Who killed her for what purpose?➁
夢は、深層心理だという人がいる。
自分が無意識に思っていることが夢にでるというものだ。これは、あまりに嘘っぽい話だと僕は小学校に入る時に思った。科学というものは、雑に知っても、詳しく知っても夢を失くすものだ。分からないものごとの価値と同様に、分からないというものの価値もあるのだから。
赤い夢。
知っている、これはあくまでも夢。なんども見てしまう残酷な夢。
真っ赤な嘘の悲しい夢。それは昨日の女性のことではない。
――血だ。
真っ赤な――人の――血の夢。僕が起きながらにして見ることになった。この世の悪夢の記憶。あの最低最悪の事件が起こった日のコトだ。
弟とともに訪れることになった『
僕に振り下されたナイフは――。
刃が僕に当たる瞬間に……。
――。
叩き起こされて、僕は飛び起きる。
その顔を、ハルミだと認識するまで少し時間が掛かった。昨日の酒が思った以上に体を侵食していた。目蓋を開いても、眼は脳に正常な映像を送りきれていない。ぼやけた眼を擦り、首を解し、肩を回す。
彼女を再び見ると、彼女の眼が赤く腫れていることに気付いた。でも、『それが何故なのか』という疑問すらすぐには出てこなかった。まだ脳の血がグルグルと滞って、温まってきていない。
身体がとんでもなく重く、倦怠感が体を呑みこもうとしている。
彼女が手に持った雑誌で僕の頭は叩かれたようだ。僕はパンと両頬を叩いて、頭を冴えさせる。だんだんと頭と頬の痛みも感じていく。熱さが徐々に浸透していくみたいに。
「どうかしたの?」声もおかしい。喉もカラカラだ。
「何かおかしいと思いませんか?」
「ん?」
僕は辺りを見回してみる。何もないし、何も聞こえない。
「何もないけど……何があったの?」
パン。
今度は丸めた雑誌ではない。平手だった。彼女の右手が打ち抜いた僕の左の頬が焼けたように痛む。自分が叩いたものより、ずっと痛い。少しだけまともな意識を取り戻しながら、彼女の真意に気付けずにいた。
「えっと、どういうこと?」
「まだわかりませんか? ピアノの音!」必死の叫びに、悲痛なものが混じる。
そんなものは聞こえない。
何も聞こえない。
昨日はなっていたはずの、ピアノの音がしない。しない。
「深雪が……」
「ええ、そうです」
「まさか自殺を?」
彼女の首は横に振られた。
でも、続く言葉は恐ろしく現実離れしていた。悪夢よりも残酷な現実だった。
「殺されました。誰かに、この家の――誰かに、です」
◇
時刻は、現在6時10分。
まだ家族が起き出す時間よりも少し前であるが、鏡花と千尋はすでに朝食の準備をしているころだろうから、今はその合間の限られた時間である。鏡花にこの状況が見つかるのは芳しくない。
ゆえに先に現場検証を優先させた。
ハルミは、深雪の死体を見てかなり冷静さを失っていたが、彼女がいなければ詳しい状況は分からない。第一発見者である彼女の意見が最も価値あるものだ。
ハルミが深雪の状態を確認したのが、午前六時七分ほどであるという。
僕が駆け付けたとき、ベッドに眠る彼女に温かさはなかった。
すでに冷たくなっており、部屋の冷房もかなり強い。
彼女の死という現実は、否定できない。彼女は生きているときと何も変わらない状態で、眠っているようだった。ただその白いパジャマの真ん中に、銀色の刃が生え、その周囲に深紅のシミを作っている。それも尋常ではない量で。詳しい知識がなくとも、死に至る量だと分かるほどに。
彼女は無残なほど残酷に殺され、安らかに死んでいる。
そこから血が溢れているだけで、眠っているようなんだから。
幸せそうに、眠っていた。それだけなら良かったのに。
覆せない現実と救えない過去は当たり前に、この世界には存在する。
「彼女はこのまま?」
深雪から目を背けることなく質問した。
「いえ、ベッドの脇の、足元の方の壁に座るようにして……でも、顔はこのままでした。まるで眠るように穏やかな顔のままで」
見ると、壁際に大きな血だまりが出来ている。
そうか――僕は静かに手を合わせた。
彼女が晶人と共にいられますように、と願った。
以降は、彼女が鑑識の技術を駆使して、調べた結果に基づくものである。
死亡時刻は、今日の午前0時前後。僕がリビングで酔いつぶれ、意識を焼失した後だろうと推測された。
死因は、失血性ショック死。刃物で何度も腹部を刺された結果だ。
腹部に残された傷は、自分の手で刺すには多すぎて、向きも揃っていない。
凶器は、包丁。この部屋で発見されているが、リビングのカウンターにあった物だ。
部屋の鍵はかかっていて、ハルミがピッキングで開けた。そのドアをロックするための鍵は、しっかりと深雪が眠るベッドのサイドテーブルに置かれていた。もちろんすり替えも考えて、しっかりとロックできるか試したが、本物であった。ノブの周りにも真新しい傷もない。
窓はどの部屋も嵌め殺しで、密室状態であったと推測される。
その他にも、彼女の血液型から詳しい身体的データまでをすべてを調べ尽した。
「普段なら起きているはずの深雪が、まだ起きていないようだったので。気になって部屋に行ったんです。返事もなかったから、開けてみました。晶人のこともありましたから、でも――彼女が死ぬはずないと思って……」
彼女が言葉に詰まる。
証拠となるもので、特に犯人と繋がると思われるものは発見されていない。
犯人を特定する髪の毛や、繊維などは有力な証拠となりえるがそれは無い。
また、性的な暴行の後もなく、処女であったという。ただ体中には、古い暴力の跡が全身にあり、虐待の痕ではないかとハルミは言う。
「ですが、だいぶ古いモノでした」
それを聞いていると、彼女が不憫であるように思えてならない。
殺された上に隅々まで調べられる痛ましさ。死体をさらに嬲るようで、僕はどうしても好きにはなれないのだ。非業の最期を遂げた故人に遺された誇りを、生者は更に踏みにじる。そんな大量のデータの上で、殺人者は罰を受けさせられる。そして、そんな大量のデータを用意した僕らは一体どんな罰を受けるのだろうか。
「あと、ダイイングメッセージのようなものが……」
「どこに?」
僕は、死んでいたという壁の方を見たのだが、そこには何もない。そこで死んだのなら、壁に書くのが一番手っ取り早いと思ったからだ。死の間際に直面して、冷静に書く物を探せる人間はいるはずがない。
だが、ハルミが見せたものには、僕も驚かずにはいられなかった。それはこの家の人間が、持っている必要の無いものなのだから。彼女はビニールの袋を取り出して見せる。
「彼女の……腰と壁の間に、ありました。なぜかは分かりませんが」
入っていたのは、折り畳み式の携帯電話。まだ新しい、パールピンクの物。可愛らしいストラップがささやかに付けられている。折りたたまれ残された電話は、血に塗れた手で触られた痕跡が残っている。中を開けば、キーの上にも血が。
「なんで、携帯電話? これは、神園グループも開発に関わってる奴じゃないか?」
「ええ。この春に出しました。『女性向け、イチオシ』というコンセプトで」
だが、僕はふと気づく。
おかしいことに。
「この島は圏外だから使えないんじゃ?」
「そうなんです。なぜ、彼女が持っていたのか分からないんです」
「彼らは外に出ていないんだろ。何故、彼女に携帯電話が必要なんだよ」
彼女は首を捻って、黙り込む。
「で、ダイイングメッセージってどれ?」
「あ、どのボタンでも良いので、押してスリープ状態を解除してください」
近くにあった方向キーの上を押してみる。出来るだけ血の付いていない所を、血は渇いていて乱暴に触ると剥げてしまうようだったからだ。
すると、画面は真っ暗から、メール作成画面に戻った。
その文面には、ひらがなで2文字が打ち込まれたままになっていた。よく見るとキーに付着した血で濡れた指の痕が、表示されている文字と一致する。変換も何もされていない2文字の言葉。
そこには――
『ゆだ』
そう書かれていた。まだ変換されていない平仮名の状態のままで、何度もスリープ状態になったためか。それは平仮名のままで固定されていた。
彼女の言おうとしていたのは、聖書に登場するユダのことだろうか。キリストを裏切った男であるユダ。イエス・キリストを銀貨30枚で売ってしまったがために、神の子は十字架に架けられて葬られることになった。そして、イエスを売ったユダは、罪の意識に耐えきれずに自殺する。
ゆえに、深雪は裏切り者に刺されたと暗示できる。
それとも、何か別の言葉か。ユダヤ……油断大敵……アルファベットならUG――とかか。でも、どれもダイイングメッセージには適さないだろうな。死にかけた状況で油断大敵でもないだろうし。または、打ち間違いの可能性もある。遠のく意識の中でキーを押し間違えた可能性も。
けれど、打ち間違えたのならば、濁点のキーまで押すだろうか。偶然にしては出来過ぎている。なら、ユダで打ち間違った可能性を考えないほうが良いかもしれない。
救世主が背負った罪は、人を救い。
救世主の血は、全てを癒した。
僕が知るのはそれくらい。僕はクリスチャンじゃないし、そもそも神園家は無宗教ということになっている。死後の世界とか、神さまとか、そんなものを信じるくらいならば現実をどう生き抜くかを考えろというのが唯一の教えである。
ユダは裏切った者である。ゆえに、深雪は裏切り者に殺された?
しかし、裏切り者とは誰だ?
家族を裏切った者の犯行ということならば、一番怪しいのはミミだ。だが、それすらも今はまだ正確な証拠があるわけでもない。それに、何をどう見て裏切りと判断するのかは分からない。この情報はまだ伏せておく必要がありそうだった。
この携帯電話を外に出すこと自体が問題である。ユダという字が見つかっていることを他の人に知られてはまずい。
何故なら、また証拠が没収されかねないこともある。さらに言えば、ユダ=裏切り者という図式は誰にも出せる簡単なものだ。裏切り者は、僕らのサイドからすればミミであるが、ミミを信じるサイドからはハルミが怪しいと生り得てしまう式だ。家族の人間から見れば、明確な答えが出ていない以上は、ハルミとミミの両方が怪しいということになる。
重要な鍵だが出てくるのは蛇か、それとも別の物か分からない
「とりあえず、携帯電話を隠そう。僕が預かるよ」
「この情報は家族言ってはいけないんですか?」
「まだダメだよ。君かミミかが疑われることは確実だからね。余計な疑いを持たせる必要はない。これで、もうこの事件は見過ごせなくなった。僕が全力で彼女の死の理由を突き止める」
「分かりました」
なら、といってハルミは携帯電話を僕に預け、僕は胸ポケットにそれを隠した。
家族のみんなを起こし、鏡花にも事件の発生を知らせた。家中がパニックになり、執事でさえもどこか嫌な顔を見せた。自殺と他殺に対する家族の反応の違い。執事鏡花はこの事件に対して強い嫌悪感を抱いているのがハッキリと分かった。
こんな重大な問題が起こっている以上、晶人の自殺という不名誉が明るみになるということだからだ。もうどうしようもない。こんな事態では、何もしない方が正しくない。
さて、問題は誰が彼女を殺したのか。
この『密室殺人』を誰が起こしたのかということだ。
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