再生
僕は、門沢に「新しい伽藍と闘いたい」と言った。
試合の相手について注文を付けるのは初めてのことだった。
しかし、門沢は驚いていなかった。むしろ、いつか僕がそう言ってくることを、予想していたかのようだった。
門沢は、まず一言、「難しいなあ」と言った。
「君も分かっているだろうと思うが、徒手闘士と剣闘士の試合は収益が見込みにくいし、公平性に欠けると言われる。さらに君と伽藍では、見た目の性別の問題もあるし」
僕は頷く。そのことは、試合の当事者である僕も十分よく理解していた。
剣闘士は誰でも「収益や公平性の問題で剣術闘士と徒手闘士の試合が行われない」というのが、本質的にどういう意味なのかよく知っている。
要は、「剣闘士側が損をする」ということなのだ。
言い換えるならば、剣闘士と徒手闘士の試合では、徒手闘士が勝たなければ意味がない。
剣を使う方が勝ってしまうのは、武器というアドバンテージがある分、当たり前。
だから、観客は、徒手側が勝つのを期待する。徒手闘士が勝利する武器対徒手の試合は、むしろ人気が出る場合すらあった。
そのため、剣闘士サイドの企業は、徒手闘士との試合を嫌がり、剣闘士との試合を設定する。
同様の理由で、見た目が「男性型」である螺鈿と、明らかに「女性型」である伽藍では、後者が勝利することが望まれる。
こんなことなら、機械闘士に性別など感じさせる容姿を設定しなければ良いのにといつも思うが、そうもいかないのが人間の奇妙なところだった。
「企業は簡単には、首を縦には振らないだろう」
「ご明察。君と伽藍の試合なんてご法度。本来ならばここで私はにべもなく、君の意見を突っぱねるべきだ」
そう言いながらも、門沢は僕を見てにやりと笑った。
奇妙なことだ。何故そんなにも楽しそうに笑ったのか。
僕が疑問を口にする前に、門沢は嬉しそうに言った。
「しかし、君の気持ちはよく分かるつもりだ。私だって、伽藍をずっと側で見てきた人間のひとりだ」
一体僕の何が分かっているのかは知らないが、黙って門沢の話の続きを聞く。
「そしてもちろん、君のことも。ずっと見てきたんだからさ。もう何年になるだろう、君が制作されたあの日から……」
門沢は、微笑みを浮かべながらも、寂し気に呟く。
「私はこんなにも年を取ったけど、君は変わらず美しいままだな……」
僕はそこで初めて、門沢の容姿が少し変わっていたことに気が付いた。
以前と比べると、白い髪の毛が増加している。肌はシミが浮かび、たるんでいる。喉が乾燥しているのか、何度も咳払いをしながら話す。
「しかし、君の中身は、随分変わったな。君はもう、君にとって一番大切なことについて、迷っていない。確固たる意志を持っている。私は、それが本当に嬉しいよ」
感慨深そうに、僕を見て何度も頷く。
僕にとっては、初めて試合に出た日から今日まで、長い時を過ごしたなどと思ったことは一度も無かった。
最初の試合も、先月の試合も、同じことだ。
僕は以前より強くなって、伽藍はいなくなった。
螺鈿という存在自体は、少しは成長し変化したのかもしれない。
それでも、螺鈿の周囲の世界は何も変わらず、ただそこに存在し続けていた。
だから、僕は今初めて気が付いた。
人間の生きてきた時間と、僕の過ごしてきた時間は、客観的には同じはずだが、随分体感する速度が違っているらしい。
「試合の設定は、任せてくれ。僕らも、知りたいんだ……新しい伽藍が、ほんとうにあの伽藍なのか」
人間の生存する時間は短い。
だからこそ、人間は不変や絶対に強く焦がれて、その正反対の刹那や閃光をいとおしむ。
その結果、螺鈿や伽藍や、たくさんの機械闘士なんてものすら生み出した。
手を入れ続ければ人間の命よりもずっと長く存在し続けられる機械を、一瞬で粉々に破壊させる。
そういう遊びに熱狂し、ともすれば自分に許された短い人生という持ち時間の大部分を、機械闘士に注ぎ込む人間すら存在する。
門沢や、その他の整備員や社員、この企業にいる人間はそういう人間ばかりなのかもしれない。
「いや、そんな綺麗なものじゃないかもしれないな。私はただ、君と伽藍の試合が見たい。心の底から見たいと思う、それだけなんだ」
結局、門沢は言葉通りの働きをしてくれたらしい。
その後しばらくして、門沢は、遅くも全力で走って僕の元に駆け寄り、「対戦の日程が決まった」と息を切らせた。
新しい伽藍の完成が近いという噂が立つようになった頃だった。
「公式試合ではなくて、練習試合という形になった。しかし、新しい伽藍の調整を兼ねた、栄えある初試合。悪くないだろう? 観客は社員と関係者のみだが、全力で応援させてもらうよ」
僕は頷いた。試合の形式など問わない。
全力で闘えるのなら、それでいい。
むしろ、試合の実現までもっと時間が掛かるかもしれないと思っていたくらいだ。もしかすると決まらないかもしれないとすら。
それに、僕にとって、新伽藍との試合が「練習試合」になったことは、望ましいことでもあった。
つまり、「螺鈿が新伽藍に勝利してしまう可能性がある」と考える人間が、新伽藍サイドや企業の上層部にいるということだ。
新型機、それも「新しい伽藍」の初試合ともなれば、誰もが圧倒的な力を見せつけた、新伽藍の勝利を望むだろう。
そんな状況で公式試合を行って、新伽藍が万が一にも負けることがあれば、ブーイングが殺到する。
曲がりなりにも冠した、無敗の象徴「伽藍」の名前に、傷がつくことは間違いない。
開発者たちはそれを恐れているから、螺鈿との試合を「練習試合」に設定したというわけだ。
僕は対・新伽藍戦に向け、本格的なラーニングを開始した。
新伽藍との試合が決まる前もずっと、僕は試合の合間を縫って研究を重ねていた。あの伽藍と闘うのであれば、時間はいくらあっても足りないと分かっていた。
しかし、有効な戦術計画は未だ立てられていない。
今まで剣術を専門としていた螺鈿にとっては、対人格闘スキルの不足は必ず弱点となる。
いくらラーニングしたところで、徒手型の機械闘士に比べれば付け焼き刃程度の能力になることは否めない。
だが、その付け焼き刃が勝利に繋がる剣になることもあれば、敗北を回避するための盾となることもある。相手の技術を知らなければ、対策も戦術も立てられない。
そうして各格闘術の基礎を学習していたが、学べば学ぶほど、僕は行き詰ってしまった。
何しろ、まったく終わりが見えない。
ボクシング、空手、柔道、レスリング、ブラジリアン柔術、合気道、システマ、少林寺拳法、テコンドー、ムエタイ。
なんという広範さだろう。
あまりに幅広く、学べば学ぶほどに身動きが取れなくなるようだった。
これでは、相手の一挙手一投足から次の攻撃を予測することははるかに困難である。僕はある種の恐怖のようなものを感じた。
僕は、勝って証明しなければならないのに。
必ず、勝たなければならないのに。
本物の伽藍どころか、偽物の伽藍にすら僕は勝てないかもしれない。
僕はもはや、ここがどこかも分からない、真っ暗な場所に一人でいるみたいだった。
地図も無い。灯台も無い。
何も見えない。何も分からない。
どうすればいい。
伽藍なら、こんな時、何と言っただろう。何を考えただろう。
僕は、伽藍に何か言って欲しいと思った。何でもいい、厳しくて意地の悪い、でも的を射たあの物言いが懐かしかった。
だが、伽藍はもういない。
欠片さえ残っていない。
だからもう、伽藍の思考を知るすべはない。
現実を言い聞かせて自分を奮い立たせようとしたはずが、僕の思考は余計に鈍く、遅くなっていく。
僕は疲れ切っていた。どうにも、勝てるビジョンが見えない。毎日、一日中考え続けても答えが出ない。今はただ、自分の見慣れた部屋を眺めるほかなかった。
本棚と机と椅子と、今腰掛けているベッド。
伽藍の部屋と同じ。
違うのは中にいる機械闘士の強さだけ。伽藍とは違い、螺鈿は弱くて、どうしようもない。
ああ、あとは本棚の本も違っている。
僕の部屋には、人文科学や文学の本ばかり。伽藍のように機械闘士の専門書を読めば、もっと強くなれるだろうか?
そんなしょうもないことを考え始めて、ふと気づく。
……そういえば、伽藍は何故昆虫図鑑を読もうと思ったのだろう?
僕は唐突に、門沢の娘から返された図鑑のことを思い出した。
あれから、読み返してすらいなかった。
いつだって伽藍のことを考えていた気がするのに、図鑑のことは考えもしなかった。
僕は久しぶりに図鑑を手に取った。
一枚ずつめくって眺める。
ちょうど半分くらいのところに来て、僕はぎょっとした。
蝶の章がごっそりと切り抜かれている。
ページが箱型に切り抜かれて、そこにぴったりと収まるように、旧式のUSBメモリがはめ込まれていた。
僕は混乱した。
これは何だ。
何故、こんなことをしたのか。
これは、伽藍がやったのだろうか。それとも、門沢の娘がやったのだろうか。
数分図鑑を手に取ったまま思考停止したが、全く分からない。
ようやっと思考が動くようになった段階で、僕は意を決した。
とにかく、メモリの内部を見てみる他はないだろう。
本来はセキュリティ保護のため、社員、整備チームの許可が無ければ、外部デバイスの接続は禁止事項だったが、時間が惜しかった。
そもそも、外部の人間と勝手に交流し、物品の受け渡しをした時点で本来は重大な規則違反だ。
もしウイルスにやられたら、門沢たちに直させるしかない。
直らなければ? そこまでだ。直ることを祈るしかない。
僕は首の裏にあるUSBポートに、メモリを差し込んだ。
普段はラーニングにしか使用しないが、ここに外部デバイスを差し込むことで、デバイスに保存された映像を自身の脳内で再生することができる。
まるで、自分がその場で体験しているかのように、あたかも自分の記憶であるかのように。
旧式のメモリなので、画素数は荒いだろうが、なんとか再生はできそうだ。
僕は、記憶を再生させた。
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