第19話 談話室で


「はぁー…………はぁ…………はぁ~…………はぁぁぁぁぁぁ」

「あの琴美ちゃん、さっきからため息がとても気になるんですけど」

「え? あぁ、ごめん、気にしないで……はあぁぁぁ」


 この春から私立暁海学園、中等部二年になる私こと東条帆莉は、陸上部兼水泳部に所属する生徒が利用する寮の談話室で、初等部のことから仲良くしている友人の、西野琴美とバラエティー番組を観ています。

 寮には食堂と一、二階にある談話室に一台ずつテレビが設置されています。各部屋にはテレビは置かれていないので、何か見たい番組があれば、この三箇所に必然的に人が集まるのですが、この談話室にいるのは、私たち二人だけです。

 先程までは他にも利用者がいたのですけど、琴美ちゃんのあまりにもうるさい――思い詰めたため息が気になって、皆さん退室してしまったのです。

 理由は明白です。

 今日から新学期が始まるまで、暦コーチが仕事をお休みするからです。


「気にしないなんて無理ですよ。はぁ」


 まるで伝染したように私までため息を吐いてしまいました。

 これでは楽しんでテレビを観ることもできないので、リモコンで電源をオフにします。


「あ、ちょっと、観てたのに」


 暗くなった画面を見て、琴美ちゃんは怒ったように私を睨んできます。いえいえ、怒りたいのはこっちです。ちっと集中できないし、内容だって頭に入ってこないんですからね。


「そんなにため息を吐いたって、暦コーチは帰ってきませんよ」

「な、なに言ってんのっ! 別にあたしはあんな奴、休もうが来ようが関係ないって言うか、興味ないって」

「今は私たちしかいないんですから、誤魔化そうとしたって意味ないですよ」


 そもそも一年前から皆さん気付いてますし、琴美ちゃんがコーチに特別な感情を抱いていることくらい。

 なんでバレてないと思うんでしょうかね?

 思いっきり恋する乙女のツンデレをしているのに。

 ホント、あんなにわかりやすいのに、コーチはどうして気付かないんでしょうか?

 もしかして気付いているけど、気付いてないふりをしてとか?


「えっ……あれ、ホントだ。いつの間に」

「それすら気付いてなかったんですか?」


 これはかなり重症ですね。

 まぁ、気持ちはわかりますけど。

 これから数日コーチに会えないのは寂しいです。

 だからと言ってため息をついても何も好転しません。

 来ないものは来ないのです。


「あーもう! なんで! なんで……こんな、こんなのあたしじゃない!」


 暦コーチに会えない寂しさとどうしようもないもどかしさからか、琴美ちゃんは

「うがぁー」と唸りながら頭を掻きむしります。

 女の子なんだからそんなはしたない真似はどうかと思いますよ?

 いくらここに大好きな暦コーチがいないからって、油断していると咄嗟に同じような行動をしてしまうかもしれません。


「はしたないですよ、琴美ちゃん」

「そんなのどうでもいい。あたしたちしかいないんだから」


 まさか琴美ちゃんがこんなにも誰かを想うようになる日が来るとは、思っていませんでした。

 琴美ちゃんは初等部の頃は恋愛ごとには興味がなく、誰が格好いい、誰が誰を好きと言った話しに全く乗ってこなかった子です。

 なのに、今では一回り以上歳の離れた男性に、恋煩いをするようになってしまったのです。


「一度は来ておいて期待させて……すぐにまた休むとか。そんなに辛いなら最初から休んでればいいのに」

「暦コーチだって大変なんですよ。いきなり姪っ子さんを三人も引き取って、男手一つで子育てをしなきゃいけないんです。きっとこれから数日は色々とすることがあるんですよ」

「ちょっと待って……何それ、あたし聞いてないし」

「……聞いてなかったんですか? なら聞かなかったことにしてください」


 ヘタを打ったかもしれません。

 私が知っていることなので、当然他の人も知っていると思って話してしまいましたが、琴美ちゃんは知らなかったようです。

 人様の情報を漏洩してしまいました。

 でも……なるほど、暦コーチは琴美ちゃんには話さず、私には話したのですね。

 これって私のことを信頼しているってこと……あぁ、でも、その信頼を裏切ることをしてしまったんでした!


「無理っ! ねぇ、その姪って――女だったりするの?」

「琴美ちゃん、落ち着いてください。姪はそもそも女の子ですよ。男の子なら甥です」

「……そんなのどうでもいいから! 女って、三人も女ってどういうことっ! じゃ、今日休んでるのってもしかして――」


 どうでもいいわけありません。

 中学生にもなって姪と甥の意味も把握してないなんて問題ですよ。

 頭に血が上って混乱しているだけと思いたいですけど、琴美ちゃんですし……。


「その姪たちとイチャイチャしてるから……とかじゃないでしょうねっ!」

「琴美ちゃん……」


 思考がぶっ飛んでしまったのでしょうか? 恐ろしいことを言っています。

 どうしたらそんな発想になるのかわかりません。

 暦コーチが小学生や中学生を相手になんかするはず……あれ、なんだか戻ってきましたね。ぐさって胸に突き刺さりました。


「姪とイチャつくために休むとか、見損なったしっ! あたしのこと立派な女にするって言ってたのにっ!」

「まだそうと決まった訳では……それよりも後半の発言が気になります、詳しい説明を要求します」

「うっさい! そんなのどうでもいいっての!」

「…………」


 怒られました。唖然です。

 ホントにどうしてしまったんですか?

 いくらなんでも、この乱れようは不自然です。

 好きな人が他の女の子と暮らすようになったと言っても、それは所詮姪っ子です。

 何をそこまで狼狽える必要があるのですか?


「何をそんなに慌ててるんですか? 意味がわかりませんよ?」

「だって、初恋で今も好きな人の娘と暮らすんでしょ! 何かの弾みであんなことやこんなことっ」

「なんですか、その情報はっ」


 好きな人の娘?

 亡くなったのは暦コーチの兄夫婦のはず……まさかお兄さんのお嫁さんをコーチも好きだったってことですかっ? しかも結婚して、子供が三人もいるにもかかわらず?


「私はそんなこと聞いてませんよ」

「そりゃあたしが気付いて問いただしたわけだから」

「…………」


 琴美ちゃんが気付いた?

 もしかして昨日暦コーチの様子がおかしかった理由って……。

 こう言ってはなんですが、少々がさつなところが目に付く琴美ちゃんが気付いて、気配り上手と評判の私が気付かなかったなんて。


「あの、その情報をもう少し詳しく……」


 暦コーチがあえて言わなかったことを聞き出そうとするのは、気が引けますが背に腹は代えられません。


「あたしも詳しく知りたい。姪っ子ってどんな子たちなの?」


 個人情報を本人の了承を得ずにペラペラ喋るのはよくないことですが、私たちはお互いに持っている情報の交換を行いました。

お互いにそれほど詳しいことを知っているわけではありませんでしたが、これでお互いに不足していた情報を得ることができました。

 なるほど、それほど好きだった人の娘なら、琴美ちゃんが心配する理由がなんとなくわかります。

 一番年上で私たちと同い年。

 何か間違いが起るには十分な年齢ですね。

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