Who killed her for what purpose?⑤

「『ちょっと、彼女に会いに行ってきます』というのを、私は止めませんでした。嫌な予感は少なからずあったのですが、それが現実になるだなんて……」

 そう、千尋は語った。

 彼女がどちらを指すのかは言わなかったらしい。

 ハルミか、ミミか。


 

 翌日のことだ。枕元に立つ人影。

「ああ、ハルミ――まだ暗い、一緒に寝よう」

 その人物を僕は掴もうとしたのだが、いきなり叩かれた。

 平手ではなく拳で……

「うわっ、千尋さん? こんな暗いのに何で?」

 時計を見ると、まだ4時。枕元のライトを照らして、時間を見た。

 ここに来て4日目、3回目の朝は最悪だった。まだ薄ら暗い時間に、僕は千尋に無理やり起こされた。彼女の眼を見ると、その眼が鋭く光っていたのだった。


「まだ4時――」ですよ、という文句は彼女には無意味だと分かり言葉を切った。

「そんな場合じゃないんです」

 彼女の声に含まれた怒りと緊急性で、僕は我に返る。

「まさか?」

「そのまさかです。鏡花さんが殺されました」



 ベッドから身体を起こし、千尋に促されるように現場へ。

 殺害現場はリビングであった。リビングの窓際には、1本の大きな柱がリビングの窓を二分するように立っている。家を支える重要な柱のようだ。それを挟んで右側には階段とバーカウンター、左にはピアノやソファが置かれている。

 その柱に、鏡花の死体は釘付けにされている。

 両手は窓のカーテンレールに結ばれた紐で肩の高さにまで吊られ、両足は真っ直ぐになるように縛られている。力が入っていないにも関わらず、彼は壁に寄りかかるように立っていた。それは見ただけで、どうしてかが分かる。

 首に1本の細身のナイフが刺さり、貫通して後ろの壁にまで届いている。さらにもう1本の長いナイフもまた腹を貫通して、後ろの壁に固定されている。さながら残酷な殺され方をしたキリスト。

 手足をではなく、首と腹部を突き刺された無残な処刑。

 血は床にだらりと流れ、足元に池が出来るほどに流れている。

 更にバーカウンターにも血しぶきが飛んでいる。近づいて首を見ると、刺し傷が2つあることが解る。一度首を指し、固定のためにもう一度刺したのだろう。


「何か分かります?」と千尋は聞いた。

「詳しい遺体の調査は、ハルミと一緒にするほうが正確なんだ」

 それは――と彼女は苦い顔をする。

「許可しかねます。彼女がこの事件に関わってないとは思いますが、それだからといって、彼女が完全に白であるということにはなりません。そして、何よりも他の家族の人が納得するとは思えませんから」

「それは困るよ。調査の時だけでいいし、あと彼女の部屋の鍵をしっかり確認してくれ。それが開けられた形跡なんてないはずだよ」

「では、行ってみましょう」


 彼女はリビングから階段を上り、ハルミの部屋へとたどり着いた。

 彼女がドアノブに手を掛けると、鍵なんか掛けられている様子もなく、カチャリと音がして開いてしまう。僕はそれに驚いていると、千尋はハルミがまだ寝ているのを確認して、再び鍵を掛けた。


「どういうことですか?」

「いや、僕は昨日確かに鍵を掛けた」

「では、彼女が一人で開けたと?」

「それは無いよ、内側にあったサムターンはどうやっても回らなかったし、外からしか鍵を掛けられないのはみんなが知っているはずだ。それでも開いたのは、何らかのトリックに架けられたとしか考えられない」

「アナタや、ハルミ様がやったという証拠も、やらないという証拠も何もありませんけどね」

「彼女は、自分が疑われるのにやると思うかい」

「それがペテンではないと言えますか?」

 僕は怒りを含めて言う。

「そうだ。彼女が疑われると知って、僕が彼女を罠にかけようとするわけがない。彼女が黒でなければ、自分にも疑いが向くというのに」

「分からないわ。本当は好きじゃないのかも」

 もう1人の声。

 ミミだった。

「それは無いよ」

「へえ、そうなの」

 彼女は僕の言葉を、無にしてしまう。

「では、アナタは?」と千尋の眼は、ミミに向く。

「私は知らないわよ。だって、寝ていたもの。誰にだってアリバイなんてないでしょ?」

「それはそうです……申し訳ありません」

 千尋は、頭を下げて詫びた。

 ミミは、手を振って「いいわよ」と笑った。相変わらず誤魔化すのが上手い。

「そんなにしっかり謝られても逆に困ってしまうもの。だから、顔を上げて。でも、鏡花さんが死んで大丈夫なの。何か大事な物とか取られてない?」

「大丈夫です。金庫には鍵を掛けていますし、鍵は更に隠してありますので」

「なら、良いわね。一応他の物とかも確認した方が良いわよ」

「はい」と言って、千尋は戻って行った。

 ああ、でも――と言って彼女を呼び止める。

「あとで調理室を見てもいいかな? 鏡花はダメだって言ってたけど、こんな状況じゃあ少しでも何か見つけておきたいんだ」

「分かりました」と言って、彼女は無感情に立ち去った。


 

「じゃあ、アナタは鏡花を下してあげないとね」

「ミミさん、何でこんな時間に起きているんですか?」

「昨日は、夕食の後すぐに眠っちゃってね。すぐに目が覚めたの」


 はあ、と僕はため息とも落胆ともつかない声を上げてしまう。

 その途端に僕の脛を蹴り上げて、声も出せないほどの痛みに崩れ落ちる。蹴り上げたのは勿論ミミで、見上げた顔は恍惚とも言える表情をしている。自らを主人というだけ会ってサディストにもほどがある。


「ペットにしては、お口が過ぎるわね。でも、泣かないのは立派よ」

「鬼ですか、アナタは」

「もう一度、欲しいの?」

 僕は必死に首を振って、何も言わず作業に徹した。



 鏡花の死体の全体の写真、首の写真、腹部の写真……それぞれ証拠になりそうなものをカメラで撮り終えると、彼を壁から下し床に寝せた。慄く彼の恐怖の表情は、固まったまま治らずにいた。

 彼の胸ポケットを漁ってみるが、何もない。

 何の持ち物もないのだ。執事であれば多少の身だしなみを整える物なり、鍵やメモなどを隠し持っていてもおかしくないのに、彼の執事服には何も入っていない。これは誰かが持ち去ったと考えるのが通常であろう。犯人か、それとも千尋が――

 何のために?

 金庫の鍵が欲しかった? 

 鍵を持つのは誰か?

 そして、持っている人も、鍵の場所も知らなかった人物は?

 

 あとでそれとなく、全員に話を聞こう。

 でも、それは太陽が高く昇った後でいい。今は誰にも休息が必要だ。

 僕は、鏡花を晶人や深雪と一緒に安置させてもらう。



            ◇



 少し眠って、最低限の疲れは取れたと思う。

 鏡花が死んだということを朝食の前に、千尋が伝えた。

 それによって家族の顔に絶望の色が増したのが、傍からも見てとれてしまう。晶人が死んだ時や、深雪が殺された時とは少し色合いが違うように見える。その絶望は、もう生きることさえ無謀な世界の終焉でも見たかのように、今にも死んでしまいそうな顔だった。

 千尋が作った朝食を食べる。鏡花が殺されたため、僕がハルミの部屋で料理を食べることは禁じられ、彼女の部屋に出入りすることも制限されるという規則が新たに提示された。

 それは彼女への疑いが強くなっていることを示す。

 千尋の料理も鏡花に負けず劣らず美味しいことは否定しない。それで家族も少しは顔に鮮やかさが戻った気がする。美味しい料理は人を癒すのだ。

 僕の質問は、以下の通り。



 一、何か隠し事は無いか?

 二、武蔵の書斎の貴重品を管理する鍵の場所を知っているか?

 三、この家で信仰している宗教は?



 院宣家に残っているのは、武蔵・理恵・夏樹・ミミ。それにメイドの千尋。僕とハルミだけとなっている。院宣家の人々は、1つ目の解答に誰もがそれは言えないとした。それを言って、夏樹を睨んだ理恵の眼は恐ろしいほどだった。

 そもそもこれは言うはずはない問いなのは自覚している。でも、一応聞いておきたかったから入れてみた。


 さて、2つ目。

 これに関しては、理恵と武蔵だけに聞ければよかった。実質的に家で力を持つのは、この2人だとこの数日の間で感じていた。

 だから、僕は2人に聞く。


「この家の財産は、どこに保管されているのですか? たとえば、その武蔵さんのブローチなどは」

「それは、すべて父と鏡花の管轄ですので。私は何も。それに触れるのは父と鏡花だけですもの、私に鍵は貸してくれませんの。全ては父と鏡花や千尋に任せると決めたことですので」

 と理恵が答え、視線を武蔵へと投げた。

「じゃあ」と僕は、武蔵の方を見て、「最近の鍵の管理は?」

「私も、最近は鏡花に全部任せていた。最近は鍵を触ることもないよ」

 よく分からないがあるのだろうか――そんなこと?

 主人が管理に関わらないなんて。

「なら、千尋さんも鍵の管理を?」

「あとで直接見ていただいた方が良いと思いますが、金庫の鍵は調理室の棚に入れてあります。棚にも3ケタの数字を揃えて開ける鍵を付けていて、そのナンバーは我々しか知らないはずです」

「そうですか」


 この広い屋敷を『2人という少人数』で取り仕切ることの出来るような力のある人間の方が、この屋敷でだらだらと過ごす金持ち一家よりも責任を任せられるだろうというのは理解できる。この家族の一員になるのなら、そうした方が賢い選択だ。

 院宣家の面々からは、どうにも世間知らずな感じがする。外の世界に買い物に出るなどをしているのも2人らしいから。


 では、3つ目。

「武蔵さん、この家の宗教は?」

「普通に曹洞宗だが? 家にあるキリスト教関係の物たちは、すべて前の持ち主のものだ」

「じゃあ、あの中庭の――」と言おうと思ったが、僕は口を噤んだ。

 どこかから冷たい目線を感じたのだ。誰も僕を見ないで、じっと前や皿の上を見つめている。千尋もすでに厨房に戻っていた。

 幽霊とか?

 ふと思い浮かんだが、すぐに考えは振り払った。

 そんなものあるはずはない。

 この世に、謎というものは存在しない。

 必ず説明は付けられるはずだ。


 そんなことはありえない。




         《 An answer is in a purple fog. 》

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