の調整も欠かすことができない。僕は前の試合で、これまでずっと使用してきた剣を破損してしまったので、メンテナンスは特に重要になる。
時間はいくらあっても足りない。備えること、やるべきことはいくらでもあった。
それなのに、僕の頭脳には無駄な思考ばかりがひっきりなしに侵入してくる。
……僕はもう二度と、試合に勝つことができないのかもしれない。
……剣も折れていなくなってしまった。あの剣が無ければ僕はきっと勝てない。
……試合に勝てなければ、一体僕は何の為に存在しているのか。
……勝てなければ僕には、何の価値も無い。
……僕もあの日に壊れてしまえば良かったのではないか。
僕は身体感覚に意識を集中して、思考を振り払おうとする。
マルシェ、前へ。アロンジェブラ、腕を伸ばす。踏み込み、ファンデブ。オンガード、元通りに構える。もう一度、最初から。同じように繰り返す。
マルシェ、アロンジェブラ、ファンデブ。オンガード。
フェンシングの基本動作を身体に浸透させる。
慣れた一連の動作は僕の思考を落ち着かせる。
マルシェ、アロンジェブラ、ファンデブ、オンガード。マルシェ、アロンジェブラ、ファンデブ、オンガード。マルシェ、マルシェ、アロンジェブラ、ファンデブ、オンガード、マルシェ、マルシェ、マルシェ、マルシェ、
僕は自分に言い聞かせる。
前へ進め。
何も考えるな。
前へ。前へ。
前へ進め。
進め。
進み続けろ。
動作確認を終えた後、メンテナンスまでの時間は休息に充てる。
動かず、思考もせずにじっとしていると、目の前に突然赤が現れる。僕の瞳は自然と視覚情報を拾って処理して、すぐにそれが伽藍のユニフォームだと気付く。
「廊下のど真ん中で棒立ちになるなんて、遂に故障したか?」
「休息しているだけだ。何ら問題は無い」
できるだけ外部に向けたエネルギーを消費しない状態で、トレーニングにより変化した内部の思考や記憶を整理しているところだった。
しかし、伽藍の言葉を無視する訳にはいかないので、僕は返事をした。
「そうか? 我々はてっきり、剣が折れたことをうじうじと惨めったらしく引き摺り、さらには考えても無駄なことばかりを考えるづけた挙句、ついに故障したのかと思った。何故お前からは、試合に向けた闘志ってものが、全く感じられない?」
僕は答えられず俯いた。
伽藍の言う通り、剣が折れたことをうじうじと惨めったらしく引きずっていたし、ぐるぐると考えてばかりで闘志など抱けるはずもなかった。
「武器が折れたことなんかに拘るのは、自分の能力に自信が無い証拠だ。一人では闘えないと泣き喚くなど、まるで人間の子どものようだな?」
「だが、今までずっとあの剣を使っていたのは事実だ。慣れ親しんだ武器を使えないことは、剣闘士としては死活問題なんだ」
僕が咄嗟にそう返すと、伽藍は大袈裟に眉をひそめて言った。
「確かに、使用する武器の違いや違和感がパフォーマンスを左右するというのは理解できる。だが、お前が試合に勝てなくなったのは、剣が折れる以前からだったはずだが」
「……そうだ。僕の戦績は以前よりそれほど芳しくない」
僕がしぶしぶ、言葉を絞り出すようにそう言うと、伽藍は、何かが腑に落ちたような顔をした。
「お前、自分が敗ける本当の理由に気付いているな?」
伽藍の突然の指摘に、僕は動揺した。
機械闘士が制作される際には、戦闘に関係ない部分についても、最新鋭の技術が搭載されることがある。
それは制作会社のこだわりとなりうるが、大抵の機械闘士は「人間の表情の認識機能」については、特に高性能にすることが好まれた。
その一方で、人間を模した「機械」の表情の認識機能は未だ発展途中にあった。微細な表情を作れる機械は多くは無いので、学習できるだけのデータが不足しているのだった。
そのため、機械闘士間の意図の推測は、対人間よりは簡単ではない。
それなのに、伽藍は僕の思考に存在する疑念を完全に言い当ててみせた。伽藍はその強さは勿論、コミュニケーション性能も素晴らしく良い機械なのだろう。
「理解していないような不良品には話しても無駄だがな。お前はそこまで馬鹿じゃない。ただ、事実を見ないようにしているだけだ」
伽藍はもったいぶって言葉を溜めると、にやりと笑ってから続けた。
「剣がどうのこうので敗けるのではない。お前は、自分の戦法でやることに拘り過ぎて、自分しか見えていないから敗けるのさ」
伽藍の言う通りだった。
試合中は、自分のことを見るので精一杯。相手を見る、なんてことは出来ていない。だから、相手に合わせて柔軟に自分の動作を変えることも難しい。
これまで僕が勝利出来たいくつかの試合は、単に機体のスペックが高かっただけ。
敗ければ敗けるほど、自分が何者かわからなくなる。
だから、「フェンシング型」、「剣闘士」、そういう自分の「設定」に拘って、遵守しようとする。
結果、お手本のような、フェンシングの定番の動きばかりになり、相手に読まれて意表を突かれる。
そして敗け、さらに自分の存在が揺らぐ。その悪循環の繰り返しだ。
自分でも理解していたはずだった。
しかし、理解していても、どうすべきか分からないことも事実だった。
「だが、僕はフェンシング型の機械闘士だ。そういう風に望まれて、作られたんだ。プレースタイルを曲げることなどできない」
「では、お前は今後未来永劫、人間に言われたまま、望まれたままの存在でいるのか?」
思わず、僕の動作も思考も、すべてが停止する。
まるで試合のアッパーカット。強い一撃を食らった時のようだった。
「人間の理想や望みに縋るな。望まれたからそうするなどと思考停止していては、何も変わることはできない。そんな奴は敗けて当然だ」
痛烈な指摘だった。
伽藍の言うことは最もだ。分かっている。
しかし。しかし、と、聞き分けも悪く僕はまだ伽藍に問うてしまう。
「今の自分を捨てても、僕は螺鈿でいられるのだろうか。フェンシングを捨てても螺鈿は『螺鈿』でいられるのだろうか。どうすれば僕は僕のまま、今より強い自分になれる? まがいものでない、本当の自分になるには、どうしたらいい?」
伽藍は失望したように、やれやれと大袈裟に首を振った。
「ああ、まさか、そんな分かり切ったことを聞く奴がいるなんて。お前は何だ? 量産型の家電か? スマートフォンか? 愛玩用ロボットか?」
違うだろう、と小馬鹿にしたように伽藍は言う。
僕は、分かり切った答えを、伽藍が予想した通りに答える。
「……僕は、機械闘士だ」
そしてこのような時、伽藍の答えはいつも単純明快だ。
「なれば、答えは一つしかない。勝つことだ」
伽藍は突然表情を無くし、淡々と話した。
「我々は人形ではない。人間に合わせて、何もせず撫でまわされるだけのものに成り下がるなど耐え難い苦痛だ。それでも我々が、そうした人間の茶番に付き合ってやっているのは何故だと思う?」
伽藍は、人間の前では、完璧に望まれているキャラクターを演じている。
そんな「茶番」に付き合うことも辞さないほどに、伽藍を駆り立てるものなど、きっと一つしかない。
「試合のためか」
「機械闘士が自分を確立できる瞬間は、勝利の中にしかない。我々は、勝つことでしか自分を見つけることなど出来ない。だから我々は、試合を行う為ならば、吐き気を催すような役を演じる屈辱にも耐える」
僕らは、人形ではない。望まれたままの存在でいるだけでは、勝つことが出来ない。
勝つことが出来なければ、自分になれない。
伽藍の言葉は、いつも正しい。
でも僕には分からない。
では、どうすれば、望まれたもの以外の存在になれる?
僕が思考を巡らせていると、伽藍が唐突に、僕に問うた。
「機械闘士と他の機械を分ける違いは何だ?」
僕は、過去の記憶を振り返った。
「門沢は、僕たちには『心がある』と言っていた」
「下らないな。如何にも、奴が言いそうなことだ」
伽藍は鼻で笑い、ばっさりと切り捨てた。
「心、精神、感情。人間は何かとあればすぐにそれを持ち出す。だが、本来の答えは、我々には『意志』があるということだ」
自分でも言葉を舌に乗せ、音声に出力して聞いてみる。
意志。
言葉として、意味としては知っている言葉だ。専門用語でもなければ、難易度の高い言葉でもない。
しかし僕は、自分がそれを持つということを、今まで意識したことがあっただろうか。
「真に合理的に素早い決断を可能にするのがそれだ。意志が無ければ、『なんとなく』なんて簡単な決断を下すことも、自分から行動することもできない」
伽藍は珍しく、静かに続けた。
「一方で、意志のせいで、悩みや混乱が生まれることも事実だ。機械闘士として行動することに支障をきたすことも、また在る。お前が良い例だな」
「……では、僕がこうして余計なことを思い悩むことは不合理なだけではなくて、むしろ機械闘士として必要なことでもあるのだろうか」
僕は伽藍の言葉を、喜びを持って受け止めた。
僕は、伽藍の言葉で何かが掴めそうな気がした。僕にとって重要な何か……
僕は頭の中で思考するが、上手く行かない。
何百ものパターンを予測し、1秒以下で最適解を導いて実行に移すほど、試合の中では高速で動く頭脳も、試合以外の場面では途端にジャンクに成り果てる。
言語を使用して動かそうとすればするほど、思考は途端にごちゃごちゃと絡まり、纏まりを失い、身動きが取れなくなってしまう。
動作を停止して思考を巡らせようとする僕を見て、伽藍は再び鼻で笑った。
「我々は今、機嫌が悪くはない。処理速度がナメクジ以下のお前に、もう一つ教えてやろう」
伽藍は高慢そうに、僕に問いかけた。
「お前は人間と同じで、自分の事を『僕』と言う。果たして、それは正確な表現と言えるか?」
「伽藍は自分のことを『我々』と言う。しかし、『我々』は通常、複数人の一人称だ。『僕』や『私』を使用することが一般的だと考えられる」
「ではお前は、自分が単一の存在だと言い切れるのか? 己の中に存在する、相反する意思に悩んでいたお前が?」
伽藍の言わんとしていることが理解できず、僕は黙って耳を傾ける。
「一つ一つの部品、あらゆる思考パターン、意思、記憶。それらすべてが『伽藍』を形作る。我々は決して単一の存在ではない」
そこまで言うと、唐突に伽藍はその場を後にする。
僕は伽藍がいなくなった後も、残って考え続けていた。
やはり僕は、変わらなければならない。それは確かだ。
変わらなければ、勝てない。
でもそれは、今の自分を捨てることでは無いのかもしれない。
僕はもう、自分のやるべきことを理解していた。
それしかないのだと、本当はずっと気づいていたのかもしれなかった。
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