第四章:七五三は別々――陽希《はるき》三歳の視点
「ミオちゃん、キモノ!」
黄色い銀杏の並木が続く路地で、声に気付いた相手は何だかギクリとした風に緋色の花簪を挿した頭を振り向ける。
うっすら桃色を含んだ普段の顔色よりもう一段階白くなった
「凄いね」
大人みたいにお化粧して、お祖母ちゃんの部屋に飾られたガラスケース入りの人形みたいなツルツルピカピカした布地の着物を纏っている。
「かっこいい」
本当は「かわいい」と言いたいが、この子は何故かそう言われると怒るので、変身ヒーローに向けるような賛辞を代わりに採用する。
空色の着物の上に真紅の被布を纏った美生子はふっと固い面持ちを和らげた。
どうやら、これで正解だったようだ。
「今日、七五三だからそこの神社にお参りに行ったの」
こちらは紺地のスーツの胸にクリーム色の薔薇じみたコサージュを着けたおばさんがお化粧しても小麦色の地肌のうっすら透けた顔で朗らかに笑って告げた。
「そうなんだ」
すぐ隣で先ほどスーパーで買ったばかりの特売品のお惣菜の入ったエコバッグを提げた母親も蒼白い顔に微笑を浮かべた。
ママは自分と二人だけの時は怖い顔なのに、ミオちゃんやおばさんが一緒だとこんな風に笑ってくれるのだ。
潰された銀杏の実の匂いに混ざってスーパーの惣菜特有の油臭い匂いがツンと鼻を刺して通り過ぎるのを感じながら、安堵と寂しさを覚えた。
「おれ、三歳だから七五三で着物着てお参りしたんだ!」
緩い天然パーマの髪を纏めて挿した緋色の花簪を揺らしながら美生子はいつもの調子で語る。
「ぼくも三歳だよ」
それなのにピカピカした着物も着てない、神社にも連れてってもらってない。
黄土色のコートを纏った自分が急に惨めに思えた。
このコートも、中に着ているトレーナーやズボンも、
靴だけは何とか新しい物だけど。
足元を見下ろすと、爪先の少し薄汚れた自分の黄色いスニーカーに対して、向かいの美生子は着物と同じく真新しいピカピカした下駄を履いていた。
いつもより少し目線が高いのはこの履き物のせいだったようだ。
それでも、自分の方がまだ頭半分ほど背が高い訳だが、何となく相手から見下ろされている気がした。
「男の子は五歳でやるんだよ」
おばさんが楽しみは先にあるという風にウキウキした調子でこちらに頷いた。
ママよりおばさんの方がこんな風に落ち込んだ自分の表情にすぐ気付いていつも声を掛けてくれるから好きだ。
「五歳でまたこれ着るのー?」
美生子は朱色に塗った唇をへの字にして、真っ赤な被布の胸を反らした。
「ミオちゃんは女の子だから今度は七歳でやるんだよ」
すぐ隣で抑えた声を放った自分の母親の顔を確かめる前に、目の前に立つ美生子の凍った眼差しが胸を刺した。
「写真、頼んできたよ」
唐突に声が飛んできた。
振り向くと、スーツ姿のおじさんが笑って近付いてくる所だった。
目鼻立ちは似ていないが、うっすらピンク色の肌が美生子に似ているといつも思う。
「ありがとう」
おばさんは笑顔で頷いた。
ミオちゃんちのおじさんおばさんを見ると、仲の良いパパとママという感じで羨ましくなると同時に、自分のパパはいないという現実が改めて浮かび上がってきてまた寂しくなる。
「どうも、こんにちは」
おじさんはごく優しげな人なのに、ママはどうしておばさんやミオちゃんしかいない時より嬉しくなさそうなんだろう。
「お久しぶりです」
おじさんも何だか気まずそうだ。
「着物きついし、足寒いからもう帰りたい」
真っ白な顔の美生子がぽつりと呟いた。
と、黒目の勝った円な瞳にみるみる内に涙が溢れた。
「これ、痛いし、もうやだ!」
小さな手が髪に挿した緋色の花簪をぐしゃりと掴む。
「おうちに帰るまで待ちなさい」
「すぐ取ってあげるから」
おじさんおばさんは幼い娘を制すると、苦笑いして頭を下げた。
「じゃ、また」
「失礼します」
愛娘を真ん中にして夫妻が歩き出すのをしおに母親から無言でグイと手を引かれて帰途に就く。
見上げたママの顔は表情を消した風で決してこちらに眼差しを返してくれない。
代わりに母親がもう片方の手に持った特売品の惣菜の油臭い匂いが流れてくる。
「おれ、七五三なんかもうやだ!」
黄色い銀杏が音もなく舞い落ちる中、遠くから響いてきた悲鳴じみた泣き声を聞きながら、自分の五歳の七五三も急速に忌むべき、憂鬱な行事に感じられ始めた。
「着物もドレスもやだ!」
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