第二十六章:置き去りの夏――陽希十九歳の視点(三)

*****

“何とか会社に間に合った。そっちは学校大丈夫だった?”

 一夜明けて充電器に繋いでいたバッテリーは満タンになったが、自分の発したメッセージにはまだ“既読”の二文字が付かない。

 LINEでブロックされるとメッセージに既読がつかない。

 これは昨日、充電器に繋いだスマートフォンは極力視野に入れないようにしてパソコンでネット検索した得た情報だ。

 ちなみに無料通話も繋がらずに切れるらしい。

 どちらも「あなたはブロックされています」といった明確な通知はされずに拒否される仕組みだそうだ。

 スマートフォンの画面の左上に表示された時刻は“午前 9:44”

 明け方近くにようやくまどろんで目が覚めたのが今だ。

 四、五時間も寝たから十分だし、ミオもさすがに二日経った土曜のこの時刻なら起きているだろう。

――一緒に昼飯食おう。

 何でもない調子でそう切り出すのだ。

 美生子の潤んだ目と汗ばんだ薄桃色の肌が蘇ってきてまた体の芯が熱くなった。

 会えばまた触れたくなるだろう。

 だが、ミオが嫌がる、怖がるようなら、体調が思わしくないようならもう叩いて無理強いしたりはしない。

 隣り合って眠るだけでいいのだ。

 どこか震える指先で既読の付かないトーク欄の右上に表示されている白抜きの傾いた受話器のマークを押す。


*****

 今日でまた一週間後の土曜日が来た。

 カンカン照りの太陽の下、転んだら火傷しそうな程熱されたアスファルトの道を進む。

 もうLINEも電話も拒否設定にされている。

 この一週間、ミオからブロックを解いて連絡をくれるのを待っていた。

 少し時間を経て冷静になれば、自分と話そうとしてくれるという期待を抱いて。

 自分たちの間に起きたことが究極的には受け入れられるものだと信じて。

 昨日までの七日間、土日は午後から夕方まで、平日は仕事が終わってから毎晩、このアスファルトの道を来た。

 そして、向こうに見えるあの駐車場付きのファミリーレストランに入って過ごした。

 そこの二階にある窓際の席からはアパート四階の美生子の部屋が確かめられるのだ。

 この七日間、その部屋のセルリアンブルーのカーテンはいつ見ても閉められていた。

 だが、周りが暗くなる時刻になればその奥で灯りが点っているのが認められ、彼女がいると分かった。

 ミオはカーテンを閉め切った部屋でずっと外にも出られずにいるのだろうか。

 それとも、俺がここから観ていない時には学校なりアルバイトなりに出向いていつも通りの生活をしていて外で顔を合わせることはないだけなのだろうか。

 そんなことを思いながら、ドリンクバー付きの簡単な食事を取って、一時間おきにちょっとしたデザートやおつまみのメニューを頼んで「予備校帰りの浪人生」という体で美生子の通う大学の赤本の解説をノートに書き写した。

 そんな風に僅かでも払う額を追加していけば、店員も何も言ってこない。

 そもそも食欲もさほどないから、皿の上の料理もなかなか片付かなかったし。

――もう大丈夫? 俺、今、ミオんちの近くのファミレスで食ってるから夕飯まだなら来なよ。おごるから。

 ノートに解説を機械的に書き写しながら、その実はすぐ脇に置いたスマートフォンが鳴ったら取って答える言葉ばかりを頭の中では反復していたのだ。

 自分はそんな風にして何の収穫もない一週間を終えた。

 美生子からの連絡は一切来ず、自分の送ったメッセージは今に至るまで読まれた表示が付かないままだ。

 ミオはどんな形でも俺とはもう一切繋がりたくないのだ。

――お前のつらなんかもう見たくもない。

――失せろ。

 常より紅潮していっそう柔らかな桃じみて見える頬に涙を伝わせながら叫ぶ彼女の顔が浮かぶ。

 これもこの一週間繰り返し想定した場面であるにも関わらず、胸がまた新たに引き裂かれた。

 これじゃストーカーだ。

 この一週間も幾度となく自分に言い聞かせた警告を頭の片隅で鳴らしつつ、七日間通ったファミリーレストランの前を素通りして彼女の住むアパートに足はどんどん向かっていく。

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