第16話 結婚でも転職でもない
「もしオレが結婚するって言ったら――三人はどうする」
「えっ! 叔父さん結婚するんですかっ!」
「おじちゃん結婚するの?」
「それってわたしとロシアに移住して子供を五人作る覚悟が出来たってことですか?」
「えっ? なにその話し、叔父さん、有紗に何するつもりですかっ!」
食後のことだ。
オレは今後のことを考えて三人に相談を持ち掛けると、麗羅に思いっきり睨まれた。
そりゃ説明しないでこんなことを言い始めたのだから驚くのはわかるが――こら、お前のせいで、ロリコン犯罪者を見るような目を向けられたぞ。
オレはそう思いながら非難の眼差しを有紗に向けた。
えへへ――っと誤魔化し笑う有紗を庇うように、麗羅が身を乗り出して視界を遮る。
「断じてそんなつもりで言ったわけじゃない」
「なら、どういうつもりですか? やけに具体的な発言ですよ」
「麗羅はオレが子供に手を出す変質者だと思うのか?」
「それは……(出してほしいけど、出してくれないじゃないですか)……ないと思います」
即答してくれなかったのは、疑われているからだろうか?
まさか……いや、そんなはずはないと信じたい。
勢いを無くした麗羅は上げた腰をゆっくりと下ろす。
「おじちゃんは誰と結婚するの?」
「現状相手がいるわけじゃないんだ。ただ、昨日体験してもらったと思うが、オレは朝早く家を出て帰ってくるのが夜遅かっただろ」
「そおですね。その間、暇というか、心細かったというか……寂しかったです」
有紗は冗談交じりの笑みを浮かべつつも、その表情はどこか寂しそうだ。
他の二人の顔を見ても、やはり似た表情をしていた。
やっぱり面倒を見てくれる人が必要なんじゃないか?
「オレが結婚すれば、その人に三人の面倒を見てもらうことができる」
「それって……叔父さん、私たちの面倒を誰かに見てもらうために結婚を考えているんですか?」
「そうだな」
「それはやめてください。叔父さんは結婚しないでください」
「そおですよ! そんな結婚、お兄さんが幸せにならないし、相手に失礼ですよ。結婚断固反対です」
「おじちゃんは結婚ダメ!」
三人に結婚を反対された。
オレ自身本気で考えていたわけじゃないし、相手がいるわけじゃないから、反対されることはどうでもいいのだが……結婚しちゃダメか、一生独身でいろと、いやそれでもいいんだが……他の人に言われると、グサッてくるな。
「……なら結婚は無しだ」
「……簡単に諦めるんですね」
「本気で考えてたわけじゃないからな」
「そおですよね。お兄さん、あんなにお母さんのことが好きだったのに、そう簡単に他の人なんて好きにならないですよね!」
「おじちゃん、お母さん大好きだもんね!」
麗羅は意外そうな顔をして、有紗と璃々夜は安心したように笑った。
いや、いやいやいや、どうしてそのことをお前たちが知ってるんだ!
オレは義姉さんのことを好きなんて誰にも言ってないはずだぞ!
兄さんと結婚する前にアプローチしてはいたが、その後は特に目立ったことはしてなかったはずだ。
なのにどうして……。
「その顔、まさかバレてないと思ってたんですか? 残念ですけど、お母さん以外みんな気づいてましたよ。お母さんだけは『暦くんは義弟なんだから、そんなはずないでしょ』って言ってましたけど、お兄さんがお母さんに向ける視線は、まさに叶わない恋をする人のものでした」
「バレバレだよね~」
「…………バカっ」
有紗と璃々夜は恋バナに花を咲かせる乙女のようなテンションで、麗羅はボソっと何かを呟いた。けして聞こえないボリュームではなかったが、聞き取れなかったのは、オレの片想いが姪っ子たちにバレていたことに動揺していたからだ。
「な、な、な、何をおっしゃる」
「「ウソ下手~」」
「くっ……」
まさか20も歳の離れた姪っ子たちに初恋のことでからかわれるなんて、想像もしてなかった。
この子たちのことは、義姉さんのお腹の中にいたころから知っている。
おむつの交換だって何度もして、ミルクをあげては吐き戻されたこともある。
あの小さかった赤ちゃんたちが、今ではオレの恋をあざ笑うほどに成長していた。
この歳になると時の流れが速く感じるなぁ。
「なら、やっぱり転職しかないか」
早く話題を逸らすために、オレはそう呟いた。
結婚という選択肢が消えて残ったのは、転職だ。
元々選ぶとしたらこっちだと思っていたが……転職か……。
「あの叔父さん、転職は叔父さんがしたくてするんですか? それとも私たちのためにするんですか?」
「そりゃ……お前たちの面倒を見るためだ。引き取るだけでなにもしないなんて子育てでもなんでもないだろ?」
今のままじゃ満足な子育てなんて出来ない。それでは兄さんにも義姉さんにも合わせる顔がない。
親戚たちに「どうしてる?」と聞かれた時に「金だけ渡して放置してる」なんて言えるわけがない。
「そうですか……私たちのことは気にしないでください」
「はぁ? なに言って、そんなこと――」
「私たちはこうして三人一緒に引き取ってもらえただけで満足しているんです。お父さんもお母さんも死んで、そのうえ三人バラバラなんて耐えれませんでした」
それはそうだろう。
いきなり家族全員と引き離されたら、辛いなんて言葉だけじゃ言い表せない。
だから、オレは三人を引き取ることを選んだんだ。でも、その準備も覚悟もオレは何一つ出来ていなかった。
「たとえ朝起きてご飯を作ってもらえなくても、部屋の掃除や洗濯をしてもらえなくても、買い出しをしてもらえなくても、夜ご飯を作ってもらえなくても、そんなことは自分たちでできるんです」
「そおだね。昨日も自分たちのことは自分でやったしね」
「リリヤもね、お洗濯とお買い物手伝ったんだよ」
麗羅の言葉に同意するように、有紗と璃々夜が頷く。
「叔父さんに私たちのことを重しと思ってほしくありません。私が責任をもって二人と協力して自分たちのことは自分たちで何とかします」
「お前たちはまだ子供だ」
「その通りです。でも、何でもかんでも人にやってもらうだけの甘えた子供ではありません。お母さんの方針で昔から家事の手伝いはしていました。料理は……家庭科で習ったレベルしかまだ作れませんけど、それは今後勉強していきます」
義姉さんの方針――そう言えば、遊びに行った時、この子たちは率先して色々と手伝いをしていた覚えがある。
「本当に自分たちのことは自分たちでできるのか? 朝起きて、ご飯作って、学校行って、勉強して、帰って来たら友達と遊べもせずに買い出し行って、夜ご飯作って、宿題して、お風呂入って、洗濯して、寝て……それをずっとこれから毎日できるのか?」
大人でも面倒なことをまだ子供のこの子たちが本当にやり遂げられるのか、オレにはわからない。
だからオレは脅すように声に力を込めて問いかける。
一瞬、有紗と璃々夜が「うげぇ」という顔をしたが、麗羅だけはオレの顔を真っすぐ見据えて微動だにしなかった。
「やります。やり遂げます。私は叔父さんの人生の足手まといになりたくありません」
「…………」
麗羅からは強い覚悟を感じる。
それを無理だと否定して、信じてあげないのは可哀そうだ。
「(叔父さんとは一緒の人生を歩みたいです)」
「うん? 何か言ったか?」
「いえ、なんでもありません」
やっぱり不安なのか? それは当たり前か。オレがこの子と同じ歳で自分のことなんてどれだけやった? ほとんどやってない。
ただ義姉さんに見てほしくて陸上だけは頑張っていた。動機はともかく、両親は応援してくれて、世話をしてくれていた。
「……わかった。自分たちのことを自分たちですると言うなら、任せる」
転職したいわけじゃないからな。そう言うなら、まずはお試しでやらせてみてもいい。
「ホントですかっ」
「ああ、ただ昨日と同じでの4時30分には家を出るし、帰ってくるのは22時30分頃、それが1週間のうち六日続く」
「6日も……お兄さん忙しいんですね」
「おじちゃん、お仕事大変?」
別に大変な仕事でも特別忙しい仕事でもない。ただただ拘束時間が長いだけだ。
「それでも三人でやっていけるのか?」
「寂しいとは思います。叔父さんには側にいてほしいです。でも、私たちがバラバラになったり、叔父さんの迷惑になるよりマシです。乗り越えられる障害です」
何とも頼もしい限りだ。
ただ――
「麗羅、長女だからって一人で背負い込もうとするなよ?」
――一人で全てをこなしてみせる。そんな気迫を伝わってくる。
「私が二人の面倒を見るのは当たり前です。お姉ちゃんですから」
「お姉ちゃんっ」
「レイラお姉ちゃんっ」
感極まったように瞳を濡らす二人に、麗羅はニッコリと微笑みかける。
「ちゃんと責任をもって、私が自分たちのことは自分たちでやらせます」
「お姉ちゃん!」
「レイラお姉ちゃん!」
同じ言葉なのに、全く別のニュアンスに思わず吹き出しそうになった。
そうか、ちゃんと三人に協力するつもりなら、信じて任せよう。
「了解した。まずは三人で協力してみて、ダメそうならオレも転職を本気で考える」
もちろん転職したからって、完全に面倒を見れるわけじゃない。だが、拘束時間が減れば三人と一緒にいてあげられる時間を増やせるのは間違いない。
「それでいいです。叔父さんを転職なんてさせません。ねぇ、二人とも」
「う、うん、そおだね」
「リリヤ……がんばる」
三人に温度差を感じるが、麗羅の手腕をまずは拝見しよう。
オレが思っていた以上に麗羅は確りした子に育っていたらしい。
会えば子猫のようにすり寄って着ていた小さな女の子が、いつの間にか立派になった。
オレは父親ではないが、小さい頃の麗羅を知る一人として、感銘を受けてしまいそうだ。
子育てという観点で見れば、オレが取ろうとしている選択は無責任なものかもしれない。
でも、麗羅の覚悟を否定して信じられないのは、頑張ろうとする麗羅に対して失礼だ。
こんな子に育てたのは他ならない兄さんと義姉さんだ。
きっとこんな無責任な選択をしても、怒らないはずだ。
きっとオレと一緒になって、麗羅たちの頑張りを応援してくれているだろう。
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