第26話 カルボナーラ
カルボナーラと言えば卵と生クリームの濃厚な味わいと、ベーコンによる塩味のきいたハーモニーが美味しいパスタ料理だ。
パスタの料理人たちはカルボナーラを美味しく作れるようになることで、初めて一人前と認められるようになるほど、奥の深い料理と言える。
しかし、日本のカルボナーラは本場イタリアとは作り方が異なる――なんて訳知り顔で語っているが、実はオレも最近テレビ番組を観るまでは全然知らなかった知識だ。
何でも本場のカルボナーラは生クリームを使わないらしい。
その番組を観てから、一度は作ってみてみたいと思っていたが、その機会になかなか巡り合えなかったオレは、今がチャンス! とばかりに、初めて本場のカルボナーラ作りに挑戦することにした。
「あれ? 叔父さん、カルボナーラを作るんですよね? 生クリームも牛乳も用意しないんですか?」
キッチンに立っているのは、シェフであるオレ、アシスタントを務める麗羅だ。
夜ご飯を一緒に作ると言ったのに、手伝いを買って出てくれた。
「今日は本場のカルボナーラにチャレンジしてみようと思ってな。生クリームや牛乳は使わない」
「確か以前にそんなカルボナーラの作り方、テレビでやってましたね」
どうやら麗羅もあの番組を観ていたらしい。
番組に出演していた人たちはかなり好評だった。まぁ、テレビ番組なんて大袈裟なリアクションを取ることがほとんどなので、鵜呑みに出来ない。だからこそ、こうして自分で作って確認することが重要だ。
「麗羅も観てたのか。結構美味そうだったよな」
「そうですね。でも、日本では生クリームを使うのが浸透したレシピですから、そうなった理由があるんだと思いますよ」
「冷静に分析してるんだな」
「そうですか? 外国人と日本人の好みは異なりますから。パンとかカレーがいい例じゃないですか」
「言われてみれば確かに」
どちらも本場とはかなり異なり、日本人好みにアレンジされている料理だ。
麗羅はカルボナーラもそうだと言っているのだ。
かなり説得力があって納得させられてしまう。
「牛乳、使うか?」
さすがに使う予定のない生クリームは常備されていないが、姪っ子たちが買ってきた牛乳ならまだ残っている。
「どうしてですか? せっかくなら食べてみたいじゃないですか。本場の味」
どうやらそういう意味で言ったわけではなかったようだ。
でも、そんなことを言われたから、オレが不安になってきた。
大丈夫だよな? 信じてるぞ、テレビ!
沸騰したお湯に塩を適当に入れてから七分茹でるパスタを投入する。
その間に卵を割って、卵黄と卵白を分ける。
「叔父さん、私は何をしますか?」
「そうだな……ミックスチーズを刻んでおいてくれないか」
「ミックスチーズをですか?」
「粉チーズがないから代用だ。そのまま入れると、とろけなさそうだろ」
「なるほど、わかりました」
麗羅は振り返って冷蔵庫からミックスチーズを取り出すと、まな板の上に広げて包
丁で丁寧に刻み始めた。
「こうして卵黄と卵白を分けてるとお菓子作りみたいだな」
「シフォンケーキやスフレを作る時には必要ですもんね、メレンゲ」
「麗羅はお菓子も作れるのか?」
随分と簡単に話が通じたので、そう尋ねてみると、一定のリズムで聞こえていた包丁の動きが止まり、麗羅がこちらを向く気配がしたので、オレも顔を向ける。
「叔父さん、前に手作りのお菓子を差し上げたこともあるんですけど、覚えてないですか?」
「そう……だったか?」
申し訳ないが覚えてない。
姪っ子から手作りお菓子なんてなかなか印象深そうな気がするが、ホントに欠片ほども記憶がないぞ。
「今年のバレンタインもお母さんと一緒にあげてますよ」
「義姉さんと一緒に――」
それって義理とわかっていても、義姉さんからのお菓子に舞い上がって、麗羅のは眼中になかったパターンしか思い浮かばないんだが。
仕方ないだろ。姪っ子からのお菓子よりも初恋の人からのお菓子の方が嬉しくて、印象に残るに決まってる。
「どうせ、私はお母さんのついでですよね。叔父さんはお母さん一筋で(どれだけ諦めが悪いんですか)」
こういうのをジト目と言うのだろうか、麗羅の目が据わってる。
「いや、その……覚えてるぞ」
覚えてないが、傷つけないためにはウソも必要だ。
「なら、問題です。今年のバレンタインに私は何を叔父さんにあげましたか?」
「…………」
やめろよ、そういう確認作業!
優しいウソがただのウソってバレるだろ!
「く、チョコクッキーとか?」
間は空けずに可能性に賭けて答える。
バレンタインとしてくれたならチョコは含まれていたはずだ。
「はずれです。正解はマカロンです」
「随分洒落た物作ってたんだな」
そんな物作ってもらってたら、覚えていそうだがホントに記憶にないな。
因みにマカロンも卵白を泡立てて作るメレンゲを使ったお菓子だ。
「女の子ですから、好きな――お菓子作りは好きなんです」
一瞬何かを言い淀み、麗羅は何事もなかったようにミックスチーズを刻むのを再開し、視線をまな板に向けた。
その間にほんのりと染まっていく横顔は、オレの目にはやや色っぽく見えた。
一体何を言い淀んだのか、気になる所だ。
「…………」
特に意味があるわけじゃないが、何となくその横顔をぼんやり眺めていると、視線が気になるのか、麗羅がチラッとこちらを見て、目が合うと恥ずかしそうにそっぽを向く。
兄さんが付き合い始めたばかりの義姉さんを連れてきていた頃、ふとした触れ合いで義姉さんがしていた仕草に似ている。
親子であることを疑ったことはないが、やっぱり親子なんだなぁ――としみじみ思う。
「お兄さん、郵便受けにお爺ちゃんたちから、何か送られ……って、なんです? このちょっとぎこちない雰囲気と言うか、甘酸っぱい雰囲気」
いつの間に家を出ていたのか、茶封筒らしきものを持った有紗が入ってきて、オレたちの間に流れ始めたばかりの何とも言えない空気を、敏感に感じ取り、小首を傾げた。
「あぁ、さすが父さん、仕事が早いな」
「わたしの疑問は無視ですか? これは何が入っているんです?」
無視というか、答えにくいからスルーさせて――って、それは無視だな。
「お前たちの引っ越し届けと転校届けだ。これがないとこっちの学校に転入手続きができないからな」
風吹さんの助言を受け、転入するには色々と書類が必要であることを知ったオレは、実家の両親に役所と学校に必要な書類をもらって送ってもらうように頼んだ。
まさかこんなに早く揃うとは思ってなかった。
「転入……そっか、わたしたちもう前の学校には通えないんですね」
前の学校の友達のことを思い浮かべたのか、有紗は寂しげな笑みを浮かべる。
普通の転校とは違い、両親の事故死による急な引っ越しだった。きっと誰にも挨拶していないはずだ。
三人ともスマホは持っているから、仲のいい友達とやり取りくらいはしているかもしれないが、クラスメイトにちゃんとお別れは言いたかったに違いない。
「あまり気の利いたことは言えないが……今生の別れってわけじゃないんだ。荷物を取りに行く時に約束をすれば会える」
女の子を慰めた経験なんて皆無に等しいオレに言えるのは、この程度のことしかなかった。
因みに兄さんが買った家は現在父さんたちが管理していている。ローンは兄さんが死んだことによって団信によって、残高が支払われるはずだ。
いずれ、麗羅、有紗、璃々夜の誰かが引き継ぐことになるだろう。
「言葉が思いつかないなら、ギュッて抱きしめるだけでも、女の子は落ち着くんですよ」
「そういうの、仲のいい相手だったり、好きな人にされないと逆効果じゃないか?」
「なら、問題ないですねっ!」
そりゃ確かにオレたちは仲のいい叔父と姪の関係ではあると思うが、30手前のおっさんが10歳の姪っ子に抱きつくのは、世間一般の目にはどう映るのだろうか?
通報案件じゃないか?
30の叔父、小学生児童にセクハラ――急げば夕方のニュースで一躍有名人だ。できれば顔は出さないでほしいが。
「有紗、バカなこと言ってないでテーブル拭いたりしなさい」
「友達と離れ離れになって傷心中の妹に対して、お姉ちゃんは冷たいな」
「そんなの私も同じよ。でも、叔父さんのおかげで私たちは三人でいられる……それ以上を求めて、叔父さんを困らせないで」
「わかってるよ……お兄さんを困らせるつもりなんてないから」
言い合い――と言うほどのことじゃないが、二人はそんなやり取りをした。
それから有紗は言われた通り、冷蔵庫横の縦長の箪笥から台拭きを取り出すと、水を流して力一杯絞る。
まだこの家に来て3日目だが、何がどこにあるのか、把握し始めているようだ。
「あの叔父さん……私も寂しいので、ギュってしてくれてもいいですよ?」
先ほどの傷心中の妹はどこへ消えたのか、ルンルンな鼻歌交じりでテーブルを拭く有紗をカウンター越しに確認してから、麗羅は小声と共に上目遣いでオレにそう言った。
「麗羅、お前もなぁ」
二人してそんなにオレを犯罪者に仕立て上げたいか。
三人一緒に引き取ったことを感謝してるなら、オレをそっちの道に誘惑しないでほしいんだがな。
まだ幼い璃々夜なら微笑ましく見られるかもしれないが、小学五年生になる有紗と中学二年生になる麗羅とでは見方が変わってくるだろ。
「叔父さんは慰めもしてくれないんですか?」
悲し気な表情で訴えかけてくる。
そりゃ可愛い姪っ子たちを慰めるくらいの度量はあるつもりだが、そういうボディータッチ系はホント世間の目が厳しんだ。
いくら血の繋がりがあるからって、年頃の子とそういうのは……それともオレが気にしすぎているのか?
世間の叔父と姪は、もっと気軽にハグとかしているのか?
「パスタが茹で上がる前に準備を終えないとな」
口より手を動かさないと、いつまで経っても準備は終わらない。パスタは既に茹で始めている以上はタイムリミットがある。
返答に困ったオレは明言を避け、料理を理由に口を噤み、玉ねぎを微塵切り、ベーコンを一センチ間隔で切り分けていく。
「(叔父さんのチキン)」
不満そうな麗羅は小声で何か言っているが、残念だか聞き取れない。
聞き取れない以上、何も聞いていないも同じだ。
オレはコンロに火を点け、フライパンを置く。熱せられたのを見計らって、オリーブオイルを垂らし、玉ねぎを炒めていく。色が狐色に変わった頃にベーコンも入れて、しばらくしてから火を止めた。
それから吊り戸棚からボールを取り出し、茹で上がったパスタを移し、その中に炒めた玉ねぎとベーコン、分けた卵黄と麗羅が刻んだチーズを入れて、馴染むようにかき混ぜる。
全体が卵黄の色に染まった所で皿に盛りつけ、本場のカルボナーラの完成だ。
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