Which is right?⑥

 昼食の時間となり、家族全員が集まった。

 僕は先ほどまで自室のジャグジーで体を温めていて、とても幸せな気分で食堂へ向かった。

 でも、目の前に並べられた料理に、僕は驚くしかなかった。


 昨日の夕食も、今朝の朝食たちも、どちらも洋風の素晴らしいモノでいっぱいだった。昨日までの料理たちこそが、屋敷の空気と相まって、屋敷のスタンダードなのだと思っていた。

 けれど、今、出されたものはラーメンというものだと思う。

 それがもし僕の幻覚でなければ、だけど。

 しょうゆ味のオーソドックスなもので、メンマと叉焼チャーシューに、ナルトと具材もシンプル。とてもこの屋敷の料理とは思えない。透明な脂が静かにスープの上に彩られる。しかし、彼のことだから味は保証できるはずだった。

 皆が普通に食べ始めたので、僕も箸を付けた。

 

 スープをすくい、口に入れる。

 なんだろう。

 美味しいのだが、何かが違う。

 何かがおかしい。

 昨日までとは何かが違う。

 その奇妙さを一言で言い表すのなら、普通過ぎるのかもしれない。あまりに普通の味だった。どこにも存在しない高級さが、昨日までの料理とは結びつかない。

 僕はそれに納得できないながらも、黙々と食べていた。徐々にちらほらと話声が聞え、顔を上げて院宣家の面々を確認した。ここ二日を見ている限り別段変わった様子はない。ただ――一人を除いては。

 真っ青になった晶人。病気の気配を疑ってしまうほど顔色が悪い。


「晶人?」

「ん? なんでもないよ」


 彼はさっさと返事をしてしまうと、僕との会話を断ち切った。そして、麺を啜るスピードを上げて、すぐに食べ終えた。スープまで一気に飲み干してしまうと、駆けるように食堂を飛び出して行った。

 僕もすぐに食べ終え、彼を追った。

 すぐに部屋に閉じこもった晶人は、僕が何度も名前を呼んでドアを叩いた。防音だとはいえドアを叩いたら、部屋の中に音は伝わるはずだ。大声で彼の名を叫んだが、部屋から出てくることはなかった。


 昨日との変わりように僕はどうすることも出来ずにいた。トボトボと僕はリビングに辿りつき、ソファに座り込んだ。僕に出来ることはないのだろうか。

 外は徐々に雲が流れ、次第に黒い雲は遠くの彼方に消えていく。

 それを見つめていると、鏡花が珈琲を持って来た。


「彼はどうしたんでしょう?」と僕は聞いてみた。執事ならば何か知っているのではないかと思って。

 だが、彼は首を振る。

「何も知りません」と冷淡に呟く。

「じゃあ、別のことを一つ聞いても大丈夫かな。ここに泥棒が入り込んだことはある?」

「ええ、何度もありますよ。例外なく入り口の門で黒焦げになっていますが……」

「死んでるの?」

「ハハ、冗談ですよ」と彼は笑って去っていく。冗談には見えなかった。


 僕の前に、置かれた珈琲。

 香りからするとブルーマウンテン。

 何かを振り払うように、いや、振り払いたくて珈琲に口を付けた。先ほどのラーメンとは打って変わり、少し高級な味がした。

 何かが閃きかけた時、ドアが開いた音がした。

 普通に開けた音ではなく、勢いよく力いっぱいに蹴り開けたような音。あまりに強く開けたせいだろうか、ドアがストッパーにゴンとぶつかる音までした。

 僕が晶人の部屋だろうかと思って、そっちを見る。僕らの部屋と同じ方向。ドアのないリビングから身を乗り出すように、左の方を見た。

 すると、絶叫が聞こえた。


 その声はもう人の声ではなかった。獣か、もしくは地獄に住まう悪魔の遠吠えのように遥か奥底の方から絞り出した叫び。重く轟く声。それがふと――突然途切れたと思うと、その瞬間だった。


 轟音が哭いた。

 そして、響く静寂。

 音の正体は、僕なら分かる。何度も来たことのある嫌な音。――銃声だ。




 駆けだした。

 彼の部屋へ。

 リビングを出て左。正面の僕らの部屋には異常がない。

 僕らの隣は深雪の部屋。その隣が晶人、次にミミとなっている。

 そして、開いていたのは晶人の部屋であった。嫌な予感が的中する。

 恐る恐る中を見る。覗き込む分には何の異常も見えなかった。でも、空気には汚物のような悪臭と、焦げたような匂い。硝煙の匂いだ。僕は中に足を踏み入れるしかなく、奥で彼の姿を見た時、僕は惨劇とはこのことを言うのだと思った。何度もこんな現状に立ち会ったことはある。でも、僕の中に渦巻く感情は、今回は違っていた。


 知っている人間の死という簡単な物ではない。これは友人――義弟の死である。初めて受け入れねばならない大切な人の死だ。

 だから、僕はそれを思わずにはいられなかった。むごい、と。

 部屋の惨状は、凄まじいという一言だった。ベッドに崩れるように横になった彼。その指には、親指と人差し指だけという不思議な形で拳銃が握られていた。トリガーには親指が掛けられている。後頭部の傷の具合を見ると、銃は口に入れられていたと思われる。頭の傷、傷ということさえ生易しい。そこに後頭部なんてものは存在せず、銃弾の威力で脳はほとんどが吹き飛んでしまって跡形もない。

 吹き飛んだ脳漿や血が壁に禍々しい文様を刻み、部屋の雰囲気さえも損なっている。錆びた鉄のような血の臭いと死体が漏らした糞尿や硝煙の臭いが、ドロドロと鼻に絡んでくる。


「何があったんです?」と部屋に入ろうとする執事。

「ダメです。入らないで!」


 そう言ったのだが、彼は入って来てしまう。晶人の死体を見た彼は、そのまま硬直してしまった。でも、ここまでの死体を見てもモドすことがなかったのは安心した。


「自殺ですか? ああ、家族の皆様にはどう伝えたら……」

「鏡花さん、少し伝えるのは待ってもらいますか。あと、辛ければ部屋の外で待っていてください。聞きたいこともあるので」


 彼は部屋を出ず、入り口の近くで座り込んでしまう。

 僕は拳銃を確認する。見たことのない拳銃。メーカーの名前もなければ、拳銃を示す名前もナンバーも刻印されていない。そして、この形状も。

 様々な事件で拳銃を見てきた僕だが、これは知らない銃だ。

 銃口から察するに、30口径――いや、高々20口径だろう。

 マガジンを取り出して、中を確認する。


「ホローポイント?」


 後頭部をここまで傷つけるには、中で弾が炸裂したと考えるしかない。

 僕は銃を詳しく調べようと考えて、ハルミを呼ぶことにした。

 いつも捜査を手伝ってくれる彼女に身内の死を知らせたくなかったが、もうどうしようもない。ここの防音性は最高レベルだから、部屋にいた人間はまだ誰も事件を知らないだろう。


 

 これが――屋敷に渦巻く悪意の最初のトリガーであった。

 

 

            ◇



「自殺ですね。これはもう確定です」

 ハルミは一目見ただけでそう判断したのだった。

 しかしながら、それを自分が判断できていなかったわけではない。トリガーにかかった指の形も、銃身に着いた口の後も、何よりも口に咥えて親指で引き金を引いたという事実が見えることこそ、自殺であるということを示している。

 それは分かっている。知っているし、理解も出来る。

 

 けれど、それを理解したくないという感情が自分の中にあるのは事実だった。

 昨日の晶人が言っていたことが真実であるのは、間違いない。そして、あの時の彼を思い出す。彼の死を認めたくないという気持ちが浮かぶ。

 認めたくないことを認めることは、気持ちを破り捨てることよりも難しい。

 

 ゼロに戻す以上に、プラスにすることは、ただ感情を消すより強い意思が、人でなくなる強さが必要だった。

 人は迷う生き物だから、

 感情と気持ちを持つ生物だから余計に、人でなくなることは難しい。

 機械のように生きることは難しいのだ。ましてや、名探偵という存在なんて。

 血の通った人間であるならば、『インクと紙の中の存在』=【物語の主人公】になれるわけがない。


「でも」

 そう僕は呟いた。

 弱い。

 吐き捨てるべき感情が漏れた。

 続く言葉は、僕の弱さの欠片だった。だから、それを言い切ることをせず、ゴクリと飲み込んだ。

「珍しいですね、社長。アナタが事件に感情を持ち込むなんて」

「そうかな」

「アナタはいつも機械のようなのに」

 だって、僕はヒトだから。

 だって、アイツとは違うのだから。

「ですが、信じたくないのも分かります。だって、さっきまでは生きていたんですよ?」


 そう言ったハルミの声が微かに震えていた。

 弟を殺されたのだ。彼女は恐れている、怖がっている、悲しんでいるんだ。それが本当の兄弟というものだろう。幾星霜の時間を離れて過ごそうと、血というものは嘘を吐かないから。

 僕ら、神園家の兄弟のような、例外を除いてだけれど。


 若い人間の死に際に立ち会ったことは何度もある。

 殺人事件を解いていく弟の仕事の中で、子どもが死んでしまう事件もあった。これ以上に悲惨な事件を多く見てきた。でも、それにしたところで、僕がその若者の死を悲しんだことがあったわけではない。事件は僕の仕事であって、人生に関わることではないからだ。僕が事件を解いて金銭が発生したとしても、名誉という価値が付いたとしても、それが調節的に自分の人生に帰ってくるわけじゃない。

 僕は、自分の人生が大きく転換されるとはおもえないから、僕はこの世界を守ろうとは思っても、それに心を注ぐことは出来ない。この世界に起きた些細なことに、僕は心をつぎ込めない。


「でも、やはり悲しいものですね……」


 愛だとか、家族だとか。それに憧れを抱く僕は――人形のように生きようとしていた僕は、もしかして心を痛めようとして無理に体に傷をつける人形なのではないか。

 そう思って、考えて、僕は動揺して、悲しんでいる。

 正常に推理が出来ないでいる。

 認められないでいる。

 何が悪い。

 いや、悪い。

 こんなことでは、晶人に申し訳が立たない。

 それだって、想うことがすでに意識が犯され、穢れた証拠だ。

 諦める。


「わかったよ。これは自殺だ。でも、それがどういう意味を持つ? 彼は何を隠していたんだ。何か悪いことでもあったのか?」

「分かりません。だって、私は急に帰ってきただけですから」


 急にハルミは言葉を切った。


「零さん、でも、私は知りたい。この事件の本当のことを……」

「なら、全員に話を聞こう。全員だ。ミミも含めて」


 でも、そのまえにもう一仕事。彼を冒涜するような行為だけど、遣っておかなければならないことがある。彼の部屋のモノを漁り、調べなければならない。彼の精神を、気持ちを、誇りを凌辱する。

 それが彼のためになるのか。

 いや、そんなこと言うまでもない。

 死体を検めることを、侮辱と言わずなんて言えばいい。

 僕は彼の机の引き出しを開け、本棚を見て、そして服のポケットを漁る。部屋の捜索には鏡花にも参加してもらう。ズボンのポケットから出てきたものは、同い年の人間として当然のものだった。部屋の鍵や手帳、ハンカチや時計などの。

 でも、ただ一つ、遺書と書かれた手紙が出てきた。

 僕はそれを何も考えないまま開けようとした。けれど、横からスッと伸びてきた手が、それを僕の指から引き抜いてしまう。僕は怒って振り向くが、僕を見る執事の眼はとても厳しいものだった。


「我が家の人間の遺書を勝手に読ませるわけには行きません」

「でも、この事件を解決する糸口になるかもしれません」

 

 僕はむきになって反論する。

 でも、彼の言葉は簡単で、当り前のもの。


「いえ、これは彼の自殺というだけのことです。それが何の事件なんですか。それよりも私は彼の意思や誇りを守ることを優先します。そして、ハルミ様がそれを望まれたからと言って、私にはすぐに了解することは出来ません」


 けれど、喋るごとに彼の言葉に感情が無くなっていく。意識的ではなく、それがまるで普通であるような機械的な言葉。その体に血が流れていないのではないかと思ってしまうような、凍りついた言葉だった。

 自殺は、自殺。

 誰の罪でもない。神に背く罪でもない。

 だから、なんだというのだ。人の死に変わりはなく、悲しむ礼節を捨て去ってはいけない。人として、優しい人間として。

 沸々と湧き上がってくる感情。上がっていく感情の温度。マグマのように熱くなって、僕は言葉を紡ごうとしたのだけど――ただ何も終わらないという虚しさに気付く。

 彼の死は、現実。変わらない、なら進むしかない。


「分かりました。では、正式に武蔵さんに依頼していただきたい。事件を調査します。いいですか?」

「まあ、いいでしょう」と言って、執事は頷いた。彼の手の中には、白い封筒がきつく握りしめられていた。「あとで打診しておきますが、了解がとれるかは知りませんよ」

「あと、この部屋の封鎖をお願いします。鍵はそれだけですか?」

「いえ、あと予備がもう一つ」

「では、両方の保管と外への連絡をお願いします。私はこの銃を預かりますから」

 

 執事は頷き、僕は何も言わずに銃をポケットに入れた。


「鏡花さん、あと一つ」

「なんでしょうか?」

「この屋敷で銃を買うとするなら、どういう方法が考えられますか。彼らは屋敷から出ていないのなら、この銃はどこから来たのでしょう。何か方法がありますか?」

「基本的に宅急便は、本土の港から私が運びますし、インターネットを使えば注文は自由です。私が島まで運ぶんですが、中を確認するなんてことはしませんからね。どこからでも買えるというなら買えてしまいます」


 これでいいでしょうか、と答えると執事は晶人に手を合わせ、部屋を出て行った。

 僕はもう一度、ポケットの中を探してみた。彼がいなくなったから、遺書を取り上げられたからこそ、もっと探せると思ったのだ。間違いがあってはいけないと思ったのもある。

 そこで、僕が見つけたのは小さな紙片だ。

 危うく見逃しそうになるほど小さく丸められていた。幅一センチ強の紙をクルクルと丸めたもので、開いた長さは五センチもない。それほど小さな紙だった。

 ボールペンで紙には文字が書かれていた。

 たぶん見た所机の上にあるボールペンで急に書いた物だろう。


『Ⅳ‐13‐21』


 何だろう、これは。そう思ったのだが、僕は黙ってそれをポケットに入れた。鏡花に知られてはいけないと思ったからだ。

 晶人のことを知るために必用なパーツだろうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る