有無相生∼蒼き雷光∼

 電話が鳴った。

 画面には、怒木とある。

 僕は、ケータイを手に持って、主人の横にひざまずく。


「警部ー、どーした?」

「ないいぃぃぃぃぃい!」


 こっちにもすごい声が聞こえてくる。

 いつもながら、狂気ともとれる異常なテンションだ。


「はいはい、もういいんですけど、そういうの」

「冷たい……、ないが冷たいよぉ」

「さっさと本題に行ってもらって、いいですか?」


 はあ。

 電話の中で、大きなため息が聞こえた。

 少しだけ時間が空いて、警部さんが真面目な声で言った。


「変な死体が出たから、送った住所に来てほしい」

「分かりました……じゃあ、行きますねー」


 そう言って、彼がその手で電話を押しのける。

 僕は、その意思を汲み取って、電話を切る。あくまでも彼の意志である。僕のせいではない――といっても、あとで理不尽に蹴られるんだろうな。もう分かっている。

 雑誌でも、詰めていこうかな。



「てなわけで、帰ってもらってもいいですか?」

「おい、こちらは本家からの……」


 無は、本家の使いの言葉を遮る。


「小間使いが、偉そうに」

「なんだと?」

「跡取りがいなくなったから、追い出した人間を元に戻そうとか恥を知らないにもほどがある。さらに、一番困っている本人が、頭を下げに来ないのもおかしな話。父に伝えてください。『あなたがうちの前で土下座して、それを全国に中継でもしてもらえれば家に戻るかも』って」

「んな――」


 神園の使いの人間は、全員唖然という顔で固まった。

 彼は、そんな人間のことを一瞥もせず、車いすを動かして出て行った。


 

        ☆

 


 神園かみのそのしゅうの死は、世間的には公表されていない。

 不慮の事故により、表舞台から姿を消したと言われている。

『「不慮の事故」というのが、嫌らしい』と無は言う。事故であれば、としても理由になるということだ。

 だが、当の本人は興味がないらしい。


 兄の死を、気にしている様子もない。

 それが彼らしいとは言え、同時に心配でもある。

 でも、彼は――彼は、ヒーローなのである。

 そして、ヒーローとは同時に孤独だ。


 

        ☆


 

 無事に怒木警部の蹴りを週刊誌で受け止めることに成功し、僕らは現場にたどり着いた。


「で? なんで、死体がないんですか、警部?」

「いや、それはさあー。死体がきったない女の死体でさ……、無にみせたくないなあって」

「そんなわけの分からない理由で、死体を片付けるってなんですか?」


 まあ、確かに微差でしかないことですが。

 彼は、自身に満ちたように言う。

 死んでいたのは、桃井カレンという女性だった。

 様々な職業を掛け持ちし、ホストに貢いでいたらしい。

 長い髪をツインテールにした、地雷系のようなファッションの女だったという。


 現場は、絵にかいたような古い木造アパートの、二階の角部屋だった。

 入り口のドアにはこれまた古い鍵とドアストッパーに、自前でつけただろうもう一つの鍵とチェーンがあった。そんな入り口を一枚くぐると甘ったるい臭いがして、狭い通路には段ボールやごみ袋が散乱し、通路の奥にはさらにゴミの山――汚くて、芳香剤の強い香りを帯びたピンク色の空間が広がっている。


 服や化粧道具がそこかしこに転がっており、カレンダーには予定がびっしりと書かれている。だいたいが源氏名のような名前と誕生日という表記で、どれも楽し気な装飾に彩られている。

 死体があったのは、奥の部屋ではないのだという。


 通路の途中のドアを開けた場所――現場は、狭いユニットバスの中だ。

 そんな現場なので、無は車いすに乗れず、僕が彼の体を抱えている。


「彼女は、浴槽の中にいた」


 そう警部が言って、ドアが開かれる。

 浴槽には、少し濁った水が張られていた。

 カーテンはなく、床やトイレ回りには水垢が蔓延はびこり、排水溝には大量の髪の毛が貯まっている。掃除の行き届かない浴室ながら、高価そうなシャンプーやコンディショナーが並んでいて、髪には気を付けているのが伺える。


「そこで感電死していた」

「感電死……、原因のものは?」

「ドライヤーだ」


 警部が高そうなドライヤーを持ってきた。


「で、どこが不思議なんです?」

「いや、こんな部屋だからさ。事故とすべき可能性があると思ってな」

「事故? そんなわけないじゃないですか?」


 無は、ずばり言ってのけた。


「いや、だとしても、なんでそう簡単に言ってのける――」

「ちょっと待ってください」


 無は、警部の言葉を遮る。


「その時、鍵とチェーンは?」

「どちらもかかってなかったという報告がある」

「零夜、ちょっとドアに連れてって」


 僕は僕にそう命じて、言うとおりに彼にドアを観察させる。


「あー……」


 これは立派な殺人ですね。

 無は、唇に微笑を浮かべた。


 

        ☆


 

「なんで、そう言い切れる?」

 警部が無に問い詰める。

 それに対し、無は首を傾げる。


「いや、これに関しては警部の方が専門だと思うんですけどね」

「は?」


 警部は、まったく理解していない様だ。

 こちらとしても、謎だ。警部の方が専門?


「ほら、僕は男の子ですから、女性の気持ちは女性の方が分かるでしょう。まだ」

「まだって、なんだ。まだって」

「まあ、解説しますか」


 そういって、無は説明を始めた。



 

「警部は、髪を短くしてますけど……彼女のように髪が長ければケアは必要でしょうね。

 かなり気を付けているのは、シャンプーからも分かります。

 だから、彼女は良いドライヤーも持っていたんでしょうが……さすがに風呂場で髪を乾かす人間はいないでしょう」


 それはそうだな、僕も頷く。


「ましてや、彼女の髪は長い。

 どう頑張っても湯船で髪を乾かせば、髪の先が水に浸かるでしょうね。

 だったら、せめて浴槽からは出て、こちらで髪を乾かすはず。

 なのに、彼女は水の張っている浴槽で、ドライヤーで感電死していた。

 なら、それは事故ではないわけです 

 じゃあ、自殺の可能性ですが……

 そのカレンダーで、それは考えづらいでしょうね。

 未来に絶望したのなら、カレンダーは破り捨てられてそうなものですが」

 

 じゃあ、これは殺人だと?

 警部は、そう尋ねた。


「警部は、風呂に入るときはどうしてます?

 えっち? ――いや、そういうの良いんで。

 実際部屋の鍵はかけますよね。

 こんな誰でも入れるような安アパートですし、自前で鍵を追加するような神経質な方みたいですし。

 じゃあ、鍵をかけずに風呂に入るようなパターンとは?

 それが一番考えられるのは、誰かが室内にいて勝手に外に出て行ったと考えるのが妥当なのではないでしょうか?」


 そう言って、無は閉めた。

 警部が彼女の交友関係を調べると、アリバイのない人間が数人浮上した。その中でも、彼女の贔屓のホストが犯行を自供した。彼女とは『営業』から来る契約上の金銭トラブルがあったらしく、それが犯行の引き金となったらしい。

 だが、そんなことは無にはもう関係のないことだった。

 


        ☆


 

 人間に興味がないのは、いつものことだ。

 しかし、今回はそれだけではなかった。

 乱雑に積まれた雑誌や督促状の間から、無は一枚のチラシを発見したのだ。

 そこにはこう書かれていた。


『あなたの体を、永遠に美しく。

  プラスティネーション工房:ミケランジェロ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

有無相生 亜夷舞モコ/えず @ezu_yoryo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ