君の試合

 閲覧室から出ようとして、ふと気づく。

 いつも入ってくるドア。その真向かい、部屋の一番奥にはもう一つ扉があった。

 僕は、その扉の先がどうなっているのか知らなかった。

 いつもは何とも思わないのに、今日は何故だか無性に気になって、扉に近づいてみる。

 鍵のつまみを回して、扉を開ける。

 丁度外が見えるくらいの小さな隙間を開け、そっと覗き込んだ。


 そこは、企業の玄関口のようなところだった。

 壁がガラス張りになった、広いエントランスホール。

 すぐ近くの柱には電光掲示板があり、さまざまな電子公告や連絡が掲示されている。

 多くの人間が同じような服を着て、慌ただしく行きかっていた。

 これほど多くの人間がいるということは、ここで働く人間以外にも、企業外から様々な人間が来ているに違いない。

 おそらく、時々機会があればこの扉を開けて、企業以外の一般の人間も閲覧室に入れるようにしているのだろうと推測する。


 僕がここにいると知れれば、企業の人間に良い顔はされないだろう。

 僕たちは貴重な精密機械だから、「箱入り」なのだ。

 試合やそれに類する業務以外では、企業の外にはほとんど出ることが無い。企業の人間以外とは、話すことも無い。それらを不満に思ったことも無い。

 寧ろ、僕は見知らぬ人間と話すことが苦手だからちょうど良かった。


 僕は、人間たちに見つかる前に、すぐに首を引っ込めようとした。

 しかし僕は、扉の横にある、休憩用のソファーに人間が一人いることに気付いた。

 思わず扉を開け、人間の方に近づいてみる。

 その人間は、驚いたように僕を見ていた。


 若い女の人間だ。僕はその人間を見たことがなかった。

 しかし、目の形や顔のつくりに、よく知る人間と類似した点があったので、近づいてみようと思ったのだった。


「あなたも機械闘士なの?」

 座ったままこちらを見上げて、人間はそう言った。僕は「そうだ」と返した。

「本当に、人間みたい。でも、目は不思議な色だね」

 人間は、もう一度「不思議、」と呟く。

 感心したように、僕の顔をじっと見つめている。


 世界に数多存在するアンドロイドの中でも、機械闘士は特に「人間らしさ」が群を抜いている、と聞いたことがある。

 接客や対人支援用の機械ですら、機械闘士ほどの表情の豊かさ、思考の柔軟さは持っていない。

 それは制作に多額の予算が投入されていることが主な要因だが、黎明期からこの業界に残る「より人間に近く、より強い機械闘士が最も優れている」といういくらかの矛盾と皮肉を含んだ考え方が未だに根強いからでもあるだろう。


「何故ここにいるのか」

 僕がそう問うと、人間は数回まばたきをする。僕から何かを質問されるとは、まるで思ってもいなかったような顔をしていた。

 人間は、少し笑って、息を潜めて小声で言った。

「伽藍が昔、よくそこのドアを開けて出てきたの。何度か、話をした。父は、伽藍は人間嫌いだとよく言っていたけど、私はそんな風には思わなかった。確かに少し口は悪かったけど」

 僕は、伽藍の歯に衣着せぬ物言いを思い出した。

 伽藍は、本当に人間が嫌いだったのだろうか。今となってはもう、分からない。


「伽藍に会いたくて、時々、来ちゃうんだ。ここで待っていたら、また前みたいに話せるんじゃないかと思って」

「伽藍は、もういない。試合で壊れた」

 この人間は、伽藍がいないことを知らないのだと思い、教えてやった。

 人間は動揺したように体を揺らした。

「……そう、だよね。分かってはいるんだけど。でも、本当に? もしかしたら、って思うの。だって、あの頃だって、突然現れて、突然いなくなって、そういう人だったから……」

 人間は、座ったまま俯いた。

 そういう人、とは伽藍のことだろうか。伽藍は人間ではないが、突然現れて突然いなくなるという部分は、いかにも伽藍のことらしい説明だった。


「それに、ほら、今度また伽藍が復活するっていう話もあるし」

「あれは、伽藍ではない。伽藍に似せた、別のものだ」

 すぐに僕がそう返すと、人間は驚いたように目を見開いた。

 そしてすぐに、何故か、穏やかに微笑んだ。

 唐突な表情の変化だった。

 何故笑ったのか、僕には分からない。

「あなた、伽藍をよく知っているんだ。友達だったの?」

「知っているが、友達ではない。伽藍は、伽藍だ。他の何でもない」

「ふふっ、そうか。そうだよね。伽藍は、伽藍。本当にその通りだ」


 何がおかしいのか、ひとりで笑っている。

 伽藍はどうして、この人間を気に入って何度も話していたのだろうかと思う。

 企業の人間でない人間が珍しかったのか。それだけではないのだろうか。僕にはやはり、分からない。


「……やっぱり、伽藍はもういないんだね」

 人間は、今度は唐突に笑顔を消した。小さくため息をつき、俯く。

 丸まった背中に、あの日の門沢の姿が思い出された。

「薄々、分かってた。新しく作られる伽藍が、私の知っている伽藍とは、本当は違うんじゃないかってこと。あの時の伽藍はもうどこにもいないんじゃないかって……同じ機械闘士のあなたもそう言うなら、きっとそうなんだ」


 俯いたまま、声がだんだん震えていく。

「ちゃんと会いに行けばよかった。私が来なくなって、伽藍はどう思ったのかな……」

 伽藍は、何も思わなかったのではないかと思う。

 元来、人間に期待などしていなかったし、試合以外のものには何も執着しなかった。

 それに、伽藍はこの人間が、ここに来ることはもう無いだろうと推測していた。

 とはいえ、会いに行けばよかった、という言葉は、この人間にとっては真実なのだろう。それほど後悔しているということだ。

 会いに行けなかった事情が何なのか、推測はできても確信は持てない。聞く必要も無いだろう。

 知られたくないこともあるだろうと、伽藍は言っていた。


 それならばそのままで、僕は言いたいと思ったことを言えば良いのだ。

「僕は、闘うことがすべてだ。何があろうと、闘い続ける」

 僕がそう言うと、人間は戸惑ったようにこちらを見た。

 この人間が、僕の言うことを理解できなくとも構わない。むしろ、理解できない方が良いとさえ思う。

 僕はこの人間に何かを伝えたいのだろうか。

 いや、僕は、僕の中で想像していた「門沢の娘」に、何かを言いたかったのだ。

 この人間もそうだったのだろう。僕と話しているのではなくて、僕を鏡のように使って、伽藍を思い、自分自身の心の内を見ていた。


「伽藍もそうだった。闘うこと、勝つことがすべてだった……君もそうだろうか。君も君の場所で闘い続けているのだろうか。そうであるならば、それは素晴らしいことだ」

 僕達のせいで望まぬ闘いに巻き込まれた人間がいる。

 誰かの手で勝手に押され、突然に恐怖や屈辱や空虚に立ち向かっていかなければならなくなった人間がいる。

 僕はそれを覚えている。覚えたまま闘っていく。

 そう誓ったはずなのに、ずいぶん長い間思い出さないでいてしまった。

 伽藍がいたあの頃のことを、僕はずっと、思い出さないようにしてきたのかもしれない。

 今になって、濁流のように記憶が再生される。僕はまだ、伽藍のことを、伽藍とともに学んだことをいくらでも思い出せる。


 すべてを抱えて、僕は闘い続けるんだ。

 それが出来るが、それしか出来ない。

 だからせめて、敬意を表したいと思った。

「君の最善は勝つことではなく、生きることだ。同胞よ、君は、素晴らしい試合をしている」


 伽藍は自分のやり方で、闘いを全うした。

 だから僕も、自分のやり方で闘いを全うしたいと思う。僕はきっと、そうできる。

 君もそうであってほしい。人間に対してこんなことを思ったのは初めてだった。



 僕は人間に背を向けて、閲覧室へ戻ろうと思った。

 人間がどういう反応をするのか、どんな表情なのか、見たいとは思わなかった。

 だが、唐突に腕を引かれ、僕は振り返った。


「これを……」


 差し出されたのは、昆虫図鑑だった。

 僕は瞬きをして、もう一度見つめる。

 以前、伽藍に渡したものと、同じものだった。


「何故これを?」

「伽藍が、いつかあなたに渡せって」

「……僕に?」

「あなたが『螺鈿』でしょう? 変わった目の色をしてるから、機械闘士に疎い私でもすぐに分かるって、伽藍が言ってた」

 僕は戸惑いながらも手を出し、図鑑を受け取った。

 その人間は、何も言わずに少しだけ笑うと、踵を返して歩いていった。


 雑踏の中にその姿が消えていくのを見た後に、僕は図鑑を持って、部屋に戻ることにした。

 僕は今日、新しい伽藍が昔の伽藍では無いという確信を、初めて自分以外のものに話した。

 何故か、言わなければいけないという気持ちにさせられたのだ。

 言葉にして口に出したことで、より一層の確信が持てた。


 あれは、伽藍では無い。

 あれは、伽藍では無いのだ。


 伽藍は、強くて、美しくて。

 底意地が悪く、悪辣で。僕の図鑑を奪っておいて、読んだのかもわからない。

 人間が大嫌いなのに、人間経由で図鑑を返す。

 一体全体、何を考えているのかわからない。


 それが、それだけが「伽藍」だ。


 それなのに、伽藍では無い別のものを、伽藍にしようとしている。

 そんなことが許されて良いものだろうか。

 では誰に許されれば良いのか? そんなことは、分からない。

 それでも、新しい伽藍は、伽藍では無いと証明する必要がある。

 きっとそれが、今の僕にできるすべてだ。


 僕は、新しい伽藍と闘うべきなのだ。

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