For what purpose do people have to die?③

 南の空に夕焼けが輝くころ――小さく悲鳴が聞こえた。

 僕には分かる。僕だからこそ知っている。

 それがハルミの声であることは。


 危険が迫っていた。

 僕は3階の彼女のいる物置まで走ったが、途中で誰にも逢わなかった。

 それは間違いなく、真実だった。

 僕は恐る恐るドアを開け、中を見た。彼女の腹が包丁で刺され、血を流しているのが見えた。僕はすぐさま抱き上げて、彼女の呼吸を確認した。まだ微かに息がある。まだ生きている。

 でも、この状況では……その思考を飲み込む。

 絶望的――そんな言葉が頭の奥に浮かんだ。それを必死に振り払って、彼女の名前を呼んだ。必死に彼女の耳元で呼びかけた。


「ハルミ、ハルミ……」

 僕の必死な声に、彼女は――

「れい……」

 今にも消えそうな声だ。

「れい……」

「喋らない方が良い」

 僕は一秒でも長く、彼女と話したかった。

 これで尽きようとする命を――でも、その気持を救ってやりたかったのだ。

「でも、わたし、分かるの……もうダメだから……」

「そんなこと言うな!」

「最後に聞いて」

 彼女の眼が開き、まっすぐに僕を見つめる。

 吸い込まれそうな強い光。最期に光り輝く流れ星のよう。

 定まらない焦点に、僕は終わりを感じ取らずにはいられない。

「キリストはまだ死んでない……様々な土地から集まった使徒を、天国に、連れて行く役目をまだ持っているから……私は、ユダだったの……」

「どういうことさ」

「私はタダイのユダ……イスカリオテのユダはまだいるの……見つけて捕まえて」

 彼女は笑った。

 もう喋るなとは言えない。

「ねえ……わたしは幸せになれないって思ってたの……ずっと、前から……不幸になって死んでいくんだって……でも、好きな人の腕の中で死ねて、幸せなの……」

 彼女の手が僕に何かを押し付ける。僕は彼女の手を強く握った。

 でも、終わりは、すぐだった。

 あまりにも、短すぎる。


 彼女の体の力が抜け、死んだということが手の感覚で解かった。力の抜けた彼女の体は、いつもより重かった。21グラムの魂の重さは、もうどこかに消えてしまったというのに。

 顔は幸せそうに笑っていて、僕はその眩しさに目を背けるしかなかった。

 こんなものが、今生の別れか。

 手に握られた手紙を見て、僕は笑う。

 溢れ出る涙に背いて、笑って彼女にキスする。最後までやり遂げることを彼女に誓って、永遠の愛をここに誓おう。この命にかけて、この愛にかけて、終わらせる。



 さあ、決着をつけよう。

 怖いものは無い。



            ◆



 私はタブレット端末を、この部屋に持ち込み、メインのコンピュータから「とあるデータ」を移し替えた。その移動に対しては、このの終焉を感じて止むを得ないと感じたからだった。ただの安全のためには。どうしても。

 データの移動が終わり、タブレットを持ち出す。そして、食堂へと戻ってくると、零がいるではないか。そこで気付く、全てが謀られたことに。


「ようやく、これで揃いましたね。全員がここに」

 と言ったのは、神園零。

 さらにテーブルに着くのは、ミミと理恵。

 そして、この端末の中にいる――。

「ようやく謎解きですか?」

「ええ、遅くなりました」

 彼は無表情に言った。



            ◇



 皆が揃った食堂にて、言葉を切りだした。

「さて、僕の本心からの提案です。皆さんから、本当のことを聞きたい。この『罪悪館』で起こったこと、これまでしてきたことの真実を包み隠さず話してほしいのです。よろしいですか、これは罪とか、悪とかではなく、ただ僕の自己満足と言った方が良いでしょう。どうして、この館で、彼らや『彼女』が、死ななければいけなかったのかを知りたいだけです」

 そう言うと、食堂は静まり返る。

 誰も話す気はないのか――と思ったのだが、突如声がした。


『なら、私が付き合おうか――探偵殿』

 千尋のバッグから、声がする。平坦で抑揚のない声、機械の声だった。

 千尋はしぶしぶカレを取り出して見せた。

 タブレットに浮かぶ、顔は――レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像――一枚の絵画の口が、目が動き話を始める。その自身のある声に、直感的にこれがであると判断した。

「アナタがこののプロデューサー?」

『ああ、レオナルドと言う。AIだ。よろしく、神園零探偵。では、何を話せばいいのかな……でも、ちゃんと計画プロジェクトということは気付いてくれたみたいだね』

「まあね、だからこそ、これだけ時間が掛かったんだよ」

『〈最後の晩餐計画〉――どうだ、良い名前を思いついたと思わないかな。これで人は救われる、私が救うんだ素晴らしいだろ?』

「……」

 狂ってるな。

 僕は言わなかったが、気持ち悪いほどのズレを感じていた。感情や知能を持ったプログラムも、これだけ狂ってしまうものか。

 これを作った人間は、どんな頭をしているんだか。

「そうか、やっぱり〈最後の晩餐〉ですか。希望した料理とセットで人が死んでいくとはね。晶人はラーメン、武蔵はステーキだったんでしょう。味があまりに普通だった。それで彼は自殺した。最後に食べたいものを食べて――こんな偽者の家族と、一緒に死んでいく……」

「そこまで気付いていたの?」

 声を上げたのは、千尋。

 彼女の顔は驚いている。

「誰だって気付く。晶人が死んだ時にあれだけバラバラな証言をしていれば、アンタたちは一応口裏を合わせるように努力はしてたみたいだけど、緻密に証言を合わせることが出来なかったみたいだった。まあ、そもそも鏡花が途中で死んでしまってからは、難しくなったみたいだけど」

『へえ、流石探偵さんだ。それだけで思ったのか』

「いや、それだけじゃない。でも、これで分かった――」

 僕は、スーツのポケットから証拠の品を取り出す。

 深雪が隠して持ち込んだ、ピンクの携帯電話。

「これをどう説明付けますか?」

「!」彼女は息を飲んだ。

「そもそもこの島から出ずに、暮らしている人間が携帯電話を持っているのはおかしい。そしてこれは――うちの会社が開発に携わって、今年の春に発売された新型の携帯電話です。そして、深雪のメールを何件か読ませてもらいました。そこにもちゃんとレオナルドへ送信した痕跡もありましたよ。特にその――」

 僕は画面を見せた。

 

 それは最後に届いたメール画面のURLから飛んだ先の画面。

 レオナルドへの注文が書かれた画面だった。


「――卵焼きというメニューが書かれているのもね」

「それは……」

 彼女が言いよどむと、レオナルドは言った。

『千尋、もう無理ですよ。無様な真似は止めなさい。さあ、推理を続けてください』

「では、あとは最後のピース。晶人の服から見つけた紙片です」


 彼が広げた紙には、『Ⅳ‐13‐21』と書かれている。これが何のことか分かったのは、ハルミが残した紙のことで調べていた時だ。少なからず聖書に関する本は、ここに揃っていたから、調べることは簡単だった。

「Ⅳがローマ数字で書かれ、あとはアラビア数字で書かれている。だから、これはⅣと13以下の数字は別物なのだと判断しました。そして、ここにあるもので何か関連する物を探し回ったんですが……」

 僕は、言葉を切った。とても挑戦的な謎だったのだ。

「それは食堂にも、エントランスにも存在した。さらにこの屋敷にはキリスト教をイメージさせるものが多く存在した。なのに、これに気づくのに時間が掛かったのは、とても悔しくてなりません」

 彼がテーブルの下から取り出したのは、新約聖書。

 キリストの話を書いた福音書や黙示録を取りまとめたもの。

「この中に、『ヨハネによる福音書』というのがあります。これの別名が何と言うか知っている人はいますか?」

「『第四福音書』です……」と理恵が答えた。

 彼女はクリスチャンだろう、彼女の証言を聞いた時から思っていた。

「そう、『第四福音書』が『Ⅳ』に通じる。そして、その中の13章21節とは、このシーンです」

 僕は声を張り、それを読んだ。



『イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」』〈ヨハネによる福音書十三章二十一節〉



「有名なシーンであり、これこそがレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に描かれる場面であるのです。これを何故残したのか……彼もまたこの計画を僕に伝えたかったのでしょう」

 そう言うと、部屋はさらに静まって、ただAIの『ブラボー』という音声だけが響いた。



「では、話を戻します。この家で自殺を遂げたのは、三人。晶人・武蔵さん・夏樹さんです。しかし、夏樹さんはレオナルドに殺されたと言ってもいいでしょうね。この屋敷からは逃げ出せないように張られたトラップに引っかかったんですから、森の中の爆弾や入り江にある電流の門のように、外からの敵ではなく、内側の裏切り者を出さないために。鏡花が頑なに道を外れるなと言ったのもその為です。

 では、晶人が死んだ時の話はしました。では、武蔵の時はどうだったのか。あれは、鏡花が死んだことに絶望しての死だったんでしょう? この家で計画を取り仕切って人間が死んでしまったがために、彼は千尋にネクタイを投げつけた。『こんなものに意味はない』と言って――それはつまり家の名に、意味がなくなったということ。院宣と家の名は、アナタたちが特別に用意したものだった。中庭の石碑に刻むために」


 パソコンからはパチパチと拍手の音がして、画面に映し出された顔は笑う。

 スピーカーから流れるファンファーレとともに、彼は言う。

『正解だよ、おめでとう』

「そうですか。でも、アナタにも聞きたい。アナタがこの殺人事件が起きた現場で、この計画を止める支持を出さなかったのは何故です?」

『まあ、いつも通りに自殺させても面白くなかったからさ。さすがにそろそろ飽きたからだ』

 僕はそれに怒りを覚えが、まだ我慢だ。

 けれど、僕はもっとも大切な人のことを忘れていたのだった。




 次に追求すべきは。

「続いて、憎むべき殺人犯のこれを見てほしいんです。ハルミが残した一枚の手紙……」

 僕は、彼女が最期に書き残した紙を見せた。

 3つの英文が書いてある紙だ。



『I am Judas.         私はユダ。

 But, I was forgotten.     だが、私は忘れられた。

 I am Judas Thaddaeus.』  私は、タダイのユダ。


「これは彼女が勇気を持って、示してくれた告発文です。この最後の晩餐計画の存在を匂わせながら書いているようでした。まあ、解説は後にします。

 そして、もう1つの物品は先ほどの深雪の形態電話。殺された後、入力されたメールがあります。付着した血痕から、これが刺された後に作成されたデータであることは分かってました。そのメールの文面ですが、流石に電池がもたないと思って、僕がその画面を写真に撮っておいたんです」

 そう言って、僕はここでは使えない方の電話で撮った写真を見せる。


「これもデータなので、改編できる可能性を鑑みれば、かなり証拠としては薄いでしょう。でも、ハルミの書いた紙と合わせて解釈すればかなりの証拠となるはずです」

 メールの文面の『ゆだ』の文字。そして――

「ハルミの書いた分を訳すとこうなる。『私は“ユダ”。でも、私は忘れられた。私は“タダイのユダ”だ』と書かれています。では、深雪はハルミに殺されたのか? いや、違います。深雪は、詳しくは知らなかったみたいなんですが、聖書に出てくるキリストの使徒の中には、『ユダ』とされる人物は二人いるんです。

 その一人がタダイのユダ。

 ヤコブの子と言われたり、キリストの弟とされたりと諸説ありますが、裏切ったユダの影に隠れて目立たない人物です。聖書の中の名前のパターンは少なくて、何人もの名前が重複していますし。

 そして、有名なイスカリオテのユダ。この人物がキリストを裏切り、売った人物。それになぞらえて、ハルミも深雪も犯人をユダと言った。同じ漢字を持つ人間を、同じ名前の二人のユダに準えて犯人を指示した」

 僕は、人差し指を向ける。

 彼女に。


「ですよね、美美ミミ

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