Day19 同類(お題・氷)
ぴちょん、ぴちょん。明るくなった日差しに軒下の氷柱から滴がしたたり落ちている。
「そろそろ椿が山に帰る頃だな」
寂しげな顔で窓を見上げる隠居所の主人に、自分の若い頃の着物を仕立て直していた妻が謝った。
「ごめんなさい。春までには仕上げるつもりだったのに……」
「気にしないで下さい」
椿がにこりと笑む。
「今年の冬は大変でしたもの」
山間の小さな村を今年は豪雪が襲った。いくつかの家が潰れ、村に隠居所を構え、ひっそりと住んでいた老夫婦も村人を指揮して雪をかき分け、伝手を辿って医師を呼んだ。
雪女のように雪を操ることは出来ないが、椿も寒さに強い己の身を活かして、雪かきや町への薬の買い付け等を手伝った。
まだ何人かの村人は癒えてないものの、誰も命を落とすことなく迎えた春。ようやく落ち着いた村に安堵したのもつかの間、椿が山の洞穴に帰る時期になったのだ。
「今年は本当に椿には世話になった」
主人が白髪頭を下げる。
「止めて下さい、おじい様。こちらこそ、妖の私をいつも娘のように可愛がって頂いてますのに」
「椿、今度の冬までには、これを仕上げておきますから。お正月には着ましょうね」
「はい!」
椿は畳に手を着き、深々と頭を下げた。
「では、おじい様、おばあ様、お
「うむ。来年の初雪の頃にまたな」
「待ってますよ」
「はい」
……しかし、その後、椿は二度と二人に出会うことは無かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「似合うでしょ!」
休みを貰った朝、身支度を整えて椿の部屋に向かうと、彼女は珍しく着物を着付けていた。
「袷だし梅柄だから、ちょっと今の時期には合わないけど、どうしても着てみたかったの」
淡いピンクに赤と白の梅の花をあしらった着物姿の椿は可憐の一言に尽きる。黒い髪も綺麗に結い上げ、簪をさして、まるで日本画の美少女がそのまま、そこにいるようだった。
「じゃあ、行こうか!」
女二人で遊びたいから、と三毛丸には遠慮して貰い『TASOKARE』から降りて、基地の商業区に繰り出す。
「まずはお千代ちゃんの夏服を買おう!」
椿はショッピングモールに千代を誘った。
服を選び、レストランで昼食を取り、催場を回った後、モール内の3Dシネマで映画を見る。
映画館から出ると、シネマ前のカフェを併設したホールは、来たときと同じく沢山の人々で賑わい、窓の外はまだ昼間のように明るかった。
「……おかしいですね?」
千代は首を傾げた。基地の朝晩は
「そうね。じゃあ、もっと遊びましょう」
紅白の梅が咲く袖を翻し、椿が千代の手を掴む。
「今度はどこに行こうか?」
にっこりと笑って訊く。その笑顔に千代はふと気が付いた。
……椿さんの笑顔、顔は笑っているのに目は氷のようです……。
これは椿が妖力を使っているときの目だ。
ピロン……。千代のバリカからメッセージアプリの通知音がする。
画面を見ると
『お千代様、もう暗くなりましたので、そろそろ船にお帰り下さい』
メッセージが浮かんでいる。
「邪魔しないで!! 三毛丸!!」
椿が顔を歪めて叫んだ途端、周囲の景色が変わった。
「えっ?!」
三方にふすま、一方に白い障子が立てられた小さな座敷に二人はいた。椿が千代の両手を掴む。
「お千代ちゃん、船から降りて、私とここにずっといよう」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
北風に氷片が舞い、山を下りた椿が見たのは空っぽの隠居所だった。
『御隠居様はこの秋に腹を召されました』
教えてくれたのは、椿がやってきたのを知った名主の使い。老夫婦は藩の重役とその妻で、この村に住んでいたのは、藩に纏わる何事かがあったからしい。そこでもう藩政に関わらないと、隠居暮らしをしていたのだが、先の冬の采配の噂が広まり、その何事かが再燃したのだという。
それに
『この皺腹一つで納まるのなら』
主人が切腹し、妻は抗議の意味も込めて、小太刀で喉を突き自害した。
『名主様が御二人からこれを預かったそうです。『約定を守れず、すまなかった。せめてこれを形見分けとして納めてくれ』そう椿様に伝えてくれと』
薄紅梅に紅白の梅の花が散る袷。椿は呆然としたまま、それを抱き締めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「お千代ちゃん『TASOKARE』を降りよう! 私が守ってあげるからここにいよう!」
椿が千代の両腕を掴む手に力を込める。
「ここならコイコイも入って来れないから! 座長達がコイコイを消してしまうまでここにいよう!」
ぐいぐいと腕を引く。
「私、もうあんな思いするのイヤなの! 私のいないところで大好きな人がいなくなってしまうのイヤなのっ!!」
椿の大きな黒い目に涙が浮かぶ。彼女はそのままボロボロと泣き出した。
「……あの後……座長に拾われて……それからはずっと妖の中だったし……船に乗ってからも……座長のお嫁さんのお
えぐえぐと泣く椿に千代はいつかの光景を思い出した。
八年前、事故で両親と兄を亡くした後、諸処の手続きや後始末をしていた頃、家に帰った途端、玄関で泣き崩れていた自分に今の彼女はそっくりだ。
「……椿さんも私と同じだったのですね……」
千代は椿をそっと抱き締めた。
あのとき、自分がして欲しかったように、何も言わずに彼女を抱き、背中を撫でる。しゅるしゅると上質な絹を撫でる音が泣き声に混じる。
綺麗な紅梅と白梅の着物。季節外れなのに、わざわざ着てきたのは、これが彼女にとって失った『大好きだった人』の大切なものだったからだろう。
「椿さん、そのお着物、本当に椿さんによく似合います。でも、このままでは涙で着物が濡れて、下さった方が悲しんでしまいますから……とりあえず、涙を納めて、私にここにいなければいけない理由を教えてくれませんか?」
いやいやするように椿が腕の中で首を振る。
「……言えないよぉ……。言えないけど……とにかく……ここにいるっていうのはダメ……?」
「それは困ります。椿さんが私を思ってしてくれているのは解りますが、やはり私は私に何が起きているか、知ってから決めたいです」
いやいや、いやいや、椿が首を横に振る。千代は小さく息をついた。
「仕方がありません。来て下さい。……虎丸さん」
小さな座敷にふわりと虎丸が現れる。
「名前を呼んだな」
「はい。船を下りるとき、もしものことがあったら……虎丸さんの名前を呼ぶように三毛丸くんに言われましたので」
『お千代様と虎丸様は夫婦の
初めて面と向かって呼んだことに照れながら答えると「そうか」虎丸は座敷をぐるりと見回し、まだ千代の腕の中に顔を埋めている椿の頭をぽんぽんと叩いた。
「まあ、確かに向こうがどう出るか見当がつかない以上、このやり方の方が安全かもしれねぇ。しかし、それは事情を話し、千代本人がどうするか決めた後にしよう」
すまなかった。虎丸が千代に謝る。
「辛ぇ過去を思い出して、椿も気が動転しちまったんだ」
「そうみたいですね。私にも覚えがありますから」
腕の中の椿をぎゅっと抱く。
「『今、どうなっているか』は俺が話す。椿、とりあえず船に戻るぞ。みんなが心配している」
椿が顔を伏せたまま、こくりと頷く。虎丸が背中から二人を抱いて飛んだ。
* * * * *
『獲物』のバリカを通して、ネットの海に出る。『獲物』はともかく、周りは手強いものが揃っている。『獲物』を絡め取る『網』を見つけるべく、コイコイはするすると泳いでいった。
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