Which is right?④
「申し訳ありません、皆さん」
執事からの紹介に預かった後、僕は院宣家の面々に頭を下げた。
そこには縦に長いテーブルが一脚あって、六人が椅子に腰かけている。皆の前には、紅茶が美しいティーカップに注がれている。
「私は、ここにいる空閑『ハルミ』の同行者なんですが、すこし手違いがあったようですね。そこに居られるのは、どちら様ですか」
私の言葉に全員が、そこにいる謎の女性を見た。
その
ただ一つ違うのは、その化粧がハルミよりも濃く、大人っぽい見える。
口紅も、濃い紅をしていた。
「ねえ、本当に双子じゃないの?」とハルミに耳打ち。
「違いますよ」
鏡に映る彼女を見ているような、幻を見ているようなそんな気分になる。
美しく口唇が薄い半月を描く。
月のように艶やかで、夜のように怪しい。
「フフ」
彼女は笑った。
しんと静まり返った中で、静かに。
「フフ」
彼女は、笑うだけ。
一言も、何も言わない。
こっちとしては、強気に行くしかない。はっきりとした証拠があるはずもなく、それを証明できるわけもない。それを分かっているからこそ、彼女はそう言ったのだろう。だから、家族もそれに乗る。賭けの優位な方にベッドするしかない。
でも、虚勢の張りかたを間違えたのは、彼女の態度を見れば明らかだ。彼女の行動は。何も動揺していないから出来るものだ。
ミミは真っ白なナプキンで口を拭い、赤い口紅をくけたそれをテーブルの上に置く。
「では、私は部屋に戻ります。それでは、お父様」
ミミは、中央に座る老人に手を振って、部屋から出て行った。
失敗した、というのが正しいと思う。
ただ、この場で何も言う必要がなかったとはいえ、明らかな敗北。
そのさまにダイニングの中の空気が悪くなったも事実だ。
先に、屋敷の人間を説明しておくことにする。
当主・院宣武蔵。年は69。前妻も後妻も、既に他界している。禿頭の小男で見た目はあまり良くない。いつもブローチとして宝石『涙』を付けている。
武蔵の娘・理恵。年は42。外見は年相応だ。でも、日本人に似合わない鉤鼻や黒いドレスを常に来ているので、どこか魔女のようだ。
その妹・ハルミ。ちなみに彼女は23。
その弟・晶人。年は僕と同じく19歳。女性とも思えるような美青年は、あの武蔵から生まれたとは思えない。どれだけ母が美しかったのだろうか。
理恵の婿・夏樹。年は45らしい。仕事が出来るようには見えず、挙動不審で常にオドオドしているのだ。
理恵と夏樹の娘・深雪。年は13歳。かなり年より幼く見えるが、真面目そうな外見と悲しげに纏う空気が将来的に美人になるのだろうと予感させる。
さらに、執事の鏡花。年齢はたしか56歳。年の割には老けて見える。
メイドの千尋。年は29だと言うのだが、そうは見えない。かなり若く見えるのだが、あれは絶対に成長・老化の個人差という範囲を超えていると思う。
そして、謎の女性・ミミ。たぶん見た感じはハルミと年も同じくらい。
詳しい情報は一切不明。さすがに聞けないから。
――これで、この屋敷にいる全員だ。
「ところで、私はどっちを信じればいいのでしょうかな? 神園零さん」
上座に座る老父がしゃがれた声で言い放った。
「申し訳ありません。今は信じられないでしょうが、私たちは本当に空閑ハルミと付き添いの神園零なんです。えっと、院宣さん……」
「院宣武蔵です。だとしても、我々にはどうすることも出来ませんよ、アナタが自分は本物であると証明していただかねば」
「僕がですか?」
「はい。あなたが我々に証拠を提示し、そちらの方が本物であると示していただきたい」
僕は結婚の挨拶に来ただけなのだが、なんで娘が二人いて、どっちが偽者か本物か分からなくなっているのだろうか。
それは有り得ないことであって、普通に考えればそれが理解できないことだ。
「でも、どうしてあなた方にも分からないのですか? 娘さんなら分かっても当然では?」
「もう22年にもなります。忘れもしますよ」
彼女は一歳の時に養子に出されている。だが、娘のことが分からないということはあるのか。僕が眉間にしわを寄せているのが気になったのか、武蔵の隣に座る妙齢の女性が口を開いた。
「どうして困っているんです」とその
「なんですか、家族だけに通じる感覚でもあるとでも? やけにロマンチストですこと」
武蔵はその人を見て、話を変えようと聞いた。
「理恵よ、どっちだか分かるかい?」
その様子は、聞くというよりも窺うと言った方が適切だった。当主としての威厳は面影もなく、どこか理恵の顔色をみて恐る恐る行動しているように見える。理恵という女性は、武蔵と比べると大きなオーラを持っている。どこかファンタジー映画に出てくるような魔女みたいに禍々しい空気を持っている。
切れ長にツリ上がった眼が悪女っぽさを増長させる。
黒ドレスの魔女はそっけなく言い放った。
「えっと、どっちだったかしらね。分かりませんよ、私にはそんな感覚はないので」
小さく笑みが点った。
「はい」
一人の男が手を挙げた。
夏樹だろう。四十代後半の男。顔色は悪く、不気味なほど白すぎる。
声の高い気弱そうな男だった。
「そもそもあなたが本物である証拠は?」
「これで、良いですか?」
先ほどの名刺を皆の前で公開した。映像を見ることが出来る世界最薄の名刺。コストパフォーマンス的には良いとは言いにくいので、あまり使いたくはないんだけど。
「あ、ああ、これですか……神園グループ。ゆ、有機ELを使った名刺ですか。これは、凄い。さすが、神園グループ。こんなものを本当に見ることができるとは……」
「良く知っていますね」
「ええ、そういう話好きなんですよ。あとで話を聞かせてくださいね」
と笑顔で言う。
なんだろう、あまり空気を読むのが得意ではないのか。
では、これ以上できることはない。
「で?」
理恵は言う。
「何がですか、理恵さん」
「で、他に何かあるの。こんな話し合いはくだらないわ。私も先に部屋に戻りますので」
引き留める間もなく、彼女は持っていたティーカップを叩きつけるようにソーサーに置くと、ダイニングから出て行ってしまった。
彼女はただワガママだった。
まあ、このまま引き留めても良いことも、得られる情報もありはしないだろう。ずらりと家族の顔を見回す。自信がなく内向的な晶人、居心地悪そうな入り婿・夏彦はどこかその性格が遺伝的に似ているようで、顔はそこまで似ていない。
そして、さらに僕を見るもすぐに目を逸らす理恵と夏彦の娘・深雪。
彼女は誰よりも恥ずかしがり屋のようだった。
武蔵はどこか好々爺のようなフリをしながら、どこか食えないような人間みたいだ。
この家で、僕はどうしろと言うのか。
◇
人間のほとんどが出て行ったダイニングで、僕とハルミは「軽く何か食べたい」と鏡花に頼んでいた。
だが、そうしていたのは僕らだけではなく、院宣深雪も混ざっていた。
深雪という名の通りに、真っ白な肌の少女。
指も体も小さく、か弱い小動物のような雰囲気がする。まるで雪ウサギや真っ白なフェレットみたいで、聞いていた歳よりもとても幼い。来ている物が白いドレスだったのも幼さを増長させていた。
彼女の皿には、僕らが来た時からいろいろと載っていたのだけど、食べるのが遅いっていうわけではないらしい。食べるのが遅いのではなく、食べる量が多いらしい。
身長は140センチほどしかないし、体型だって痩せている。
これで信じられない量を食べるのだと、執事からこっそりと聞いた。
「すみません、今はこんな物しか出来なくて」
そう言って、出されたのはフレンチトースト。
甘い砂糖の匂いと食欲をそそるバターの香り。厚切りのパンに沁み込んだ卵が、パンをふんわりと優しくしてくれる。
そこに執事の鏡花が、何種類かのジャムを持ってきた。
「ストロベリーに、ブルーベリーなどのオーソドックスな物もありますし、バラなどもありますがどれにいたしますか?」
「すいません、林檎あります?」と僕。
「はい、ございます。では、これを――」
僕にジャムを渡して、ハルミと深雪の元へ向いて聞いた。
深雪が喜んでイチゴを頼む。そういうことには急に元気を出すらしかったが、僕がジッと見ているのが分かるとすぐに目を逸らした。
「私は良いです。できればお茶をください」とハルミは頼んでいた。
「あっ、僕にも」
では――そう言って執事は調理場へと下がって行った。
ふう、と一息つく。
両の肺に溜まった悪い気持ちを吐き出してしまって、少しだけ肩が軽くなった。
「ところで、深雪ちゃんだよね。たまに目が合っては逸らされてるんだけど、何か言いたいことでもあるの?」
「え、あ、ええと……」
彼女は急に慌てて、フォークを置いた。
「でも、少し話を聞きたいな。あの人のことも」とハルミも乗っかった。
「そうだ。少し思ってることがあるんだけど……いいかな」
そうやって僕らは話を聞こうと詰め寄る。
作戦として、一応執事の鏡花や理恵のようなやりにくい人間を最初は避けておきたかった。そこで深雪や晶人などにしようと思っていたところだが、こうもうまく手筈が整った。
だが――轟音と共に開いた扉。
自分と同じ年頃の男。晶人だ。体型は僕より幾分細く、腕力は僕よりもないだろう。豪勢と思えるほど襟元に
この怒声は明らかに男と言える。
彼は部屋に入ってきていきなり僕のネクタイを掴み、椅子から引き倒す。大声で「何喋ってんだ」と喚き散らし、僕の顔にキスをするかという距離まで近寄る。
僕はとっさに対抗しようとしたが、それよりも先に彼は耳元で静かに言った。
「すまない。とりあえず茶番に付き合ってほしい」
低いトーンの冷静なアルト。
「え?」
喚く声とは違っていた。
僕は何も理解できないまま、横に投げ飛ばされ地面を転がった。
「深雪に何をしてんだ!」などと喚きながら、僕を執拗に追いかけ回す。僕が彼の攻撃をかわしながら、彼から逃げる。食堂を出てエントランスを抜け、屋敷の左側の廊下から外へ。ロの字型の屋敷が囲む中央部分だ。
そこには小さな林があるが、日の当たらないところの草木には元気がない。
林の中には、黒い石碑がポツンと佇んでいる。本当にそれだけだった。
「よそ者が――。中庭まで来て逃げられるわけないだろ。何もないこんな所から。さっさと謝れよ、手を付いて土下座しろ」
僕はじりじりと近づいてくる晶人の考えが分からないまま、中庭の林の中へと駆けこんだ。そして、すぐ彼はスピードを上げて、林の中へと駈け込んで来た。二人が木陰に入り込んでしまうと、晶人は僕に「待て」というように手を翳した。
僕も逃げることを止め、彼に近づく。
「解ってくれて、ありがとう。こうするしかなくてね」
「何かあるのかい?」
そうすると彼は頭を振った。
どうしようもないと言わんばかりに、表情は暗く、優れない。
黒く染まる。
「何も言うことは出来ない。この状況ではどうしようもないんだが、僕は、もういいんだ。だが、深雪を助けてはくれないか?」
「え、どういうこと?」
「いや、僕からは何も話すことは出来ない。でも、頼んだよ、探偵さん」
と言って、彼は林から出て行こうとしたのだが、急に気が変わったかのように振り返って僕の方を見た。「忘れるところだった」と戻ってくる。
「なあ、喧嘩してくれ」
「は?」
「そうして、別れたことにしよう」
彼はいきなり僕を殴り、僕も彼を殴り返した。
青痣が出来るほど殴り合って、僕らは互いの顔を見て笑った。
これは僕が初めて同等に戦った喧嘩と言えるだろう。
年の近いこともあって、僕は晶人のことを友だちのように思えてならなかった。これは錯覚と言われてしまえば、それまでの女々しい行動なのかもしれないが、少なくとも僕は「友」として認識していたし、彼もそう思っていたのではと思ってしまう。
社長の息子。
神園の息子。
周りと違うラベル。高い値札。おかしな価値観。
喧嘩の帰り際、
「ただ言っておくよ。僕はハルミの方が本物だと思うよ」と晶人は言った。
その背中に、「どうして?」と尋ねる。
晶人は振り返らずこう答えた。
「勘だけど、どこか違うんだ。なんて言うか『匂い』みたいな感じかな。違うってことが感覚で分かるみたいな」
そう、言っていた。
僕は、屋敷の二階の部屋に戻った。エントランスの階段の真ん中は踊り場になっていて、そこにはガラスの彫像が立っている。それを横目に部屋へと戻る。彼女に相談してみたようと思った。
だが、僕が部屋に入った瞬間、彼女の悲鳴が響いた。
絹を裂くような甲高い声で、窓ガラスはビリビリと震えた。おかげで僕の耳の中は、まだグワングワンと響き続けている。
社長が青痣を作って戻ってきたのなら無理もないのかもしれない。彼女は僕が本気で喧嘩をしているところのなんて見たことが無いわけだから。
そんなことでは普通ではないだろうから。
僕は、ハルミの手当てを受けながら話を続けた。
「で、このままじゃ家族の祝福すら受けられない……どうしようか、このまま帰る?」
彼女は少し考えて、目を瞑って、そっと言葉を紡ぐ。
「私は、どうしてもここで祝福されたい」
ボクの手を優しく握る。
「たとえ厳しい状況でも、私は負けたくないから」
「わかった」
そう、僕は頷いた。
彼女のことを守る。彼女の気持ちを守る。彼女のその温かい優しさを守ろうと誓った。絶対にハルミを不幸にはしたくなかった。
会社には長い休みを取るとは言っているのだが、それもやはり限度がある。ここまで大変な話になるとは思っていなかったからだ。
早く誤解を解いて帰らなければ。
そう思う。
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