Day20 夫婦(お題・入道雲)

 みーん、みん、みん、みん、みん、みーん……。

 夏風に蝉の鳴き声が流れる。キラキラと光る緑の草。埃っぽい白く乾いた小道。空にいくつもの丘を重ねたような入道雲。

 農業コロニーで育った千代には懐かしい光景だ。

 その中の緑なす山道を千代は虎丸と並んで歩いていた。

 

 * * * * *


 椿に閉じ込められ掛けた翌日。

『込み入った話をするのでしたら、例の新アトラクションはどうでしょう?』

 六造に勧められ、彼がきっちりと妖気を排除し、コイコイが入り込まないように結界を張った新アトラクションに二人は入った。

 彼等の故郷の島国の夏の原風景が広がる空間をゆっくりと歩く。

 高い木が影を落とす山道は空気まで緑に染まって見える。草の匂いで肺の満たしながら、虎丸は千代に彼女がコイコイに狙われていることを話した。

「……そのなんだ……出来れば、みんな、千代を知られる前に片づけたくてな」

 一時とはいえ、船に乗せ『黄昏の住人』として扱ったモノが危害を加えることを知られたくなかったのだろう。謝る虎丸に千代は首を横に振った。

「コイコイの話は私もネットで読んだことがあります」

 夜、駅や学校、住宅街などで招く影。それを見ると付きまとわれ、最後にはどこかに連れ去らわれてしまうという怪談だ。何故付きまとうのか、どこに連れて行かれるのか、などという『物語』はなく、ただ単に恐ろしいだけの話として語られていたと記憶している。

「でも、それだけですか?」

 千代は真っ直ぐ虎丸の金色の瞳を見て問うた。椿があそこまでする理由としては、これだけでは弱すぎる気がする。

「ああ」

 すっと瞳を反らせて返事をする虎丸の頬を、千代は両手で挟むと自分に向けた。

「私、最近、虎丸さんのことが少し解ってきたのです」

 彼は人の目を見て嘘がつけない。

「他に何かあるでしょう?」

 もう一度、目を合わせて問うと、虎丸は観念したように右手を返して煙管を出し……ぷいと空を見た。

「雨が降ってくるな」

 山の上に出ていた入道雲がいつの間にか広がり、空一面を黒く覆っている。これは映像なので降られても濡れることは無いのだが、そこはやはり気持ちの問題としてずぶ濡れにはなりたくない。

「場所を変えるぞ」

 虎丸は千代を横抱きに抱くとぽんと跳んだ。

 

 山道を出たところに建つ家に入る。既に博物館でも島国の国立博物館の3D映像展示ルームしかない、古民家の土間に入るとざぁぁぁ……と音を立てて、大粒の雨が降ってきた。雨粒が白い地面を点々と黒く塗り潰していく。上がりまちに上がる。中は薄暗く、襖に仕切られた畳の間と囲炉裏のある板の間があった。

「何か不気味ですね……」

 高い天井を横切る太い梁、その向こうから何かが覗き込んできそうだ。

「ここに座敷童子やら、家に憑く住人を仕込む予定だからな」

「なるほど……それは面白いですね」

 すっかり千代も感覚が『黄昏の住人』化している。虎丸は囲炉裏端に彼女を降ろした。自分も座り、煙管を出す。煙草を詰めて、火を着け、まず一口吸う。

 ざあざあと雨の音が立ちこめる。ぱたぱたと外の壁を打つ音。その中で白い煙を吐きながら、ゆっくりと虎丸が口を開いた。

 

 開いた窓から、冷たい湿った気が入り込む。雨足は弱まったものの、まだ止む気配はない。その中、立ちこめる煙の匂いを嗅ぎながら

「そうですか……」

 『ペルセウス腕M37公海宇宙船衝突事故』の怪談の話に千代は薄く笑った。

「それは皆さん、気にし過ぎです。私は裁判の間、もっと非道い書き込みを何度も見ましたから……」

 原告の被害者達に対する同情や労りの言葉が書き込まれた翌日には、彼等を叩く書き込みが埋め尽くす。『会社も何人も社員を失っているのに……』『悲劇のヒーローヒロイン気取りか?』『金目当てだろ』等々、あの当時は誹謗中傷の心無い書き込みもたくさんあった。

「何度も人間不信になったくらいです。……多分、椿さんも同じ目にあったのでしょう」

 『大好き』な老夫婦が何故死ななければならなかったのか、椿もその理由を探すうちに、心ない噂や陰口をいくつも聞かされたのだろう。

「だから、あんなに……」

 ぼろぼろに泣きながら、千代にあんなことをしたのだ。

「私は大丈夫です」

 顔を上げて笑ったとき、いつの間に近づいていたのか、太い茶色い腕に抱き締められる。

「無理すんな」

 優しい声が耳元で聞こえた。

 

 涼しい風が吹き、家の中が明るくなってくる。小鳥の鳴き声が聞こえ、蝉の合唱が戻ってくる。

「雨、上がりましたね」

 煙管をくわえた虎丸の腕の中から出て、千代は縁側に向かった。軒下から見上げると、淡い灰色の雲間から真っ青な空が覗き、濡れた緑が眩しく光る。小さな庭には転々と水たまりが青を映していた。

「で、どうする?」

 この先、コイコイの件が終わるまで船を下りるのか、椿の作ったような空間に避難するのか、それとも。

 千代は振り返った。煙を吐く虎丸の金色の瞳を真っ直ぐ見る。

「守ってくれるのでしょう?」

「当たり前だ」

 虎丸が瞳を反らさず答える。

「なら……」

 千代は笑みを浮かべて答えた。

「船は降りません。避難もしません。私は虎丸さんの側にいます」

 

「さて、そろそろ戻らないと六造と三毛丸に叱られるな」

 虎丸が煙管をしまい、立ち上がる。

「虎丸さん、あの二人に叱られるの苦手ですものね」

「しつけぇんだよ。あいつら……」

 古民家を出、連れ立ってアトラクションの出口、帰りのバス停がある、ひまわり畑に向かう。

 足下に短くついてくる影。それは十日前、二人で基地から帰る途中で見た長く伸びた影より、近く寄り添って見えた。

 小さく笑って空を見上げる。

「虎丸さん、虹です」

「ほう……。良い演出だな」

「通り雨の後ときたら虹ですから」

 七色の淡い光の帯が掛かる。向こうに見える一面の黄色に向かって、二人はゆっくりと歩いていった。

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