Which is right ?➀
自社ビルの屋上のヘリポートから、最高時速を出しながら飛び続けて約3時間。
操縦士の眼にやっと島の姿が確認できた頃、ようやく最後の仕事の入力が終わった。PCの画面のカーソルを合わせ、「送信」とエンターキーを押した。悲しげな電子音が通信の不具合が発生したと鳴いて、画面には赤色の警告が出現する。
「電波が届いてないのか。これじゃあ、あっちでは仕事が出来そうもない。とりあえず衛星電話でその旨を伝えておかないと――」
いけない、という言葉を彼女の声が遮ってしまった。
「やっておきましたので、大丈夫ですよ。あと、その仕事の資料は島に通じている回線からでも遅れますから心配なさらず」
そう言って、彼女は僕の手元からノートPCを奪い取り、膝の上に置いた。彼女の目が左から右へと動き、僕の書いた文章をつらつらと追っていく。その目はとても厳しい仕事の眼で、その後には些細なミスでさえ存在しない。そのときだけは、まるで鷹か、殺し屋のような眼だ。
東京の本社から南南東へと飛び去って、3時間半ほどになろうとしている。
PCを衛星電話へと繋げてデータを送信すると、パタリとPCを閉じた。
ここは本当に日本の経済水域内なのかと思えるほどに絶海の孤島。まわりに陸地など見える気配もなく、ただ群青の海がどこまでも広がるだけ。他には何もない。
ヘリは、島に近づき着陸場所を探す。
島をぐるりと旋回する。上から見れば島はかなりの広さであることが分かる。ビルの6階ほどの高さを誇る鋭い岩壁が、海からの侵入を跳ね除けている。海が荒々しく波を打ちつけても、びくりともしない海上の城のようだ。島の北の外れ、島でも一番見晴らしのいい崖に、それは静かに建っている。彼女の生まれ育った家は、深い緑の中でも美しく生える青色の屋根だった。
島のほとんどを緑の南国の木々が天に諸手を掲げるように大きな葉を茂らせ、島の端には眩しく日を跳ね返す真っ白な砂浜があった。
操縦士はそこを見つけて、握った操縦桿を静かに前に倒した。
「着陸します」
彼の手は桿を慎重に動かし、高度を下げていく。
そこは島の高い岸壁に囲まれた自然の入り江だった。
島の城壁のような岩壁はどこまでも高さを変えず、島をぐるりと一周している。だが、島自体は家のある北側の崖からゆっくりと下り坂となっていて、この南側のビーチが最も低く海と同程度の高さだった。島の岩壁はどこまでも平均18メートルの高さを変えることなく一周しているのは、先ほど説明したとおりに事実である。ならば、この海抜0メートルとも言うべき入り江がどうなっているのかといえば、高い岩壁が見事にビーチを囲んでいて、自然的にプライベートビーチを作り上げているのだった。
これは素晴らしき自然の悪戯であり、神のちょっとした人へのプレゼントに思えた。
この家の人間である彼女が言うには、一見したところでは見えないが、岩壁を通り抜ける道もあるらしい。それを使って、執事は近く島へと買い物へ出かけたり、物資の補給船が辿りつけたりが出来るというわけだった。
僕たちは、ここへ結婚の報告をしに来た。
駆け落ち同然の結婚だが、彼女の故郷にだけはしっかりと挨拶はしておきたいと言う彼女の意思を汲みたかったからだ。それで何かが変わるわけでなくとも。ただ自分たちの罪の意識は軽くなるから。
「やっと着いたね。ところで島への連絡はしてあるの?」
彼女の顔を見た。婚約者の、その美しい顔を。
白く、そして柔らかな肌が少し疲れたのかブルーに染まっている。それは旅の疲れか、結婚報告という精神的なものか。はたまた――と同時に、ヘリの足であるタイヤがスッと砂浜を捉えた感触がした。
「えっと……
「あ、ええ。心配しなくても、大丈夫ですよ。着く前に連絡をくれと言うことでしたから、先に連絡を済ませておきました」
そうかと僕は、うなずいて外を見た。
彼女の肌のような白い砂浜と、青い海が美しく広がっている。
降りた瞬間、東京とは違う暑さを感じた。
季節は五月なのに、緯度の低さが作り出す南国の空気を感じた。すぐに僕は上着を脱ぎ、スーツケースに放りこんだ。シャツのボタンを二つほど外したが、それだけじゃ足りないくらいだ。
「それでは、社長。5日後にお迎えに上がります。日時は、5月15日の午後12時で間違いありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。よろしく」
ヘリコプターは僕らを下し、すぐに飛び立っていった。両翼の端にプロペラを持つ、この機体は自社の開発によるものだが、他社のティルトローター方式機の事故によってイメージが悪く、売り上げも悪い。
そんなわけで自分が乗ってイメージの改善を図っている。
だが、ヘリとしてはスピードが出るためにかなり重宝している。この機体でなければここまで三時間半では着かなかっただろう。
砂浜から屋敷へと行くには、島の深い森を抜けなければいけないみたいだが、森と入り江の境には大きな黒い門扉があった。完全に海と敷地を遮断するように長い鉄の柵が存在していて、長い砂浜の端から端までを切れ目なく結んでいる。門と柵の上部には、有刺鉄線が張られており、近付くと微かにブーンという音が鳴っている。
どこか危険な匂いがして、門には触れないことにした。
美美は会社を出るときに白い薄手のワンピースに着替えていて、サンダルを脱ぎ、水際で海と戯れている。砂まで透き通って見える海には、赤いカニやヒトデがゆっくり波に揺られ、きらりと魚が身をひるがえした。
それを見て彼女の顔は少し笑顔になり、僕は彼女の様子をじっと見つめていた。
日差しが彼女を照らす。
彼女の体のラインが、うっすらと浮かび上がる。
滑らかな腰から――細い足までの線が。
海風に舞う、ワンピース。艶のあるショートカットの黒髪も風と遊んで、僕の眼を引き付ける。このひとを絶対に幸せにしようと、このひとを誰にも渡したくはないと、絶海の静かな入り江で誓った。
「ねえ、社長」
「もう、ここまで来たんだ。名前で呼んでいいよ、美美」
「ええ。れ、零さん」
彼女は少し俯いて、指と指を恥ずかしそうに絡めた。再び僕の方を向いたとき、彼女の顔は近くを這うカニよりも真っ赤に染まっていた。それをみて、僕は彼女に近づくと優しく抱きしめた。
彼女の頭は頬のところまでしかなく、黒い髪からは太陽のような匂いがする。
「「ありがとう」」
自然に出た言葉は重なって、びっくりして見つめ合い。そして、笑いあった。
とても幸せだった。
神園零――それが僕の名前であり、日本の高額納税者のリストでは第2位として書き記されていることだろう。ちなみに一位は僕の父で、日本を背負って立つ大企業・神園グループの会長だ。僕はその父に認められ、昨年18歳の誕生日の折に、グループに属する企業の25社を任されることになった。神園家の正妻の一人息子である僕は、父の才をしっかりと持って生まれることに成功したというわけだ。父は僕の成果をすごく喜んでくれた。つい先日までは……
僕が結婚相手として紹介した人物は、今この場にいるひと――空閑美美。僕の秘書だった。彼女だってちょっとしたお金持ちの家から、空閑家という家に養子に出た人間だと聞いている。
でも、
でも……。
自分で言うのもなんだが、僕は大財閥の御曹司だ。
だからこそ、秘書と結婚すると発表した先に待ち受けていたものは否定であり、拒絶であった。結婚だけでなく自身を否定され、相手の考えをも否定された。尊厳もプライドも犯され、捨てるように強要された。でも、それに僕は刃向うしかない。僕自身を犯し、壊すことも許されざる罪だ。同様に大切な人自身を傷付けることも、僕は許さない。
「結婚しよう。僕はすべてを捨ててもいい」
そうプロポーズした。
あのとき、僕の手を優しく握って、彼女は答えたのだ。静かに首を横に振って何も言わなかった。何も、何も。それから数日、僕は日々の仕事を必要以上にこなし、後腐れをすべて捨てようとした。僕がいなくても、彼があとを継げるように。僕は何もかもを捨てて、彼女を愛することを決めたのだ。
キミを、愛してる。すべてを捨てて、キミのために生きよう。
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