Day2 金魚のうた(お題・金魚)
眼鏡を掛けた黒い髪の生真面目そうな女性がたくさんの金魚の泳ぐ水槽を見ている。
周囲を囲う鏡に、そこはまるで無数の金魚のいる水の中のようだった。
『行こう 行こうよ 川向こうへ 月夜の晩に川を渡って向こうの岸へ』
つぶつぶと可愛らしい声の歌が水槽から聞こえてくる。女性がそっと手を伸ばす。水槽の面に振れると、水の冷たさがひんやりと伝わってくる。そのまま一歩、女性が足を前に出したとき
『おい』
背に太い男の声が掛かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
エンケラドゥス衛星基地。恒星間航行が始まったばかりの時代に建造され、今も太陽系外に出るときの補給基地とされている基地は、同じような初期の宇宙基地やコロニーの常としてスペースギリギリまで施設が配置され、娯楽に乏しい。
そんな基地には福利厚生の一環として、遊興施設を営業する興行船がやってくる。カジノ、スポーツレジャー、演劇や格闘技、そして遊園地やテーマパーク。その中でも高天原宙運所属の『TASOKARE』は熱狂的なファンを持つジャパニーズホラーハウスのある興行船だった。
勿論、テーマパーク船としてホラーハウス以外にもプールや遊具、レストランやカフェ等の飲食店もある。その『TASOKARE』に彼女は友人と遊びに来ていた。
『……ちょっと私はこういうの苦手……』
という友人を置いてミラーハウスに入る。磨き抜かれた鏡が作る迷路だが、その無機質な美しさからか彼女の友人のように尻込みする者も多いらしい。前後に他人が映らないように配慮された空間を、彼女は鏡に映る自分の姿を追い掛けながら歩いていた。ようやくたどり着いた奥への通路に入る。すると彼女以外、誰もいない空間に突然、赤く蠢くものが見えた。
「……金魚?」
バリカでパークのガイドページを見る。ミラーハウス中央にある金魚の水槽らしい。筒型の巨大な水槽には赤や黒、白や金色の金魚が数え切れないほど泳いでいた。
「綺麗……」
水槽の前に立つ。水槽を囲む円形のスペースになっている空間は、周囲の鏡に金魚が映り、まるで自分も水の中にいるようだ。右を見ても左を見ても、金魚、金魚、金魚。天井や床にも映り込んだ金魚が泳ぐ。
ふと彼女は耳をそばだてた。金魚の泳ぎに合わせ何か歌のようなものが聞こえる。
『おいで おいでよ 水の中 泳ごう 泳ごう 一緒に泳ごう』
つぶつぶと可愛らしい小さな声で歌が聞こえる。光量を絞った照明のせいで夕刻のように薄暗い鏡の間に、歌に合わせ、ひらりひらり、誘うように赤や黒、白や金の尾鰭が揺れる。
ゆらりゆらり。ふわりふわり。
水槽の金魚、鏡に映る金魚が向こうからこちらに、こちらから向こうへと誘う。その誘いに招かれるように彼女が一歩、水槽に近づいたとき
ピロン……。
バリカのメッセージアプリの通知音が鳴った。
『まだ出られないの? そろそろ和風カフェで抹茶パフェ食べようよ』
外で待つ友人からのメッセージだ。
「そうそう、今日の一番の目的はそれだった」
我に返り、くすりと笑う。彼女は水槽から離れ、出口側の鏡の迷路に再び入っていった。
「おい」
人気のない空間に、ぬっと現れた虎丸が水槽に近づく。
「手当たり次第、人間を誘うな、と言ってあるだろう」
アクリルガラスに映り込む渋い顔に水槽の金魚がゆらりと鰭を振る。
『心配ないよ、座長。あたい達の誘いに乗るのは『誘われたい』人間だけさ。現にあの娘は友達に呼ばれて行ってしまっただろう?』
くすくすと笑う金魚に虎丸のヒゲがぴくりと不機嫌に動く。
『それとも座長。あんたまだ、あたい達があんたの嫁さんを『向こう岸』に誘ったことに怒っているのかい?』
虎丸が水槽から目を反らす。
「うるさい。俺はただ『金魚』が増えると、また水槽を大きくしなければならねぇから金の心配しただけだ」
吐き捨てるように言って、その姿が消える。
くすくす、くすくす。笑い声が鏡の間に小さく響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます