新しい伽藍
人間たちにとって、機械闘士とは何なのか。
例えば螺鈿と伽藍とでは、何が違う。
戦闘スタイル。使用武器。戦績。もしくは、性格傾向。容姿。性別。
では、そのすべてが誰かに設定されたものであるなら。
同じように設定されたものが二つあれば。
何が僕を僕にする。
例えば、試合で右腕を一本切り落とされたとして。
その切り落とされた右腕の接合が困難であれば、それは廃棄処分となり、新たな右腕が制作される。
廃棄された右腕は「僕」ではなくなり、新たな右腕が「僕」になるのか。
では、頭部は。内部の精密機械は。ボディは全て交換可能だ。
少しずつ全ての部品が変わっていっても、それは制作当初の「僕」と同じなのか。
生物はどうか。
例えば、機械闘士を制作した人間。身体を構成する最小単位の細胞は、一生の中で変化し何度も入れ替わる。機能をなさない臓器があれば、他人の臓器を移植することさえある。
中庭で見た蝶はどうか。蛹の姿と成虫とで、全く形態が異なる。蛹は一度すべてが溶けて液体となり、再び別の個体へと構成される。それらは同じひとつの「蝶」の一生のさまざまな姿である。
これだけのボディの変化があっても、同じ「僕」と言えるのか。
言える、というのが人間の考え方だ。それでは、ハードウェアの変化が「僕」の存在に及ぼす影響は小さいのだろう。
では、ソフトウェアはどうか。
経験、記憶、思考、形の無いデータを全て、同じものをトレースして制作すれば、それは「僕」になるのか。複製して再生産されたものは、以前の「僕」と同じものとみなされるのか。
では、「僕」が「僕」であることの証明はどこにあるのか。
「僕」とは何なのか。
「螺鈿」とは、そして、
「伽藍」とは何なのか。
「分からない」
それが門沢の返答だった。
「……あれは本当に、『伽藍』なのか?」
その問いにも、門沢は首を振って、わからない、と答えた。
人間は、伽藍無しではもはや生きていくことができなかった。
人間は、再び伽藍を作ることにした。
伽藍が辛うじて残していたクラウド上のデータ。企業側に残されていた、伽藍の動作や制作に関する初期設定システムの記録。人々の記憶に残っている伽藍の容姿、性格、言葉、記憶、知識。
それらをかき集めて再構成すれば、「ほとんど同じ」伽藍が制作できると、制作チームの人間や、企業の上層部の人間は口々に主張した。
むしろ、ボディをすべて最新素材や機器で製作し直すのだから、以前の旧式のボディを用いていた伽藍よりもはるかに優れた「伽藍」が制作できる。そう主張する人間さえ存在した。
世間の人間の多くは、伽藍の復活を心待ちにしているようだった。メディアやSNSも、新たな伽藍の話題で持ち切りだという。
当然だ。人間たちにとって機械とは、そういうもの。
壊れたら作り直せる。作り直せなければ捨てて、また新しいものを作る。そういうものだと、分かっている。
それらの人間にとって「伽藍」は「象徴」でしかない。道具、と言い換えてもいい。
それこそ、本質的には伽藍で無くとも良かったのかもしれない。
あれ程強く、眩しい機械闘士を他に作り出すことが出来なかったというだけで。
伽藍の鮮烈さを超える機械を制作することが困難であろうということだけは、僕も同意できる。
一方、門沢やその周辺の技師たち、特に伽藍のメンテナンスを実際に行っていた人間は、制作発表に複雑な感情を抱いているようだった。
「調整して使い続けたあのボディこそが伽藍の本質なのに」
「あの程度の情報で再構成出来るわけがない。伽藍を形作るほとんどのデータは失われた」
「いくら機械とはいえ、彼女たちはもはや人間だ。これは伽藍への、死者への冒涜だ」
人間たちは、口々にそんなことを噂していた。
しかし、誰も、新しい伽藍の制作を止めることなど出来はしない。
彼らは企業の末端の人間だった。開発部や幹部の人間の指示には、従わなければならない。
どれだけ文句を言っていても、人間たちは実際に「伽藍」が完成すれば、再びそれを伽藍として扱い、調整をして、試合に送り出すという業務を全うする。
伽藍を制作できるはずがないと考える人間と、制作するべきではないと考える人間。
機械闘士はもはや人間だ、などと主張する後者は論外として、前者の方は理論としてはまだ理解できるように思える。
でも、どちらの人間も、何も分かっていない。伽藍のことも、機械闘士のことも。何も分かってはいないんだ。
僕はそう思えてならず、あれこれ議論する人間たちを冷ややかに眺めていた。
結局、僕と人間とでは、伽藍に対する理解に大きな隔たりがあるように感じられた。
観客が機械闘士を見る目と、技師が機械闘士を見る目は方向が違う。機械闘士が機械闘士を見る目とは、次元が違う。
そうは思っても、それでは僕が「新しい伽藍」について、何をどう思っているのか、人間のように明確な言葉にして説明することは困難だった。
伽藍の部品やデータが「新しい伽藍」に引き継がれ、人間が「伽藍」と「新しい伽藍」を同一の存在とみなすことなど、本当はどうでも良いはずだった。
それなのに、僕は考えてしまう。
本当にそれは「伽藍」なのか。
何故自分がこれほど「新しい伽藍」の制作を疑問に思うのかも分からない。
壊れたら残った部品で作り直すなんてことは、機械の定番だ。
何故「新しい伽藍」にだけは、何かがおかしいと思ってしまうのか。
分からない。僕はいつだってそうだった。でも、人間はもっと何も分かっていない。それなのにすべて分かったような顔をして語っている。
僕は、理解したくて仕方がなく、伽藍の最後の試合を見た。
何度も何度も見た。
伽藍が爆発して粉々になる瞬間を、繰り返し繰り返し見た。
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