Which is right?③

 真っ直ぐ歩けば20分もかからないであろう道のりを2倍以上の時間をかけ、島への着陸から45分後、やっと屋敷に到着した。体中から汗は拭きだし、シャツはべとべとと体に張り付いている。

 ポケットの中のハンカチも無意味なほど濡れ、朦朧とした意識では屋敷をじっくり眺める余裕もなかった。

 

 屋根は青く、白い大理石の壁。

 南国の海に映える、美しい西洋風の屋敷がそこに建っていた三階建てで、正面の二階部分には美しいステンドグラスが嵌っている。こちらからでは何の絵なのかよく分からない。

 けれど、屋敷を近くで見ると、吹き荒れる海風による汚れや風化が目立った。海を背に持つ入り口の扉は、まだ綺麗に磨かれているようで、黒い鉄の大きなドアノッカーがきらりと光った。嘴の大きな南国の鳥がモチーフのそれは、足で大きな輪を掴んでいる。


 ノッカーを一つ鳴らし、すぐにドアを開けた。

 外の異常な暑さが嘘のように、屋敷のエントランスは冷房が行き届いていた。吹き抜けの二階部分から冷気が降ってくる。入り口のすぐそばに一人のメイドが控え、執事と客人を出迎える。いつの間にかメイドには僕らの到着が分かっていたようで、すぐに執事から荷物を受け取った。


「ようこそ、院宣家の屋敷『罪悪館』へ。わたくし、メイドの峠千尋と申します」

「千尋さん、こちらが本当の空閑ハルミと名乗っている方なのですが、お二人を客間へとご案内してください。この荷物はお部屋のほうに。

 さて、家の者はまだ食事中ですが、すぐにダイニングへ行かれますか?」

「えっと……僕たちは結婚の挨拶に来たんですけど」

「問題を解決してくださるのではないんですか?」


 執事はすぐさま問題が解決できるものと思っているのか、いきなり家族の揃う場所へと案内してくれるらしい。だが、一方的に間違っているということで何も解決できるわけもなく、ただ挨拶に来た人間が無用な喧嘩を売るだけだ。


「僕たちは、結婚の挨拶に来ただけで……そんなことがあるなら、一度引き返しますけど」

「ですが、それでは私どもの身が安全ではないということになりますでしょう?」

「そうですよ、零さん」


 ハルミまでもがそれに乗る。

 確かに偽者が殺人者であった場合は、身が安全であるとは限らないけど。

 僕はなんで島まで来て、偽者の証明をしなければいけないことになっているんだろうか。何かがおかしくないかと思わずにいられない。


「お願いします、零さん。どうか、偽者の正体を暴いてください」

「わかったよ」とハルミに笑うと、執事へと向き直る。「では、あとで一度挨拶に向かいます。食事の邪魔をしては申し訳ないでしょうし。それに、そんな奴に、『キミは偽者だ』って一方的に言っても誰にも信用されるわけがないじゃないですか」

「確かにそのとおりですね。では、先にお部屋に。そして皆さんの食事の終わったころに呼びに行きますので。じゃあ、千尋さん、御二人を」

「はい」

 彼女は笑顔で返事をして、二人分の荷物を持って「ご案内いたします」と歩き出した。


 

 エントランスを入って正面に幅の広い階段がある。階段は途中で左右へ別れて、入り口奥の壁にT字にくっ付いていた。分かれた階段の先には大きなドアがあって、それぞれが左右の二階の家族の部屋へと続いているらしい。踊り場の中心には、透明度の高い硝子の像が立っている。像の大きさは一メートルほどだが、同じくらいの高さの台座に乗っているために、少女の顔は僕が見上げる高さにある。

 そのまた少し上の方には、横に長い大きなカンバスが掛けられている。

 何も書かれてない無地のカンバスが、とても大事そうに掛けられているのはかなり異様だった。それをメイドもハルミも見ないはずはないのだが、二人とも何の反応をすることなく通り過ぎた。

 階段を右に。

 突き当たりのドアを開ければ、そこには家族の部屋が一列に並んでいる。


「こっちには四部屋。向かいにも四部屋ありまして、こちらは手前から奥へ、晶人さま、ミミさま、深雪さまのお部屋、そして御二人に泊まっていただく客間となっております」


 全部同じようなドアが並んでいる光景は、どこかホテルのようだった。

 ドアの向かいは窓で覆われて、屋敷の中心が見える。

 四方は家の壁に囲まれているが、その中心は小さな林のある立派な庭だった。

 見るに、家はカタカナのロの字のようになっているらしい。

 ふと気づいた。部屋は一つ?


「えっと、二人で?」

「何か問題ですか?」

「いえ、何も……」


 これから結婚するのだから、別に問題ないはずだ。

 だが、まだ彼女と何日も一緒に過ごしたことはまだなくて、どこか二人ぎこちないままだった。彼女と一緒に過ごした夜も、すぐに仕事仕事……と追われる始末だった。

 けれども、ここからは二人。

 いつまでも一緒に走って行くんだ。


「じゃあ、行きますか」

「はい……」


 それでは――とメイドは鍵を開けて荷物を部屋へと運び入れ、その鍵を僕に渡した。


「私は仕事に戻りますが、ご覧の通りオートロックなどではございませんので、あまり入って欲しくないときなどは施錠してください。では、皆さんの食事が終わりましたら御呼びいたしますので、ごゆっくりお過ごしくださいませ」


 そうやって、頭を下げて戻って行った。

 ドアがしっかりと閉まる音がした。ドアもノブも古いものだが、高級そうな作りだ。内側に鍵を閉めるところは何もない。部屋の中には、さまざまな物や風呂場とトイレまで有って、ホテルのように充実していた。

 ベッドの向かいにはテレビがあって、そのカウンターの上には予備の鍵もしっかりと置かれていた。

 汗だくになった上着をクローゼットに掛けて、ベッドに座る。

 ベッドもキングサイズで、1台だけ。

 窓の外では、海が荒々しく波打っている。

 しかし、嵌め殺しの窓に打ち消されて無音ミュート。中には、聞こえない。

 不思議と緊張する。


「立ってないで座ったら?」

 ハルミが立ちっ放しだったので、声を掛けると少し困ったような顔をして僕の隣に座った。無意識に口角が上がって、恥ずかしくなる。

「ああ、家とはいえ着替えるべきだよね。ちょっと汗を流してくるよ」

 と言って、着替えを持って風呂場へと逃げ込んだ。


 嬉しくて吊り上って戻らない口角を、必死に両手でもみほぐしながらジャグジーに浸かった。

 風呂場からローブを着て出ると、入れ替わりにハルミが入っていく。

 僕は別のスーツを取り出して、それに着替えると、彼女の着替えに細工をする。彼女が脱衣所から出てきた。浴場にあったシャンプーの匂い、女性の甘い香水の匂い、愛おしい人の匂いにまるで酔いそうになる。そして、その姿――。

 彼女は、藍色のドレスに身を包んで、肌はしっとりと潤っていた。

 僕の最愛の人。

 この姿では、彼女を今まで馬鹿にしてきた輩でもぐうの音も出ないと僕は自負している。

 トントントントン――とノックが部屋に響き、続いてメイドの声が聞こえた。


『準備が整いました。ダイニングへご案内いたします』

「では、行こうか」

「あの、零さん、この……格好は?」


 美しいという他ないけど? 何が不満なのか。

 僕が選んだ、もっとも似合うドレスを。


「私はもっとシックな感じで良いのでは、ないでしょうか?」

 彼女がモジモジと顔を伏せてしまった。

 でも、僕はただ一言、本心を打ち明ける。


「綺麗だよ。さあ、戦いに行こう」


 彼女は何も言わずに僕の手を取り、戦いの場所へと。

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