有無相生~出会いの火~➁
いよいよ、凱矛先生と対面せねばならないらしい。
楽しげなパーティー。
俺は微塵も楽しくない。
そんな堕ちた俺と同じ様な表情をしている。
このパーティーこそ堕落した奴らの集まりではないか、そう言いたげな眼で群衆を見ていた。右手には葉巻が紫煙を立ち昇らせている。
新羅凱矛その人は、人と違う世界を見ているのかもしれない。
それでも俺と先生では天と地ほどの格の違いがあり、一緒にすべき方ではない。
失礼極まりない。
凱矛先生は隣に担当編集を侍らせて、威厳を持ってドッカリと豪華な椅子に座っている。先生は2メートルを超える身長の持ち主であり、大柄というか少し太っている。威厳と言うか「覇気」を纏っている。そんな空気が周りに渦巻いているのが、感じられる。
「おお、これはこれは。神園の御坊っちゃんではないですか。よくいらっしゃいました」
「御坊っちゃんという年でもないですけど。まあ、いいです。父の代理で来ました」
「相変わらずお父様はお忙しそうですな」
彼は俺を見た。今更ながら。この場違いな人間を発見したようだった。見られただけで足が竦んでしまう。
「そちらは?」
凱矛先生が無に俺のことを聞く。
「私を取材している作家ですよ」
「作家ですか。私はてっきり坊っちゃんの玩具だと」
「フフフ、それは本人が決めることですから」
不思議な会話が行われている。俺のことでありながら、俺から隔絶されているような会話であった。
凱矛先生は俺を見て言う。
「何という、御名前ですか?」
「雨野零夜です……」
「ほう、そうですか。どうぞ、楽しんで行って下さい」
話しかけられるだけで空気がビリビリと震える。締め付けられるような感覚に近い。まるで言葉を話す蛇のようであった。
彼は無と話を続ける。
俺は飽きてしまっていた。
しかし、無の付き添いと言うことで来ている身であるから、ここを離れられない。さっきから空気のように振舞っている鬼原有もまた同じである。
2人の話が終わると、今度は1人の青年が近づいてきた。俺よりも少し年上くらいだろうか。顔は大に似ているが、黒髪で真面目そうに見える。
一見パーティーに呼ばれたお客のようだが、その立ち振る舞いは優雅である。お金持ちっぽい。
「ようこそ、父のパーティーへ」
俺はやっぱりと思った。
無が答える。
「ああ、
「いえいえ。先ほどは弟が失礼なことを言ったみたいで」
「いいんだよ。私の周りで死人が出ているのは事実だしね」
事実なんだ……少しショックだ。
「後で説教しておきますので」
「いいよ、そんなこと。そんな時間があるのなら、彼に1本でも多く小説を書かせるべきだと思うね」
「そうですね。それでは楽しんで行って下さい」
彼は新羅康というらしい。
この家の長男で、出版社に勤めているらしい。
真面目そうな男だった。
無いから聞いた話であるが、新羅家の家族を紹介しておく。
・新羅凱矛(67歳)小説家。妻とは死別。
・新羅康(24歳)出版社勤務。
・新羅大(22歳)小説家。
・新羅
・綾部つかさ(25歳)メイド。住み込み。
ちなみに担当編集の
・路次博(49歳)凱矛担当編集。
*
「さて、帰るか」
突然無が言い出した。
来てから一時間も経っていない。
まだ早いんじゃないですか? と俺は言った。
でも、彼は、
「もともと顔を出して欲しいと言われただけだしね。いいでしょ」
とにこやかに言う。
でも、俺がとやかく言いことではないので、素直に従うしかないのだろう。料理も少しは食べることが出来たし、いい思いをしたということで納得する。
*
「それじゃあ、また明日ね」
無が車から窓を開けて、そう言う。
俺のアパートの前で、車の前を開けてそう言った。言ってくれた。
屈託のない笑顔で、俺に、そう言ってくれたのだ。これほど嬉しいことはない。
結局、事件の話と言うものは聞くことが出来なかったのだが。
また明日というのなら、明日には事件の話でも聞けるのだろう。
俺は珍しく眠りに着いた。
*
気持ちよく眠りに着いたのだが、眠りが浅いのは変わりなく午前5時には目が覚めてしまった。
テレビを点ける。顔を洗う。歯を磨く。毎朝の習慣通りに動く。
歯を磨いていた時だった。「新羅…」という言葉がテレビから聞こえ、それを見た。
昨日見たばかりの純和風の邸宅から煙が上がっている。
唖然としてテレビに見入った。
レポーターは手元の資料を偶に目を落としながら、カメラを見つめて喋る。生中継であり、不慣れなためか聴き取りづらい。
「今朝3時半ごろ、有名作家・新羅凱矛さんのお宅の離れから煙が上がったのを、近所の方が消防へと通報しました。この火事で新羅凱矛さん。本名・新羅忠雄さんが焼死した模様です。なお、離れにはキッチンも備わっており、そこから発火したのではないかと思われております。この火事でガスコンロが爆発しており、離れは全壊しました。奇跡的に母屋は小火で済んだようです。
その時間、凱矛さんは離れで仕事をしていたものと思われております」
新羅凱矛が死んだらしい。
昨日は生きていた人間が、急に死ぬ。
それは気持ちが良いものではない。病んでいてもそのくらいの感覚はある。でも、心の奥底に「羨ましさ」がある。
聞いたことのないメロディーが俺のケータイから流れる。
ケータイを開くと、「神園無」と表示されている。
「何で!?」
1人で馬鹿みたいに大袈裟なリアクションをしていた。
ただの馬鹿だった。
一瞬悪戯電話ではないかと思ったが、出てみることにした。
「おはよう、零夜」
「おはようございます」
本物だった。
「ニュースは見たかい? 見たならいいんだ。これから君の家に行って、君を連れて『新羅邸』に行こうと思うんだが」
「どういうことですか?」
「だって君、事件の話が聞きたいって言っていたじゃないか」
無は無邪気に言うが、俺は信じられなかった。大の言っていた「死神探偵」は本物だったということか。
「そういうことだから」
そう言って電話は切れた。
1分もしないうちにインターホンが押され、有が現れた。
ケータイで近くからかけたらしい。ということは、無の番号を入手した。執事のケータイではないことを祈る。
*
「無」なんて言っているが、現実は呼び捨てにできない間柄だ。
失礼ながら敬称略とさせていただく。
そんな俺が抵抗出来る訳もなく、またも私服で「新羅邸」へと連れて行かれた。せめて喪服を着たかった。
昨日と同等の速度で車は走る。
途中で警察に捕まったのだが、警官らは俺たちを逃がした。何か裏で力が動いたようだった。警官達の悔しそうな顔と言ったらなかった。
新羅邸は数台のパトカーと消防車、マスコミの車が取り囲んでいて、非常に込み合っていた。しかし、無が電話1本かけると、一斉にマスコミが帰ってしまった。何があったのかは分からないが、世界では恐ろしいことが起こったらしい。
車椅子の乗り降りを手伝だった時、初めて体に触れた。体や顔が熱くなるのを感じた。初めて付き合った女子の手を握った時の感覚に似ていた。
無は笑っていた。含みがありそうな笑いである。
俺は笑えなかった。
もう何か月も心から笑っていない。
でも、それで無の側にいられるのなら、それでいい。
俺はくだらない人間だ。
「新羅邸」では大勢の警官が忙しそうに走り回り、消防士と一緒に火事の現場を調べていた。警官と鑑識、消防士はそれぞれ別の制服を着ているが、一人だけどれにも属していない私服の人間がいた。
彼女は全身ショッキングパープルなパンツスーツで、閉じた扇で部下に指示している。話す言葉の半分は禁止用語満載の罵声であるが、女性にしては低いハスキーボイスがよく合っている。キリリとした鋭い目で宝塚の男役が似合いそうだ。
「忙しそうですね、
半狂乱になっている人間によくそこまで冷静に話しかけられるものである。無は完全に空気を無視していると感じた。
彼女は振り返り、無を認識する。
すると、彼女は一気に破顔一笑し、まるで別人の顔になる。
「無いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい! お前は相っ変わらず、可愛いなあああああああああああああああああああ。ああ、食べちゃいたいよぉ」
「まあ、可愛いのは認めますが、食べないでください」
「おっと、相変わらず冷静だな。てか、現場には立ち入り禁止だぞ」
警部は無の真っ白な額を優しく小突く。
「顔パスですよ、顔パス。入口の刑事さんも何故か通してくれますし」
「まあ、いっか。こんな子と捜査出来るんだし」
てか、と怒木警部はまた話を切り替える。
「昨日ここに来ただろ? いや、良いんだよ。無きゅんが何処に行こうと」
「また『死神探偵』の名前に尾びれが付きますね」
「ダ・イ・ジョ・ウ・ブ。あたしが誤魔化しておいてあげるから」
しかし、ここに書いてしまった以上は誤魔化しが効かないのだが…すみません、怒木警部。頼むから、怒らないでください。
さっきから無と話してばかりで俺たちには気付かない。
完全に蚊帳の外である。
このままだと他の警官に注意されそうなので、自分から切り出してみる。
「あのう…」
「何だ!!!!!!!!!!!」
一喝された。
熊でも戦いて逃げて行きそうだ。
ただ声をかけただけなのに。
「零夜、駄目だよ。この人は僕にしか優しくないんだ」
そう無が言うと、
「そうだ。文句あるか」
と胸を張って、認めてしまった。
俺はちょっと心の傷が痛んだ。
「まあ、ここにいるのも他の奴らに邪魔だし、まあ、無は例外だけど。お前と執事は家に入っていろ。無はここにいてくれるよなー?」
にこやかに怒木警部は、無へとほほ笑みかける。
「私も部屋にいますよ。零夜は私の取材で着いているんですから」
「ちっ」
「さあ、行こうか」
怒木警部の目は俺を睨んでいる。鬼のようだ。
睨み殺されそうだ。
離れは家の裏手の方だった。無は玄関から入るのは面倒だと言うので、そのまま燃え残った廊下に上った。渡り廊下が
無がつかさに聞いた。
「これは元からですか?」
「あっ、はい。そうです。この音が五月蠅いので、家族はあまり近づかないんですよ。特に先生が離れにこもられる場合は」
「やはり五月蠅いと怒られるからですか?」
「はい、かなり。ああ、靴をこちらに。玄関に持っていきますので」
つかさは俺の靴を持って行った。
鬼原有は執事としてのプライドがあるのか、自分で玄関に行ってしまった。
*
新羅家の面々は居間に集まっていた。
純和風の邸宅でありながら、居間は洋風で豪華な造りであった。鹿の首もある。
この部屋だけ異様で浮いている。
多分誰かが改造したのだと思う。
奥さんだろうか。
部屋に入ったところで敵がいる。
特に新羅大は。
「死神探偵」の名前を知っていた大は、無を確実に恨んでいるはずだ。
というよりも、俺の格好の不謹慎たるや。
昨日の夜に着替えた灰色の上下スウェットのままなのだが。大が無に向ける視線と似たようなものが、俺に突き刺さってくる。痛い。
「さて」
おもむろに無が切り出した。
「私は『死神探偵』と呼ばれていますが、自分自身で手を下したことは一切ありません。まあ、この事件も誰かの犯行でしょう」
そう堂々と言い切った。
それを聞いて、康が言う。
「これを殺人と言い切るのですか? 父が事故死ではないと」
「根拠はないですけどね」
「根拠が無いのでは、どう信用すればいいんですか」
「私が捜査します。その結果で判断してください」
彼は不敵な笑みを湛えていた。
その艶めかしさたるや。
俺に行けない気持ちが芽生えそうだ。
「信じられるかっ!」
そう声を張り上げたのは、勿論大である。
「そんな死神の言うことなんて、信用できるのかよ」
しかし、長男が反論する。
「お前が決めることじゃない。親父がこうなった以上、僕が判断する」
「兄貴は何でも自分一人で決めようとする」
「お前は黙っていなさい」
「そう簡単に黙っていられるか。親父が死んでいるんだぞ」
「じゃあ、どうするんだ。警察に任せておくのか。この神園無さんはさまざまな事件を解決に導いてきた専門家だぞ。警察よりは役に立つはずだ」
「俺が言いたいのは、こいつのせいで親父が死んだんじゃないかって言いたいんだよ」
2人は掴み合いそうになるが、スッと和が立ちあがって叫ぶように言った。
「もう止めて」
名前通りにおっとりしてそうに見えたのだが、言うときは言うらしい。
「兄さん達、みっともないから止めてください。ここは探偵さんに任せましょうよ。無さん、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
恭しく礼をする無は、それだけ言って部屋を出て行った。
俺たちはそれを追いかける。
*
無が最初にやってきたのは、火事が起きた現場の離れである。
壁の一部と柱を残して全てが燃えてしまっている。これでは中の死体も残っていないのではないかと思ってしまう。
「無❤」
外に出てところで怒木警部の魔の手が待っていた。この人は異常に絡んでくる。
「捜査にきたの❤」
「そうですけど」
「でも、駄目。燃えちゃってるもの」
「死体もですか?」
「そう、骨しか残っていなかったし、バラバラだった。多分コンロが爆発したときの衝撃でね」
「死体はどの辺に?」
「バラバラで分からないけど、多分コンロの近くかな? バラバラになるほどだし。でもね、コンロの近くって言っても全面にカーペットを敷いてたみたい」
「どんなカーペットですか?」
「そこまでは分からないよ。燃えちゃってるし」
「じゃあ、そこは他の人に聞くしかないですね。ちょっと聞き込みしますか」
「ええ~、もっと聞いてよ。あっ、そうだ」
「なんですか?」
彼女は思いっきり顔を作って言う。
「忠雄さんの左手は義手らしいね。金属部分が無事で丸ごと出てきたんだ。そして左腕の骨も見つかってないのが決め手だね」
彼女はそれだけ言うと、捜査へと戻った。
真面目な人らしい。
*
「君はどう思う?」
「全然分かりませんね」
無が聞いてきたのだが、俺には見当がつかない。
というか、殺人だとは思えない。
キッチンコンロの爆発による事故死、これが結果だと思う。
逆に聞いてみる。
「これは殺人なんでしょうか? 俺には事故のようにしか見えないのですが」
「あの廊下があんな五月蠅さだろ? それに誰も近づいていないということだからね。決め手がないよね。でも、殺人ということじゃないと『死神探偵』と言い続けられるだろうね」
「大は、凱矛先生のことを慕っていたみたいですからね」
「それはどうだろう。父は小説家の大家で、自分は売れない作家。相当なコンプレックスだと思うけど?」
「動機はあるということですか」
「相当頑固そうな人だったし、恨みも買っていたんじゃないかな」
フフフ、と無は不謹慎だが面白そうに笑っていた。
*
居間に戻ると、康と大の喧嘩が大きくなっていた。
先ほど二人の喧嘩を止めていた和は何処かに行ってしまったらしい。兄の喧嘩を見るのが嫌になったのも分かる。そういうのもより酷くなっていたからだ。妹としては辛いだろう。
「大体、お前は父さんを恨んでいただろ」
「兄さんだって、つかさのことで父さんに怒られていたじゃないか」
「五月蠅い」
と言って康が手を出すと、大も負けじと殴り返す。
俺も見ている訳にはいかずに、喧嘩を止めに入る。
俺は後ろから康を押さえ、路次編集が大を押さえた。
二人を離れたソファに座らせて宥めていると、無がズケズケと質問を始める。
「康さんとメイドさんって何かあるんです?」
大が仕返しとばかりに言った。
「兄貴はつかさとデキてるんだよ」
「付き合っているということですか?」
「そうだよ、結婚を前提にな。でも、親父に反対されてたんだ。それで殺したんじゃないのか?」
「黙れ」
康が怒鳴り、立ちあがろうとする。俺は必死に押さえたが、細い割に力が強い。俺も負けないように力を入れた。
無が聞く。
「今の話は本当ですか?」
「…本当だ。つかさと付き合っているし、結婚するつもりだ。親父に反対されていたのも認める。だが、殺してはいない」
康は力を抜き、俺から離れて更に大から遠い椅子に腰掛けた。
「一応、早朝のアリバイを聞いてもいいですか」
「三時ごろなら寝ていたよ。つかさと一緒だった。アリバイになりますか?」
「なりませんね。メイドと言えども身内でしょうから。恋人なら余計に」
康はがっくりと項垂れたが、急に頭を上げて反撃する。
「私にも動機はありますが、その二人にだって動機はある筈です」
それだけ言うと、康は立ちあがって居間を出て行った。
それを聞いて無は、路次と大の方を向いた。
「それで、2人のアリバイは?」
「私は――」
路次が答える。
「――部屋で寝ていました。1人でしたから証明はできません」
「路次さんは何故この家に泊っているんですか?」
「先生がもうすぐ小説が出来あがると仰ったので、こちらに来たのです。しかし、昨日はパーティーでしたし、お酒も召し上がっていたので完成できませんでした。そこで待っていれば出来るだろうと、泊ることになりました。いや、毎回〆切が近くなると泊りこむんです」
「分かりました。ところで、康さんのいう動機というのは?」
「私は先生の担当をしてもう10年になります。何回もこの家で怒られました。そういう姿を康君には何度も見られているので、そう思われているんだと思いますが」
「では、大さんは?」
大が答える。
「俺も自分の部屋で寝ていた。親父は夜に書くタイプだが、俺は昼に書くんだ。勿論だが、アリバイと呼べるものはない。動機もないが、あえて言うなら俺がこんな格好だからだろ。何度も親父には怒られてるし、それを言いたいんじゃないか?」
それに――と大は続ける。
「路次さんの言っていることは少し違うぜ。路次さんは大分親父のことを恨んでいるからな」
「いや、それは――」
路次が反論しようとするのを無が「黙っていてくださいますか」と止める。
「俺らの母さんは和を生んでからすぐ死んじまってるから、親父もかなり溜まってたんだと思うんだ。それで路次さんの前の奥さんに手を出しちまって、離婚する原因になったんだよ」
「それで恨んでいたと」
「そうだと思うけど?」
無は路次さんに「本当ですか」と聞く。
「ええ、事実です。でも、殺してはいません。本当です」
無は路次の証言を最後まで聞こうとせず、まるでくだらないとでも言うようにくるりと回って部屋を出て行った。しかし、無の質問攻めで部屋の空気は最悪になった。
俺と有が、無を追いかける。
*
「もう大体のことは分かっているんだけどさ。しっかりと筋道立てないといけないから面倒だよね」
板張りの廊下を進みながら、無は愚痴る。
俺は黙って聞いた。
「分かるっていうのは違うんだよね。僕のは感覚だからさ。私は感覚で犯人が分かる。それをそのまま言っちゃったら、ただのバカみたいじゃない? だから、他人に説明するならトリックを説明しないといけない。それが面倒でさ…」
更に――と続ける。
「燃えちゃったらトリックも殺人方法も分かんないに決まってるじゃん。それを説明しろってさ、面倒っていう域を超えちゃってるよね」
後ろでも無の嫌そうな顔が分かる。
分かるのはそれだけ。
無の頭の中も、事件のことも凡人の俺には分からない。
執事である鬼原有は分かっているのか、そもそも理解しているのかも分からない。
天才とは何なのか。凡人との差異は何なのだろう。
カコン。
鹿威しが鳴る。
サラサラという水の音もする。
静かな廊下だ。
立派な中庭の景色だ。
広い屋敷なので何処に向かっているのか分からない。
無は普通に移動している。
不安になって聞いてみる。
「何処に行こうとしているんですか?」
「いや。キッチンなんだけど……」
「なんだけど、っていうことは……」
「いやいや、違うよ。迷子とかじゃないよ。大体さ、キッチンなんて玄関から奥の方でしょ?」
「そうですか? 広い家に住んだことないので分かりませんが」
「どうかしましたか?」
つかささんが後ろから現れた。
「ああ、ちょうど良かった。聞きたいことがあってさ」
無が安堵の表情で振り返る。多分完全に迷っていたのだと推測される。いくら天才だとしても入ったことのない家の間取りまでは分からないだろう。
時刻は昼前で、昼食の準備の時間である。
「聞きたいことですか? それでは居間で…」
「いえ、他の人には内緒で」
「しかし、お客様をキッチンに入れるというのは失礼ではありませんか?」
「構いませんよ」
「それに和さんもいらっしゃいますが」
「大丈夫ですよ。御二人とも犯人でないことは分かっていますから」
「そうですか! そうなんですね! では、こちらです」
キッチンは俺達のすぐ後ろの障子を開けた所だった。
*
つかさはキッチンに3つの椅子を用意し、それに皆を座らせた。つかさは座らなかったし、有も座らなかった。結局一つ無駄になった。
「では、まずつかささんにお聞きします。凱矛さんは料理が出来ますか?」
「いえ、出来ません。離れのキッチンも私が行かねば使えません」
「全くですか?」
「器具の使い方くらいは知っていると思いますが、料理は出来ませんでした」
「カーペットと、ガスコンロはどんな物ですか?」
「カーペットは毛足の長い高級な物で、私なんかは入るのも憚られるくらいでした。ガスコンロは先週壊れてしまって、新しく付け替えた最新の物です。自動消火装置も付いていました」
「はい。分かりました」
「続いて――」
と切り出そうとした時だった。
「無いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい❤」
怒木警部が飛び込んできた。
「ねえ、これを見つけたんだけど」
真っ黒に焦げたライターを見せた。
「ねえ。ねえ。褒めて。褒めて❤」
「流石ですね、警部は」
「よっしゃあああああああああああああああああ。褒められたああああああああああああ」
と言って警部はライターを無に預けたまま出て行ってしまった。
「あの人は馬鹿なんですか?」
俺は無に質問した。
「私の前だけでだよ。本気ならもっと出世してるんだけど、あの人は他人に甘甘だから」
「さて、話を戻しますが。二人とも煙草は吸われますか? それとこれにオイルを入れられますか?」
「いいえ、吸いません。オイルも分かりません」と和。
「つかささんは?」
「私もです」
「そうですよね。これはなかなか面倒ですから。これに油を入れるには中のユニットを取り出す必要があります。そういうタイプです。しかし、凱矛さんには左手が無いようですね。左手が無くてもパソコンは出来ますが、これに油を入れられますかねぇ……」
「なら、どうしていたんですか?」と和。
「誰かが入れてあげてたということでしょうね。この家の喫煙者は誰です?」
「大兄さんと、路次さんです」
「じゃあ、最後に」
無は嗤っている。
「凱矛さんの葉巻を管理していたのは? または吸っていたのは?」
「それは…」
和が言葉に詰まる。
「それは?」
彼女は何かに気づいたように目を伏せて呟くように言った。
「大兄さんです…」
そうですか、と無は質問を止めた。
*
さて、おさらいしておきます。
この事件のトリックはあとでご説明いたします。
先に犯人を説明しましょう。
犯人は「■■■■」です。
このことは、
① 喫煙者であり、ライターに詳しいということ
② 凱矛先生の葉巻に触れられたということ
より明らかです。
では、動機やトリックは?
次よりご説明いたします。
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