第15話 いただきます
「甘くて美味しそうな匂いがします」
廊下に続くドアが開き、風呂上がりの麗羅がやってきた。
髪も洗ったのか、義姉さん譲りの美しい髪は光を反射してキラキラ瞬いているように見えた。
「お姉ちゃん、匂いちゃんと消えた?」
「念入りに洗ったからたぶん……やっぱり自分だとわからないけど」
先程まで着ていたパジャマではなく、今は普段着に着替えている。
「うーん、どれどれ? スンスン……うん、大丈夫、普段のお姉ちゃんの匂いだね」
「そう……よかった」
「なんだったんだろうね? あの匂い」
二人で首を傾げ合う二人を見て、オレは内心ハラハラしながら調理したものを皿に盛り付けていった。
「ほら、二人ともおしゃべりしてないで、手伝えることがあれば手伝え」
これ以上その話しを続けて欲しくないので、軽い調子で二人に手伝いを促す。と言っても料理を運ぶくらいしかないが。
「あ、はい。もしかして叔父さんが作ってくれたんですか?」
「そおだよ。しかもお題は女の子が喜ぶもの。お兄さんのセンスがわかるね」
「女の子が喜ぶって、また変なこと言って……ちなみに何を作ったんですか?」
呆れてように言いつつも、メニューの内容は気になるのか、麗羅はキッチンに入ってくるとオレの手元を除いてきた。
「おら、ちょうどできたぞ。持っていけ」
「フレンチトーストですか」
「好きだろ? 女の子」
女子しかいない寮でも評判の一品だ。
「はい、好きです。果物も添えて見栄えもいいですね」
麗羅は控えめだか、確かに嬉しそうな微笑みを浮かべて、オレを見上げた。
果物も昨日姪っ子たちが買ってきていたものだ。オレ一人だとまず買わない。
バナナとキウイを一口サイズにカットして、少し見栄えも意識した。有紗の注文は女の子が喜ぶなので、フレンチトースト単体だと物足りないと考えたからだ。
「三人は先に食べてろ。あとスクランブルエッグを作る」
「卵に卵ですか?」
「これは璃々夜の要望だな」
「……二人ばかりずるいです」
そう言って麗羅は小さく頬を膨らませた。
そりゃ作り始める時に麗羅はシャワー浴びてたんだから仕方がないだろ――と言うのは簡単だが、いじけたようなか弱い目を見ると、言葉が出なかった。
「あぁー……なんだ、昼や夜は麗羅の要望に応えるから、その……」
「ホントですかっ」
「お、おう……」
そう言うと一瞬で瞳を輝かせてきたので、驚いてしまった。
そんなに嬉しいのか? 食べたい物を作ってやるくらいのことが。
「何にしましょう。今から楽しみですっ」
まるで初めて出来た彼氏とデートの約束をして浮かれている娘のような様子に、オレは戸惑いつつ揺れる麗羅の頭に手を置いた。
「楽しみにしてくれるのはありがたいが、さっさと運べ、そして食べろ。冷めるぞ」
「おじちゃん、まだぁ、できたんじゃないの?」
リビングから璃々夜が催促してきた。
これから小学生三年生になるが、まだまだ危なっかしいところの多い璃々夜に包丁や火を使う台所でうろちょろされたら怖いので、リビングで待つように言い聞かせておいた。
「お姉ちゃん持ってこう」
「うん、では先に頂いてますね」
麗羅は微笑むと、璃々夜の分も皿を持って、リビングへと向かった。
「じゃ、お兄さんの分はわたしが持っていきますね」
「ああ、よろしく頼む」
有紗も移動してキッチンにはオレ一人になった。
向こう側では「おぉー、フレンチトースト」と璃々夜の感激したような声がした。
どうやら手応えは十分そうだ。
「残りもさっと終わらせるか」
スクランブルエッグは簡単そうで奥が深い料理だ。
火加減や混ぜ方で、味、歯ごたえ、風味、全てが変わる。
オレは熱したフライパンに油を入れて、卵を溶いた卵を流し込んだ。
フライパンを軽く持ち上げ、火加減を調節しつつ、菜箸で卵をかき混ぜていく。この時、ただぐちゃぐちゃにかき混ぜるのではなく、固まり始めた卵を崩さないようにずらして層を作るイメージで箸を動かす。
もちろん綺麗に層なんかできないが、ぐちゃぐちゃにかき混ぜるより歯ごたえが出る。
熱が完全に通る前の半熟なところで火を止めて、予熱で固まる前に皿に落とす。
最後にケッチャップをかけて完成だ。
片付けは後にして、できたばかりのスクランブルエッグを持ってリビングに向かった。
「璃々夜、お待ちどう――って、みんな食べてないのか?」
てっきりもう食べてると思っていたが、誰もフォークを持っていないし、フレンチトーストも減っていなかった。
「一緒に暮らすようになって四人で食べる最初のご飯ですから、待ってようって話しになったんです」
「そんなこと気にしなくていいんだが」
「お兄さん、女の子はそおいうの気になる生き物なんですよ?」
「そうなのか?」
「おじちゃん早く! お腹空いた」
「ああ、待たせたな」
お腹空いたなら食べてれば良かったのに――と思いつつも、璃々夜寄りにスクランブルエッグを盛った皿を置き、オレは空いているところに腰をおろした。
「それでは頂きます」
「「いただきまーす」」
麗羅が音頭を取って、二人も後に続く。
「頂きます……」
オレも真似るように手を合わせた。
もしかしたら一人暮らしをするようになってから、初めて頂きますと言ったかもしれない。
これが家族か……しばらく忘れてた感覚だ。
「んっ、美味しいですね」
「ホントだ。卵に浸した時間短かったのに、中までちゃんと染みて、しっとりして柔らかい!」
「おじちゃん、おいしいよ」
三人は一口食べると目を丸くして「美味しい」と感想を言ってくれた。
料理人というわけじゃないが、この瞬間は嬉しいものだ。
「ズブズブ刺したからな、フォークで」
家庭によっては前日の夜からパンを浸したりするらしいが、今日の朝いきなり作ることになったオレに、そんな準備をしている時間はない。
なので時間短縮のためにしたのは、パンに穴を大量にあけることだ。そうすることによって卵が中までしっかりと染みていく。
ただ欠点がないわけじゃない。
「あにゃ、崩れた」
二口目を食べようとした璃々夜のフレンチトーストが、璃々夜の口から逃げるように形を崩して皿の上に落ちた。
穴をあけまくったので、当然パンの生地はボロボロでとても崩れやすくなっているわけだ。
「食べる時はさっと食べるのがコツだ」
オレは見本を見せるように、崩れ始める前にサッと口の中に入れる。
メイプルシロップはなかったが、ハチミツを買ってきていたようなので代わりにかけてある。
久々に甘い朝食だ。
「それで有紗、これは女の子が喜ぶものだったか?」
「あ~……えっ? なんですか?」
「いや、朝食のお題だろ」
「ああぁ、そおでしたね。う~ん、60点ですかね」
むっ、思ったよりも点数低いな。
「ほう……その心は?」
「フレンチトーストって選択が安易でした。フルーツを添えて見栄えを意識したのはポイントが高いです。味も美味しくて文句はないんですけど、想像の範囲内なので」
意外に手厳しいな。
そもそも今ある食材で有紗の想像の枠を超えるメニューが作れただろうか?
ある中からでは最善の答えだったと自信があったが――。
無理ゲーだったんじゃないのか、最初から。
「有紗、あなたね――」
「まぁまぁ……ってことで、今後も期待してますよ、お兄さん」
そういうことか。
今日一日で終わりではないわけか。
これからも女の子が――有紗が喜ぶメニューを考えて作ってほしいと遠回しに要望をしているのだ。
そういうことなら、可愛い姪っ子の頼みだ。時間がある時は可能な限り対応してよう。
「いいだろう。満足、降参と言わせてみせる」
「楽しみにしてますっ」
意図を察してニヤッと笑うと、有紗は嬉しそうに綻んだ。
「……叔父さん、あの……私も――」
「リリヤも! ねぇ、リリヤも!」
「お、おぉ、璃々夜もな。わかったぞ」
テーブルに身を乗り出して、手を上げる璃々夜。行動がいちいち幼げで愛らしいな。
「…………」
「うん? 麗羅、どうかしたか、頬を膨らませて。言うほど美味しくなかったか?」
「美味しいですよ、美味しいです……でも、知りませんっ」
いつの間にか無言で頬を膨らませていた麗羅に話しを振ると、なぜか怒った様子でそっぽを向かれてしまった。
一体何があった?
◇
スクランブルエッグは好評だった。
今までに食べたことのない食感と、三人は喜んでくれた。
「あぁーところで麗羅、お前は眠り深い方なのか?」
「うん? 何ですかいきなり」
「いや、少し気になってだな……」
脈絡がなく突然だったとは思う。けど、気づいた時には声に出てしまっていた。
「気に……なりますか、私のこと」
「そりゃ、一緒に暮らすわけだからな」
「そうですか……(えへへ、気になるって)」
なぜか麗羅は顔をほんのり色付かせると、下を浮いて落ち着かない様子でモジモジし出す。
「お姉ちゃんは朝とか強いですから、それほど深くないんじゃないですか?」
「そうなのか?」
「そうですね。起きるのは得意です。でも――」
「レイラお姉ちゃんはね、一回寝るとなかなか起きないよ」
「と言うと?」
自信をもってハッキリと発言した璃々夜に先を促す。
「リリヤね、小学生になってからお母さんに『もうおっぱい触っちゃダメ!』って怒られたの」
「お、おっ? おう、そうなのか」
どうしていきなり義姉さんのおっぱい触ってた話しになるんだ?
感触とか詳しく教えて――いやいや、姪っ子の末っ子に何を聞こうとしてるんだ、もうすぐ30のおっさんが!
でも、おっぱい、触ってたのか……当たり前か。子供の特権だな……いいなぁ。
「それでもね、リリヤおっぱい触りたかったの」
「あはは、まぁ子供の頃はね」
「お母さんの胸、柔らかくて気持ち良かったしね」
麗羅も有紗も同意しながらも、恥ずかしそうに苦笑いを浮かべている。
柔らかかった――もっと具体的に、物で例えると……いやいやいや、ダメだダメっ!
「代わりにレイラお姉ちゃんと寝た時にこっそり触ってたの!」
「っ! 璃々夜!」
唐突に落とされた爆弾に、麗羅は目を見開いて驚きの声を上げた。
見る見るうちに顔が赤く染まっていく。
「レイラお姉ちゃん全然起きないんだよ」
そうだな。璃々夜が爆弾投下するまで、本人が気付いてる様子はなかった。
この短いやり取りだけで璃々夜の発言に信憑性があると判断できる。
そうか、眠りは深いのか……。
「お、叔父さん! 璃々夜になんてこと言わせてるんですか!」
「お、オレかっ? そりゃきっかけを作ったのはオレだが、まさかそんな爆弾持ってるとは思わないだろっ」
仮に予想したとしても精々寝相が悪くてビクともしないくらいだ。
まさか胸を触っても起きない発言が飛びさすとは誰も思わないだろ!
「そもそもっ、なんでそんなこと聞く必要があったんです!」
「いや、それは……オレの帰りは遅いだろ。麗羅が寝る部屋はリビングの隣で音が響くだろうから、起こしたりしたら悪いと思って、確認をだな……」
「…………そうですか、お気遣いは感謝します」
苦し紛れの言い訳かと思ったが、意外にも麗羅の怒りはスッと鎮静化していった。
「ううぅぅ、(まさかファーストタッチが奪われていたなんて、叔父さんにあげるつもりだったのにっ)」
「まぁまぁ、お姉ちゃん姉妹なんだし、ノーカンだよノーカン」
ボソボソ呟く麗羅の肩をポンポンと優しく有紗が叩いて慰めていた。
麗羅のことは有紗に任せてオレは――。
「うん?」
自分の発言の重大さを理解していない璃々夜は、口の横にケッチャップをつけて首を傾げていた。
「口、ついてるぞ」
オレはテーブルのティッシュ箱から一枚抜き取って、璃々夜の口の横を拭いてあげた。
「おじちゃん、ありがと」
可愛く感謝する璃々夜の頭をオレは優しく撫でた。
こちらこそありがとう。義姉さんの胸の話しや麗羅の眠りの深さについて聞けて助かった。
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