Day31 『誰そ彼の船』(お題・夏祭り)
緑の匂いが立ち込める中、僕は夢中で走っていた。
今の僕は『優等生』でも『クラス委員長』でも『部長』でもない。
ベージュの垂れた耳をした一匹に犬だ。周りの猫や狸、狐、ウサギの友達と一緒に山を駆け、川に飛び込む。
あの日、大好きなVAミナミの『民間怪異伝承とホラーハウスの推移』を見せながら頼んだら、厳しい両親が一日だけだとテーマパーク船に連れていってくれた。
そこで僕はまだ公開前のアトラクションに入り、不思議な白玉団子で犬に変身して遊びまくったのだ。
窮屈だった子供時代を吹き抜けた涼風のような楽しい時間。
それを思い返しつつ、僕は火星衛星基地の埠頭に停泊している『TASOKARE』に彼女と足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
桟橋を渡ると日本建築風の木造の門に着く。
「これが入り口ゲートか。ワクワクするね、
彼女……
「全然、変わってない……」
いや、十年が過ぎているのだ。全く同じではないはず。子供時代、一度だけ行ったテーマパークのゲートを潜ると
「おや? 確か賢人くんでしたか?」
受付案内所にいた背の高いスーツ姿の男の人が、僕の顔を見て穏やかな顔をほころばせた。
「すっきりした顔になって……良かったです」
にっこりと笑う。
「えっ?!」
思わず目を丸くすると
「覚えていませんよね」
そう言いながら、男の人は側の監視カメラを見上げた。
「河太郎、賢人くんが来ましたよ」
『そうか!』
近くのスピーカーから別の男の声が返る。
「実は、うちの座長夫婦から、賢人くんへと預かっているものがあるのです」
少しここで待つように頼まれる。ブーンと軽い機械の音がすると、ゲートの奥から一機のドローンが飛んできた。
『これが、その預かりモンだ。次に来たときに渡そうと取って置いた。どうやら、お千代が懸念していたようにはならなかったようだが』
スピーカーの男の声がドローンからして、メモリーカードを渡してくる。
『中身は前にパークに来たときに撮らせて貰った動画だ。とても良い映像だったから、許可が撮れなかった子供の姿は消して、宣伝に使わせて貰った』
「今でもとても好評です。お礼に今日の賢人くんとお連れの女性の方の入場料は無料にさせて頂きます」
男の人が僕と美澄に頭を下げた。
「当船は本日、夏の月末恒例の夏祭りを開催してます。ごゆっくりお楽しみ下さい」
「その映像見たいな」
「うん、僕も見てみたい」
僕達はレストラン街に足を向けた。あの時は僕が迷子になってしまい、怒った両親に罰としてご飯抜きにされたので、立ち寄らなかった通りを歩く。寿司、麺類の専門店に和風レストラン、洋食店、和風カフェが並ぶ、賑やかな通りだ。夏祭り開催中とあって、店の他にも食べ物の屋台が並び、通路のちょっとしたスペースにはテーブルや縁台が置かれていた。
「私、これが良いな」
美澄がたこ焼きを、僕は焼きそばを買って、空いているテーブルに着く。メモリーカードをバリカにセットして、起動した動画再生アプリをタップすると懐かしい映像が流れ出した。
僕と子供達が茶屋で白玉団子を食べるところから動画は始まる。その様子を優しそうな顔の女性と可愛らしい少女、厳つい男性が見ていた。
「思い出した。この女の人が白玉団子を勧めてくれたんだ……」
その頃の僕は大人の顔色ばかり伺い、彼等の言うことをただ聞いているだけだったから
『好きなのを選んで良いんですよ?』
言ってくれた女の人の前で、ずいぶんと長い時間を迷いに迷った。女の人はせかすことも、代わりに決めてしまうこともせず、やっと犬の変身白玉を選んだ僕に笑顔で器を出してくれたのだ。
映像の中の僕と周りの子供達に色とりどりの毛が生える。互いに鏡を見せ合った後、はしゃぎながら選んだつけ耳を着ける。
「楽しそうだね」
「うん、すごく楽しかった」
映像の僕と子供達が、わっと茶屋を飛び出した。
僕達が夢中で遊ぶ動画を見終わった後
「ここ私も行ってみたい!」
美澄に言われ、僕達はテーマパークに入った。バリカで園内の地図を見る。幼い僕がいた当時の新アトラクション『古里』は今はホラーハウスと並ぶ人気のアトラクションとして何度も拡張されているらしい。黄昏を映した空の下、長い行列が伸びていた。
「……あ……」
「これは無理だね」
列の最後尾に浮かぶドローンのボディには『今日の入場はここまでです』の文字が浮かんでいる。そのとき
「賢人くんですか?」
警備服を着た童顔の青年が僕に話し掛けてきた。
「あ、はい」
青年が僕達の顔とドローンを見て、人差し指を口に当てる。
「中に入るだけで良いのなら、こっそり入れてあげますよ」
「にゃ~」
しばらく待つとどこからか三毛猫がやってきて、僕達の足下に座る。二股の尻尾を振った後、ついてきてと言うかのように先を歩く。三毛猫の後をつけながら、僕の脳裏にまた、あの日のことをがよみがえった。
「そうだ、思い出した……」
さっきの受付の男の人が、両親からはぐれて歩いている僕に声を掛けてくれのだ。
「ずいぶん辛そうですが、大丈夫ですか?」
その言葉に僕は驚いた。あの当時、僕の両親も先生も僕が辛そうな顔をすると『しっかりなさい!』『頑張りなさい!』と言うだけだったから。
そして彼が
『ここにいるお千代さんという方を尋ねなさい』
勧めた後、今のように三毛猫が現れて案内してくれたのだ。
「にゃ~」
あちらこちらに下がった提灯の下を潜り、アトラクションの裏口らしきところで三毛猫が鳴く。あのときも僕はここに連れて来て貰った。
「行こうか……」
美澄が頷く。僕達はちょっと後ろめたい気持ちを感じながらも、そのドアを開けた。
きぃぃ……ドアを閉める。薄い闇に覆われたスタッフ用の通路にはいくつものドアが並んでいた。美澄と二人でそっと進んでいく。
「あら? 賢人くんじゃない」
突然、通路の奥の暗がりから少女が出てきて僕と彼女は飛び上がった。
「あ、ごめん。びっくりした? さっき六さんと河太郎から賢人くんが来たって連絡があって、三毛丸からもここに案内したってメッセージが来たから迎えに来たの」
黒髪に白い肌、赤い唇の美少女が僕達を見て嬉しそうに笑った。
「……この子、さっきの動画の……」
「うん」
確かに女の人と並んで映っていた少女だ。でも、アレは十年前の動画なのに彼女はまるで変わってない。
「妹さんかな……?」
美澄が首を傾げる。少女は彼女の不思議そうな顔ににんまりとすると
「見るだけなら案内してあげる」
僕達の先に立って歩き出した。
『古里』の中は外と同じ黄昏時だった。空が赤く染まり、山も川も麓の古民家も、白玉団子の茶屋も闇に沈みかけ、パーク同様、夏祭りの提灯が淡く輝いている。
まさに
僕達は少女の後をついて山を下り、川に掛かった小さな橋を渡り、草むらの中の道をひまわり畑に向かっていった。
「そういえば……」
先を歩く少女の背にまた、あの日のことを思い出す。僕はメモリーカードをポケットから出した。
「あなたは、このメモリーカードを僕の両親に渡そうとしていましたよね」
十分に遊んで、変身が解けた僕は彼女と女の人と厳つい男の人と共に両親が待っている迷子センターに行った。両親は見つかったことを知らされた後、僕が遊ぶ映像を見ながら、センターで待っていた。そして僕が到着した途端、ガミガミと叱りつけたのだ。それを止めようと、彼女がメモリカードを渡し、僕がどんなに楽しい思いをしていたか伝えようとしたが、両親はそれを一蹴した。二人はとにかく『私達の子供』の僕が迷子になったこと自体に腹を立てていたのだ。更に僕を叱る二人に
『ごめんね。よけいなことして』
彼女は謝ってくれた。
『いいえ。僕の方こそお父さんとお母さんがすみません』
僕が謝り返すと、迷子センターのドローンのスピーカーから男の声がして『ガキが大人をかばうな。そんなのガキの役目じゃねぇ』と怒ってくれた。そして、心配そうに僕を見る女の人を見て、厳つい男の人が僕の耳元で囁いてくれたのだ。
『大変だろうが、これから先、お前は自分のことを一番大切にして、自分で自分を守るんだ。いいな』
ひまわり畑のバス停から帰りのバスに乗り『古里』を出る。
パーク内はもう随分と暗くなり、祭り囃子が流れる中、行き交う人の顔もぼんやりとしか見えなくなっていた。
「不思議なテーマパークだね」
「でも、今の僕がいるのはここのお陰だ」
見ず知らずの子供を気遣ってくれた男の人。何も言わず僕が僕自身で決めるまで待っていてくれた女の人。謝ってくれた少女と怒ってくれたドローンの人。そして『自分で自分を守れ』と言ってくれた男の人。
そんな大人もいることを知った僕は、中学、高校と世界が広がるにつれ、僕自身で僕を『人』として扱ってくれる大人を選び頼ることが出来た。その後、僕は自分で将来を選び、エンケラドゥス衛星基地から、ここ火星の大学に入学して……美澄に出会った。
「そうだね……」
僕の話にじみじみと頷いた美澄が顔を上げて驚く。
「来い鯉だ!」
僕達の目の前に青い鱗の大きな鯉が泳いでいる。
「来い鯉?」
「知らないの? このパークの名物で会いたい人に会わせてくれる鯉だよ」
それが映像かロボットか、他星系の生物なのかは解らないが、来い鯉に遭うと、その人が『会いたい』と思う人に会えるという。
来い鯉が僕達の前で口をぱくぱく開けている。
「賢人くん、言ってみなよ。今、賢人くんが会いたい人を」
僕はちょっと考えて、来い鯉を見上げた。
もう二人、ここで会った、会いたい人がいる。
「僕に白玉団子を勧めてくれた女の人と『自分で自分を守れ』と言ってくれた男の人に会わせてくれませんか?」
来い鯉がこくりと頭を振る。ゆっくりと身体を捻り、案内するように僕達の前を泳ぎ始めた。
来い鯉が泳ぐ先に二人はいた。今まで会った人達とは違い、十年分、歳を重ねた女の人がアトラクションの脇に置かれた縁台に座っている。その隣には、あの厳つい男の人が甚平姿で煙管をふかし、パークの夏祭りの様子を眺めていた。
「……ああ、なんか良いなぁ……」
隣で美澄が呟くのが聞こえる。僕も思わず頷く。
生成りに鼠で桔梗を描いた浴衣に黒い帯を締めた女の人は映像と同じ、柔らかな笑みを浮かべている。その女の人に時折目をやる男の人の優しい目。それに答え、見返す女の人の真っ直ぐな目。そこには二人をしっかりと繋ぐ何かが確かに見える。
「……僕達もあんなふうになりたいな」
美澄の手を握る。来い鯉が二人の元に泳いでいく。女の人が僕達に気付き、男の人の名を呼んだ。
「虎丸さん」
男の人がこちらを見て、にっと笑って煙を吐く。女の人も手を振ってくる。僕達も二人に向かって大きく手を振った。
* * * * *
その船は『太陽系七不思議』の一つに数えられている。誰とも彼ともつかないモノ達の興行する船として有名だ。
その船を訪れた人は、ある人は楽しみ、ある人は脅かされ、ある人はこの世のものとは思えない不思議な体験をして、ある人は救われる。
航宙興行船『TASOKARE』。
船は今日も太陽系の星々を廻っている。
航宙興行船『TASOKARE』繁盛記 完
航宙興行船『TASOKARE』繁盛記 いぐあな @sou_igu
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