第12話 寝姿

 ガチャ――できる限り、音を立てないように気遣ったつもりだが、やはりドアノブを引く音がしてしまった。

 こんな微かな音でも静まり返った家の中では意外に響くものだ。

 時刻は23時を過ぎた頃。

 さすがに姪っ子たちは眠りについていると思い、オレは細心の注意を払いながら家に帰って来た。


 オレが借りている部屋の間取りは一般的な2LDKだ。

 玄関から廊下が伸び、右側にトイレ、脱衣所、浴室、収納スペースがあって、反対側に居室が一つある。今までは物置として使っていたが、昨日からは有紗と璃々夜の部屋だ。


 オレは足音を極力立てないようにつま先で歩きながら、DLKに続くドアに向かう。

 すりガラスにチカチカと複数の色の光が瞬いている。

 恐らくテレビがついているのだ。誰か起きているのだろうか?

 こんな時間まで何起きてるんだ! なんて怒るつもりはない。

 もしかしてオレの帰りを待っていてくれた? なら、少し嬉しいな。

 これまで一人暮らしだったから、誰かに帰りを待たれたことがない。もちろん実家は別として。


「……ただいま」


 ドアを開け、確認するように小声で呼びかける。

 返事は特にない。

 もしかしてテレビのつけっ放しか?

 それは注意が必要だな。


「ふぅ……」


 誰もいないとわかったので、オレは息を吐き、キッチンの流しで手を洗い、コップを取り出して一口飲む。


「……ホント、子育てには向いてない仕事だよな」


 今日の朝を振り返って、そして今も誰一人として顔を合わせていない。

 今のまま寮監兼陸上部の顧問をやっていれば、それがずっと続くわけだ。

 満足に顔を合わせるのは休日の1日のみ。


「これは子育てとは言わないよな。引き取っただけの自己満足でしかない」


 なら、やっぱり転職か。結婚は……考えられない。

 だからと言って転職も難しい。

 オレが経験のある仕事と言えばスポーツジムのトレーナーだ。経験があると言っても元々が安月給。今ほどの給料は望めない。

 これからのことを考えれば、安易に転職という手段を選べないが……どうしてものか。


「やっぱりオレに子育ては無理だったのか」


 実家に近ければ、両親に面倒を頼むこともできた。退職して時間を持て余している父さんに母さんのボケの予防にもなって一石二鳥だったかもしれない。


「そうか……引っ越しって手段も……いや、それはもう転職も必須か」


 実家までは車で3時間。当然引っ越せば仕事も変えなきゃいけなくなる。


「或いは二人にこっちの方に引っ越してきてもらうか?」


 それも現実的じゃない。二人は持ち家に住んでいる。気軽に引っ越すことはできないだろう。


「はぁ、何か万事解決するいい方法があればいいが」


 難しい問題だ。

 そこら辺含めて明日三人と相談しよう。

 オレはコップを流しに置いて、昨日から寝床になったソファーへと向かった。

 風呂は寮で済ませてきているので、すぐに寝ることができる。


「…………」


 テレビのついたソファーに先客がいた。

 麗羅だ。

 どうやらテレビのつけっ放しと言うよりは、テレビを観ている最中に寝落ちしてしまったようだ。


「もしかしてオレのことを待ってて?」


 それとも単純に面白い番組でもやっていたのか。ドラマだろうか?

 大人になってからはあまり観なくなったが、学生の頃は毎日何かしら観ていた覚えがある。

 極道の四代目になるはずの女教師やら、三年何組やら、救命で救急だったり、国民的アイドルが検察だったり……最近はどんなドラマがやっているのだろう?


「布団もかけずに寝て……風邪になったらどうするつもりだ」


 オレはリビングの隅に畳まれている布団を手に取った。昨日オレが使った布団だ。

 それをかけてあげようとした時、ふと麗羅の胸元に視線が止まった。

 ピンク色の子供らしい可愛い寝間着のボタンが、数個外れて胸元がはだけている。

 まだまだ小さな膨らみだが、オレはそれから目を逸らせなかった。

 つい先ほど、西野の胸で泣いた時の感触が自然と触れていた顔に蘇ってきた。

 もっと言うと、昼間に寝た東条の膝の感触も。

 今更だが、今日のオレはかなりの綱渡りをしていたのではないか?

 ホント、誰にも見られていなくてよかった。

 もし見られていたら、今頃ここには帰ってこれていなかったかもしれない。


「義姉さん……」


 いや、帰ってくるべきじゃなかったのかもしれない。

 いくらオレが普段は女子生徒をそんな目で見ていなかったとしても、1日のうちに二度もあんなに密着したら、さすがに思うところがある。

 そして最後に、一目惚れしてしまった義姉さんの血を受け継ぐ姪っ子。義姉さんと同じ髪をした麗羅が無防備に寝ている。

 まるで襲ってと言わんばかりだ。

 

 いやいや、オレは何を考えてるんだ!

 そんなこと思ってるわけないだろ!

 

 首を振って邪念を振り払おうとするが、胸の奥から湧き上がってきた感情を鎮めることができない。


「少しくらいなら……」


 少しだって良い訳ないだろ!

 自分自身にツッコミながらも、オレは義姉さんと同じシルバーブロンドの長い髪に手を触れた。

 確り手入れされているのか、枝毛のないさらさらの手触り。

 ほのかに香ってくるのは石鹸の匂いなのだが、オレが普段使っている物とは違う匂いだ。

 何かシャンプーを買ってきたのか?

 それとも麗羅自身の匂いと混ざって、こんなにもいい匂いがするのだろうか?


 この子のことをオレは義姉さんのお腹の中にいた頃から知っている。

 エコーでその姿を見たこともある。

 生まれてからは泣いているところをあやしたり、ミルクを上げたり、おしめだって変えたり、子育てにも手を貸したものだ。

 赤ちゃんの頃から見てきた麗羅がこんなに大きくなって、少し感慨深いものがある。

 まるで父親みたいだ。


「…………」


 なのに、どうしてオレは寝ている姪っ子の髪を撫でているのだろう。

 起こさないように、バレないように、こっそりと……これじゃ変態だ。

 寝ている中学生にいたずらする変態――本気で捕まるぞ、これ。

 それがわかっているのに……わかっているのに、オレは胸の内から湧き上がる劣情を抑えることができなかった。

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