Day10 願い(お題・くらげ)
それはエンケラドゥス衛星基地の太陽系宇宙軍から業務委託されている配送会社に千代が入社して三ヶ月が過ぎたときのことだった。
仕事中、突然、千代は会議室に呼ばれた。部屋には総務部部長が一人、沈痛な面もちで立っていた。
「向井さん、確か向井さんの御両親、ヘルメス航宙の旅客航宙船、タラリア号に乗ってましたよね?」
何故かおそるおそる部長が訊く。
「はい、兄と一緒に。兄の勤務先のコロニーに引っ越す予定で……」
そう答えたとき部長の顔が更に青ざめたのはよく覚えている。
「お、落ち着いて聞いて下さいね……」
部長は震える声で告げた。
「今、ヘルメス宙航から連絡があって、タラリア号が公海上で他の宇宙船と衝突事故を起こしたと……」
その後、どう彼に答え、仕事場に戻り、家に帰ったか、千代はよく覚えていない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
基地に着いて二度目の日曜日。昨日今日と休日を取った千代は三年ぶりに基地の居住区を訪れた。ここは基地に務める宇宙軍の兵士や職員、業務委託されている会社の社員やその家族が住む区画だ。住宅地の路地を進み、顔を上げる。単身者用の小さなアパート。その二階の右端の部屋、千代が『TASOKARE』に乗るまで住んでいた部屋の窓は白いレース模様の揺れるカーテンを模したスクリーンセーバーが掛かっていた。
「誰かが住んでいるんですね」
「基地の住居はいつも満杯だからな」
一緒に着いてきた虎丸が人に化けた厳つい顔の目を細めて、周囲のアパートを見回す。それらも全部埋まっている。同時の同僚の部屋の窓も全く見覚えのないスクリーンセーバーに変わっており、ベランダにはエアボードがロック付きのワイヤーに括られ置かれていた。
千代と虎丸は商業区に向けて歩いていった。
ショッピングセンターにファストフード店にレストラン。スポーツジムにシネコン。カラフルな建物が並ぶ通りに煉瓦色の落ち着いた雰囲気のカフェがある。今時珍しい手で開けるタイプのドアを千代は押し開けた。カラン……。ドアについたベルが鳴る。
「いらっしゃい」
夫婦二人で経営しているカフェのマスターの奥さんがこちらを向いて、ぱっと笑みを浮かべる。
「千代さん! お久しぶり!」
「……覚えていてくれたのですか?」
「勿論! 五年間も毎日のように通ってくれた常連さんを忘れるわけないですよ。後ろの方は?」
奥さんの視線が虎丸に向く。千代は彼の腕を取った。
「夫です。あれから私、結婚しました」
カフェのお気に入りだった席に虎丸と向かい合って座り、千代は当時よく飲んでいたダージリンを頼んだ。
窓際の風が通る席だ。宇宙基地の閉塞感を和らげる為、微粒子を浮遊させた上空は青く霞み、人工太陽から光が降り注ぐ。一年中カラリとした心地よい気温湿度に設定されていることも相まって、まるで初夏の昼下がりのようだった。
ふわり、風が頬を撫でる。
「事故の知らせを受けた後、私、よくこのカフェに来ていたんです」
ペルセウス腕M37公海宇宙船衝突事故。
それは天の川銀河系ペルセウス腕のぎょしゃ座の方角にあるM37散開星団付近の公海上で起きた。
ヘルメス航宙所属のタラリア号と朱雀宙運所属の星宿号。この二船の旅客航宙船が、どの星系国家にも属してない公海で前代未聞の衝突事故を起こしたのだ。二船に乗っていた乗員乗客三千百六十八名は全員が行方不明となった。
公海上だった為、連絡も発見も遅れ、銀河連邦宇宙軍や近くの星系国家の宇宙軍が該当宙域に駆けつけたときには、衝突の衝撃で飛び散ったのか、船の残骸がごく一部、漂っているだけだった。そのタラリア号に千代の両親と兄が乗っていたのだ。
「遺体はもちろん、遺品も見つからなくて。引っ越しの途中だったから、前に住んでいた家はすでに引き払われていて、荷物もタラリア号に積んであって、私に残されたのは一人暮らしを始めるときに貰った餞別と星間ネットの家族用クラウドストレージにUPされていたデータ、三人のネット上のアカウントだけだったんです」
千代はそのアカウントに何度も何度も呼び掛けた。あり得ないことだが、もしかしたら、どこかの惑星に運良く流れ着いているのかもしれない。荒唐無稽な希望を胸に連絡を取り続け……一度も帰ってこない返信にようやく三人の死を飲み込み始めたとき
「二つの航宙会社を相手取り、被害者の集団訴訟が始まったのです」
千代もそれに参加した。とにかく、事故がどういう経緯で何故起きたのか、少しでも知りたかった。
「でも宇宙船のブラックボックスどころか、運航データも見つからなくて。証拠不十分のまま、裁判は関係者全員無罪の判決が下りました。その間の五年間、私は家に帰りたくないときや休日は、いつもこのカフェに来てたのです」
他の店とは違い、家庭的な香りのする、この店に。ただ席に座り、紅茶を前にくらげのようにぼんやりしている千代を夫婦はそっと放っておいてくれた。
「そして最終判決が出た日、私、なんかどうでもよくなって、基地の埠頭に向かったのです」
両親と兄が散った宇宙を見たかったのかもしれない。そのとき埠頭には『TASOKARE』が泊まっていた。幼い頃、何度か家族で遊びに行ったテーマパーク船。それに千代はふらふらと入り……気が付いたら、線香花火を手に虎丸の隣で泣いていた。
「……そうか」
ここまで当時の自分のことを話したのは初めてだ。千代は少し冷めた紅茶を口に運んだ。今はあの時より、ダージリンの味や香りがはっきりと解る。窓から吹き込む風も心地よい。
あれから三年、私は立ち直れた……のでしょうか?
ふうと息をついたとき
「はい、千代さん、これ結婚祝い」
奥さんがクッキーを乗せた皿を持ってきてテーブルに置く。
「あ、ありがとうございます」
「良い旦那さんねぇ」
奥さんの言葉に、千代はぱちくりと目を瞬いた。
「そうですか?」
「ええ、千代さんを見る目が本当に優しいもの」
虎丸がぎょっと目を見開き、慌ててそっぽを向く。その横顔が照れているのが解る。
……そういえば……。
あの日、線香花火を何本も燃やしながら泣いていた千代に虎丸は言った。
『『向こう側』に行くのも、『金魚』になるのも、この船でならいつでも出来る。なんなら、俺の知り合いの
『ただ、お前がその線香花火で送っている人達はまだ、お前が来たら悲しむだろうがな……』
そう言われて、千代はとりあえず船で雇われることに承諾したのだ。
……そして三年間、私はこの人にずっと見守られていたのですね。
この前、線香花火をしたときの肩を抱いてくれた腕の温かさ、『お松さん』の迎えにふらりと前の自分に戻りそうになったとき、しっかりと腕を掴んでくれたときのことを思う。
「ありがとうございます。座長」
礼を言う。虎丸が横を向いたまま無言で頷いた。
カフェを後にし、懐かしいお店を何軒か回り、埠頭に向かう。少し歩き疲れた千代の手を「大丈夫か?」虎丸が握ってひいてくれた。
十六時を過ぎ、基地が夜間モードへと移行を始める。人工太陽が光を弱めながら、夕日のような赤い光を降り注ぎ、二人の影が伸びて路面に並ぶ。
こうしていると、本物の夫婦のようです……。
虎丸と結婚したのは、前の妻の籍に入っていた彼が人間ならそろそろ寿命が尽きる年齢になった為、死亡届を出さなければと困っていたからだ。天涯孤独の気安さと寂しさから半分ヤケで入籍したのだが、それ以外、二人は夫婦といっても夫婦らしいことは何もしてない。
『千代さんを見る目が本当に優しいもの』
包み込むような手の温もりに、ふわりと一つの願いが浮かぶ。
……この人に私も何かしてあげたいです……。
久しぶりに浮かんだ、くすぐったいような暖かい願いに千代は虎丸の手をそっと握り返した。
* * * * *
『ペルセウス腕M37公海宇宙船衝突事故の遺族の一人が、事故の犠牲者に呼ばれて死んだらしいぜ』
その書き込みはコピーされ、朝までにいくつかのSNSに投稿された。
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