螺鈿と伽藍

 とはいえ、門沢が、伽藍がらんと僕を「師弟」や「姉弟」と例えたこと自体はあながち間違いではなかった。

 螺鈿は、伽藍の唯一の後継機として、同一企業で制作・管理された機械闘士だった。

 だが、同じ「機械闘士」であっても、僕と伽藍では、何もかもが違っていた。

 機械闘士としての「格」……強さや経験、戦績、そして人間からの人気……すべてにおいて、伽藍は「別格」だった。


 伽藍は現役の機械闘士の中で「最古」にして、「最強」の機体だ。いわば「伽藍」こそが、「機械闘士」の象徴といっても過言ではない。

 機械闘士の「試合」は現在、スポーツ観戦以上に人気の大衆娯楽となっている。大衆に認知されるということは、試合観戦や中継だけでなく、広告収益などを含んだ、巨額の利益が生じるということだ。


 しかし、今でこそ、各企業やスポンサーがこぞって機械闘士の開発に取り組むようになったが、プロトタイプ時代の「試合」はそんな代物ではなかった。

 かつての「試合」は、いわば、無法地帯。

 機械同士の闘いは、一部の人々のアンダーグラウンドな趣味の一つとして、小さなステージで隠されるように行われていた。試合会場では、違法賭博や薬の密売も横行していたという噂まである。


 当時は、人間型の機械の作成に、何の規制も法律も存在しない時代だった。

 技術に制度が追い付いておらず、様々な場所で様々な目的の機械が制作されていた。

 実在の人物に似せた無許可のアンドロイド。傷害や詐欺専門のアンドロイド。およそ人間にはさせられない残虐で惨い行為をさせるために作られたアンドロイド。

 その中で、一部の人間は、ただ自分の技術を誇示し、証明するために機械を制作した。

 そして、社会の中で生きるために抑圧し続けて、それでもなお燻る、自身の生物としての暴力性を昇華させるために、その機械を闘わせた。

 それが今日の「試合」のプロトタイプだ。

 ルールも何も整備されていない。敗北の証として、完全に再起不能になるまで破壊される個体も少なくなかったという。


 勿論、現在の「試合」にも再起不能になる機械は存在する。それでも、多くの機械にはバックアップがあり、放送倫理に抵触するような余りに残虐すぎるプレーは禁止されている。

 だから、ほとんどの機械闘士は元通り復元して、再び試合に出ることができる。

 最低限の規制もなく、機械が意思や思考を持ち、何らかの権利を得ることなどは夢物語だと考えられていた時代で。

 機械闘士とも呼ばれなかった、名もなき彼らの扱いがどれほどのものだったか、想像することは難しくない。


 そんな文字通りの死地を何度も潜り抜け、今に至るまで完全に破壊されることなく生き延びた、唯一の機械が「伽藍」だ。

 伽藍はこの国で、「試合」が地下の世界から飛び出して、一般市民からの人気を獲得していく過程の常に最前線にいた。


 伽藍の強さと美しさは人々を魅了した。

 無敗の女王。

 最強の闘士。

 そう評された伽藍に追いつこうと、世界中で、優秀で新しい機械闘士がこぞって制作されるようになった。伽藍が、すべての機械闘士の祖先といっても過言ではない。

 そして、どれだけ優秀な機械闘士が制作されても、今に至るまで伽藍は世界ランク1位の座を譲ったことがない。自他ともに認める「最強」だ。


 さらに、伽藍が人間社会で広く人気を獲得した理由は、その華々しい戦績以外に、もう一つある。

 かつて、人間たちにとって、何百年にわたり「強さ」とは男性的なものの象徴だった。

 しかし現代になり、人間社会には転機が訪れる。

 古典的な因習を打ち破り、新たな秩序を作ろうとする動きが活発化した。一元的な強さを追い求める覇道には限界が来ており、これ以上進化の見込みはないと考えられたのだ。

 有り体に言えば、「男性的な強さなど使い古された過去の遺物、時代遅れと葬り去るべき」という言説が広がったのだった。

 それでは、「新たな強さ」とはどこにあるのか?

 そもそも最初から、人間の中に強さなど存在しなかったのかもしれないが。人間はひどく単純だった。


「強い女性」こそが「新たな強さ」。

 

 そして、伽藍はそのイメージに完全に合致していた。

 伽藍は、機械闘士の象徴であるだけでなく、人間の「新しい強さ」の象徴でもあった。

 彼女は宣伝や広告にこぞって起用された。

 美しく理知的で、優しく強い姉御肌。自身の力で強さを獲得する勝利の象徴。

 それが人々の伽藍への評価だった。

 人間は「強い」女性を求めていたはずであったが、何故かその強さに対して、美しさや優しさといった意味付けを行うことを好んだ。

 伽藍の容姿は、人間のその意思を表現する最たるものだ。

 腰ほどまである真っ直ぐで艶やかな髪は、黄金に光輝いている。

 肩から胸、腰、脚まで女性らしい曲線を描く身体。丸みを帯びた大きな胸。

 多彩な表情を作れる顔の皮膚素材。

 それらはすべて、ただ強くあるためには不必要で不便な設計といえる。人間は、伽藍に執拗なほどに「女」であることを望んだのだった。


 僕は、伽藍を女性として認識したことはないし、人間が伽藍に対して抱くような評価を持ったこともない。

 機械に性別など無い。性別は人間にのみあるものだと理解している。

 伽藍は、広告以外の場面で、女らしく振る舞うことも、人間らしい暖かさを示すことはなかった。むしろ、そんなことがあれば僕は一番に伽藍の故障を疑うだろう。

 伽藍の人間らしい態度はファンサービスであり、ビジネス上のパーソナリティなのだ。


 一方で、僕は、そんな伽藍の後継としての役割を期待され、現在伽藍が所属する企業で満を持して制作された、唯一の機械闘士だった。

 男性型の剣闘士。

 ミステリアスで冷血。

 最新技術を総動員して作られたサラブレット。

 螺鈿の名を冠するに相応しい、人を魅了する不思議な瞳。

 フェンシング型の高貴な闘士、「螺鈿」。

 それが企業の次のイメージ戦略だった。

 すべてにおいて、螺鈿は伽藍と対になるように制作された。伽藍の存在なくしては、螺鈿はこの世界に存在し得なかったことになる。


 しかし、そんな期待を背負って作られた、僕の戦績は伽藍ほど華やかなものではない。

 平均して2勝1敗1引き分け。格上への勝利経験なし。

 基礎能力の高さゆえに格下に負けることはないが、それは勝率の維持のため、まず勝てない相手との試合が設定されないことも一因だった。

 たとえ勝ったとしても、相手を大きく破壊するような派手な立ち回りができるわけではない。僕はいつも静かに、技術をもって、細い剣で相手を突き抜くだけだった。

 当初は、この国で開発されることの多い、武道や剣術をベースとしていないこと、剣闘士の武器としてメジャーな、ナイフや日本刀を用いていないことから、「螺鈿」のフェンシング型戦闘スタイルは物珍しさで話題になった。

 しかし、次第に、予定調和の試合しかせず、面白みに欠けるという印象を抱かれた「螺鈿」は、それほどファンから人気を得られていない。

 人間は、機械特有の人間離れした破壊や暴力、もしくはあっと驚くような下克上や新しい戦闘スタイル、そういったものを機械闘士に求めている。螺鈿には、そのどれもが欠けていた。


 さらに、試合の後も問題が山積みだった。

 僕は、人間たちの期待するような、人間らしい言動というものが非常に苦手だった。

 多くの人間、カメラ、マイクに囲まれると、僕は途端に途方に暮れてしまう。何を話したらいいのか。何を求められているのか。何も分からなくなってしまうのだった。

 いつもその時は、試合の時には感じない、奇妙な身体感覚が生じた。

 地面が段々と無くなっていくような不安定感。前を真っ直ぐ見ることができず、視線が、頭がだんだん下を向いていく。そのまま駄々をこねる子どものように丸まってうずくまって、どこかに落ちて行ってしまいたいとさえ思う。


 一度、試合後のインタビューで何を話したらいいのか全く分からず、その時間ずっと黙っていたことがある。

 次の日のネットニュースでは、螺鈿は出来損ないのアンドロイドとして話題となった。

 それ以来、広告や宣伝の業務が激減したので助かっている。短期的な視点で見れば、だが。


 所詮、人間の印象なんてそんなものだ。

 底意地の悪い顔で、僕を負け犬呼ばわりする伽藍は、完璧なのにどこか人間味があると思われている。強くもなく苦手なことばかりの僕は、人間とはよっぽど異質で無機質な存在に見えるという。

 本来の僕は、本棚の1冊目から読まないと気が済まないし、大勢の人や物に見られながら話すことが苦手だ。

 敗けた試合のことを思うと恐ろしくなるし、同胞がいなくなって途方に暮れてしまう。僕は一体何のために生まれてきたのかなどと、分かり切った問いを繰り返し考える。


 そういうものは、人間の間では強迫症とか恐怖症とか不安症と呼ばれると、本棚の28冊目の本に書いてあった。

 僕が人間と同じ精神的な病気を抱えている可能性があると気付いたとき、僕は愕然とした。

 僕は機械であって、人間ではないのに。

 しかし、僕は制作当初より、人間から「心あるもの」として扱われてきてしまった。

 本棚の4冊目の本によると、人間の乳幼児は、他の人間により「心あるもの」として扱われることによって、次第に心を獲得するという。

 だから僕も、こんなまがいものの心みたいなものを手に入れてしまったのかもしれない。


 同じく、4冊目の本によると、心が健康で規則正しく動いていると、心の持ち主はその存在に気付くことができないという。問題が無ければ、その存在を意識しようともしないからだ。

 僕のまがいものの心は、自身の存在とその活動を主張するために、わざわざ奇妙な不合理な症状を起こしているのではないだろうか。


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