第三章:スカート、リボン、ピンク。――美生子三歳の視点
「ミオちゃんはようちえんいくの?」
いつも通りの黄色いトレーナーを着たハルくんは目を丸くする。
「うん」
ママが着せてくれた制服のスカートの足と足の間をまだひんやりしたものを含む風が音もなく吹き抜ける。
これだからスカートは嫌いだ。
お気に入りの裏がフカフカした群青のズボンがいい。
でも、ママはこれが幼稚園の決まりだから着ろと言う。
「もう
別に幼稚園になんか行きたくないのに。ハルくんと公園で一緒に遊んでいたいのに。
ひらひらと白ともピンクともつかない桜の花びらが肌寒い風に乗って舞い落ちてくる。
この花は嫌いだ。
流れてきた湿った土の匂いに鼻の奥がつんと微かに痛むのを感じながら、地面に落ちた透けるように薄い花弁を見下ろす。
ママの着せたがる服や結びたがるリボンやゴムは大抵こんな色をしている。
自分が好きなのは青や水色だ。
本当はリボンやゴムで髪を縛るのも嫌いだけれど、今日は制服のスカートを履く代わりにピンクのリボンやゴムではなく空色のリボンとゴムでお下げ頭に結った。
「ぼくも三歳だよ!」
普段と同じ服を着た相手は切れ長い目を驚いた風に見開いた。
「美生子ちゃんは三月生まれだから今年から幼稚園に行って、ハルくんは四月生まれだから来年からだよ」
ハルくんのお祖母ちゃんが苦笑いして孫息子の切り揃えた固く真っ直ぐな黒髪の頭を撫でる。
今日は普通の日だから、ハルくんのママではなくお祖母ちゃんが公園に一緒に来ている。
うちのママと違ってハルくんのママは普通の日は働いているから、わざわざこの前も土曜日に四人で自分たち二人の誕生祝いをしたのだ。
本当はどちらの誕生日でもないのに。
「なんで?」
ハルくんは寂しげに呟くと、切れ長い瞳を伏せる。
そういう顔をすると、ハルくんはハルくんのママに本当にそっくりだ。
「来年には一緒に通えるから大丈夫だよ」
小麦色の顔でにこやかに告げると、こちらも普段は着ない桜色のカラースーツ姿の母親は真新しく、そして袖も丈もやや余り気味の制服を纏った娘の手を引いて早足で進んでいく。
*****
「いやだ、おれも水色がいい!」
ああ、やっぱり自分を「おれ」と言うと、幼稚園の先生も変な目で見るんだ。
――『おれ』じゃなくて『わたし』っていうんだよ。
ママもいつもそう言って聞かせてくる。
「美生子ちゃんは女の子だからピンクの体操着なんだよ」
同じデザインでも男の子は水色、女の子はピンク。
それがこの幼稚園指定の体操着の仕様だ。
他の子たちは疑問なく性別通りの色を身に着けて泣き喚いている自分を離れた場所から眺めている。
「水色じゃなきゃいやだ」
自分は男なんだから。
そもそも女の子でも水色が好きな子は沢山いるじゃないか。
ディズニーのお姫様やプリキュアにだって水色のドレスを着たキャラクターはいるじゃないか。
男の子でピンクが好きな子も目立っては言わないだけでいるかもしれないのに。
「ピンクはいやだ」
それが「女の子の色」ならば。
何故自分の好きな色を選べない?
怪訝な顔で見やる周りの誰も答えてくれないまま、ワアワアと自分の泣く声が頭いっぱいに響く。
*****
「ミオちゃん!」
砂場にいた黄色いトレーナーのハルくんが駆け寄ってくる。
「ようちえん、どうだった?」
切れ長の目は何だか羨む風に制帽に制服のスカート姿の自分を覗き込んでいる。
「いやだった」
幼稚園の指定バッグと手製の青地に電車の模様が描かれた体操着袋を手にした母親とハルくんのお祖母ちゃん。
子供二人の傍らに立つ大人二人の表情が曇るのが分かった。
「水色がいいのにピンクの体操着なんだもの」
「ぼくも黄色がいいな」
「黄色の体操着はないよ」
自分は好きな色の体操着があっても着られないが、ハルくんはそもそも好きな色自体がない。
「じゃ、ようちえんやだあ」
相手はこともなげに言い放った。
大人二人の表情もふっと和らいだ。
「すぐに慣れて、楽しくなりますよ」
ハルくんのお祖母ちゃんが宥める風に告げると、荷物を抱えた母親も頷いた。
「ええ」
ママの持っているあの青い電車模様の体操着袋には女の子用のピンクの体操着が入っている。あれをこれからもずっと着なくてはいけないのだろうか。
またも湧いてきた憂鬱な気持ちを振り払うべくハルくんに砂場を示す。
「トンネルつくろうよ」
「うん」
二人だけで遊んでいる方がずっと楽しい。
白ともピンクともつかない桜の花びらが舞い散る中を共に駆けながら、改めてそんな風に思う。
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