Day11 『名前』(お題・緑陰)

「座長に何かしてあげたい?」

「はい。これまでして貰うばかりだったので、私も何かお返しに。でも『黄昏の住人』さん達に何をすれば喜ぶのか見当もつかなくて」

 月曜日。千代は椿のいる広報室を訪れた。船内に目を光らせている虎丸と三毛丸だが、ここと河太郎のいるコントロールルームは二人を信頼して放置している。ちなみに勿論六造も信頼しているのだが、彼は自分の自室以外、部屋を持たず、船内をあちらこちら移動しながら仕事をしている。その為、内緒の相談をするには、ここはうってつけの場所なのだ。

「船橋でも、いつも怒ってばかりですし。そのお詫びも……」

「いやあ、アレは座長が悪いって」

 尋ねる千代に椿の顔がにんまりと笑顔になる。

「そっかぁ~、お千代ちゃんもやっとそういう気になったかぁ~」

 いそいそと室内にある冷蔵庫から、お茶のボトルを出す椿に

「えっと、その、感謝の気持ちですよ!」

 慌てて言い添える。

「うんうん、解ってる。解ってる」

 椿はコップにお茶を注ぐと千代の前に出した。

「そうだな~。何が良いかな~」

 自分のコップのお茶を一口飲んで、椿は赤い唇に人差し指を当てた。少し考え込んで、ぱん! と手を叩く。

「『名前』を呼んであげると良いんじゃない?」

 

「『名前』をですか?」

「うん。私達にとって名前は、とても大切なものなの」

『黄昏の住人』は認識され、物語が作られ、名付けられることで『個』となる。そして『名前』は彼等、そのものになるのだ。

「河太郎が意外と子供好きなのも、アイツが子供に『名前』をつけられたからなんだ」

 子供と相撲を取り、遊んだ夕暮れに

『お前、名前なんていうんだ? 無い? じゃあ河に住んでいるから『河太郎』な。 河太郎、明日も相撲取ろうぜ』

 子供からすれば何気なくつけた名前が『彼』になった。

「だから、あんな性格して子供のことになるとムキになるのよ」

 椿の話に迷子か不審者に連れさらわれたかもしれないと知った彼の真剣な顔を思い出す。

「六造さんも?」

「六さんは元は違う名前だったって聞いたな」

 しかし、彼が人界に降りたとき、自分の名前の一文字に、降ろした人間の名前を足して『六造』と名乗り、千年間、その名前を使っている。

「その人間から更に『想いを預けられた』らしくてね。もう元の名前は名乗ってないの」

「椿さんは?」

「私はね~」

 人里近くに住んでいたとき、冬になると一緒に暮らしていた老夫婦につけて貰った。

「冬にしか会えない、春のように明るい娘だから『椿』って」

 確かに彼女は緑なす黒髪と白い肌、赤い唇は雪の中で咲く椿にそっくりで、明るい性格は春を思わせる。

「なるほど……」

 『黄昏の住人』にとって名前は『自分自身』なのだ。

「『名前』を呼ばれることによって、『私達』の存在が確固なものになるの。でも……」

 自分より格上、強い者の『名前』を呼ぶことは住人達にとって禁忌タブーだ。なので、船のトップと次に当たる、虎丸と六造のことは『船長』『座長』『六さん』『六の字』と役名や愛称で呼ぶ。

「昔っから座長の従者である三毛丸以外はね。だからお千代ちゃん、名前で想いを込めて座長を呼んであげて」

 

 * * * * *

 

『今日は暑めの気温に設定してますから、この時間帯、虎丸様は涼しい場所にいらっしゃいますよ』

 三毛丸に教えられて、千代はプールに向かった。黄色い歓声を上げて客達が水を跳ね上げる中、水面を渡る涼しい風が吹き抜ける緑陰に彼はいた。

 人工芝の上にごろりと寝そべり、すうすうと気持ちよさそうに寝ている。

 湿気を帯びた風が眉毛をひげを撫でる。その寝顔をしばらく眺めた後、千代は彼の顔の隣にしゃがんだ。

 三年前、彼がこの船に拾ってくれなかったら、自分はどうなっていたのだろうか?

 ……多分……もうこの世ここにはいなかったでしょうね……。

 小さく首を振って、その考えを払うと千代は虎丸の尖った耳に唇を寄せた。

 感謝の想いを精一杯込めて囁く。

「ありがとう。虎丸さん」

 

 気配が去った後、耳をピクつかせて虎丸は起きた。

 懐から刻み煙草を出し、煙管に詰めて、火をつける。

「籍に入れて貰っただけでも十分過ぎるっていうのに……」

 すうと一口吸って、白い煙を吐く。

「……しかし、効くなぁ……」

 十何年ぶりかに三毛丸以外から名前を呼ばれた。変化の自分は『名前』にそれほど左右はされないが、腹の底から湧く力に虎丸は目を細め、嬉しげに笑んだ。

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