第36話 ただいま
「はぁ……」
あれから何度目のため息か、もうわからない。いや、最初からため息なんてカウントしてないから、これが例え10回目だとしても、わからない。
きっと、それ以上しているのは間違いないが。
夜乃に告白された――キスを奪われた――そして振ってしまった。
唐突な出来事だったとしても、大人として余裕のある態度で、対応するべきだったと早くも反省している。
ただ……キスの経験も満足に無かったオレが、大人として余裕のある態度で対応できたかとは思えない。
あの対応は間違っているかもしれないが、仕方のなかったことだ。
家の前に着き、鍵を入れてロックを外す。
良い子は寝ている時間、極力音が出ないように配慮しながらドアを開ける。
廊下の電気は消えているが、リビングに続くドアの磨りガラスから向こう側の明かりがついていることがわかった。
もしかしたらまた麗羅がテレビを見ながら、寝落ちしたのかもしれない。
そう考えながら、オレは足音にも注意しながらリビングに向かった。
ドアを開けると、小さくしたテレビの音が聞こえてくる。
オレはソファーの方を覗き込むようにして――麗羅の姿を確認した。
前の時は寝落ちして、ソファーで寝ていたが、今日は身体が起き上がっている状態だ。
もしかしてまだ起きてるのか?
「麗羅?」
「ひっ……何だ、叔父さんですか。音を立てずにこんな近くまで来ないでください。びっくりします」
どうやらまだ起きていたようだ。
オレが声をかけると、麗羅はわかりやすく身体をビクッとさせて、蒼白な顔で振り返り、オレを確認すると安堵したように手を胸に置いた。
「そうみたいだな。寝てたら悪いと思って静かに帰ってきたんだが……起きてたのか?」
「はい。お仕事を頑張ってきてくれた叔父さんを出迎えようと思いまして」
「子供は寝る時間じゃないか?」
時刻は22時30分ちょっと前だ。
あれからまだ一時間も経ってないのか……。
「今どきの中学生は、このくらいでは寝ませんよ」
「そうなのか? 前は寝てただろ?」
三人を引き取ってから、最初に出勤した日のことだ。
あの日も今と同じくらいに帰ってきたはずだが、その時はリビングに居たものの寝落ちしていた。
そんなんだから、オレはあんなこと……。
それに一緒に暮らすようになって、既に何日も経った
22時になれば自分の部屋に戻っていることだって知っている。
別に22時までに寝なさいと口うるさく言うつもりはないが。
23時になったら、さすがに言うか?
オレがそれまでには寝たいし。
「あれは寝落ちしただけです。あの日だって叔父さんを出迎えようとしたんですよ」
やや頬が膨らんで、不満気味にそう主張する姿は何とも可愛らしい。
「出迎え……ね」
「何ですか、含みを持たせるように言いますね」
「いや、これまでそんなことしてくれる人なんていないから、少し嬉しくてな」
幸せそうな兄さんと義姉さんの姿を側で見ているのが辛くて、また悔しくて、オレは就職を理由に地元を離れた。
兄さんは実家に近いところに住んでいたから、何かと義姉さんと姪っ子たちが遊びに来ていた。
「そうなんですか? なら――お帰りなさい、叔父さん。ご飯にしますか? お風呂にしますか?」
麗羅は立ち上がると、オレと向き合うようにして、にっこりと可愛らしい笑顔を浮かべて、まるで新婚のように。
「…………」
「あの、何も反応がないとさすがに恥ずかしいというか、滑ったのか不安になるというか……何か言ってください」
桜のように僅かに色付く頬を見ながら、オレは麗羅の頭に手を置いた。
「ただいま。いいな、なんかこういうの」
もしオレが義姉さんと――いや、他の誰かと付き合ったり、結婚していたりしたら、こんな風に出迎えてくれるのだろうか?
初出迎えが、姪っ子ってのは何となく複雑な気もするが、これまで独り身だった者として、こそばゆく感じるが、けして悪くない。
「よ、喜んでいただけたのでしたら、私としても嬉しいです……あの、今後もしますか?」
照れているのかモジモジしながら、覗くような上目遣いに、胸がドキッと跳ね上がる。
「あ……まぁ、眠くない時とかに、な」
毎日だと麗羅に負担がかかると思って、そう言って頭をポンポンと優しく叩き、オレはソファーに腰を下ろした。
「それより、麗羅たちはどうだったんだ? 転校初日は」
「私は特に。緊張したとかはありますけど、上々のスタートだと思います。クラス替えもあったみたいなので。仲良しグループは当然ありましたけど、新しいクラスとしてのグループはない状態なので、馴染むのには苦労しないと思います」
オレの質問に答えながら、麗羅は当たり前のように隣に座ってきた。
「転校初日でそんな風に言えるなんてすげぇな」
オレ自身は転校の経験はないが、子供の頃は何人も転校生がやってきた。
最終的にはみんな問題なく馴染んでいったが、最初の頃は萎縮してなかなか馴染めずにいたのを覚えている。
「私なんて普通ですよ。有紗と璃々夜は早速友達ができたと言ってました。私はせいぜい話せる子ができたくらいで、友達まではさすがに」
「あぁ……あの二人は何かわかるな」
あの二人は性格的に人と仲良くなれるタイプだと思う。有紗は同性から嫌われ衝突することもあるかもしれないが、なんだかんだ最後は仲良くなっていそうだ。
璃々夜は純真無垢な子だから、みんなから大事にされそうだ。中にはバカな男子が構ってほしさでちょっかいを出すかもしれないが、それは許容範囲だな。
「叔父さん、それって私が二人よりも人付き合いが下手って言ってるんですか?」
「いや、そういう意味では言ってないぞ」
「なら、どういう意味なんですか?」
ジトっとした目でじぃーっと見つめてくる。
オレは誤魔化すように顔を逸らすが、横から受ける圧が強いっ。
「あ、そうだ。告白とかされなかったか? 三人とも義姉さんに似て美人だから、男共が放っておかなかっただろ」
麗羅の注意を別のものに向けさせるために、オレは苦し紛れに話題を変えようとした。
無理か、こんな下手な誘導じゃ――
「な、何でそのことを知ってるんですかっ! まさか有紗と璃々夜のどっちかからか聞いたんですかっ?」
――なんか予想以上に引っかかったぞ。
思いっきり食いついてきた!
反応からするに、麗羅は転校初日から告白されていたらしい。
「いや、別に聞いたわけじゃ……まさか本当にされてるとは思わなかったが」
「……違うんです。私の意思じゃありません」
「うん? まぁ、そうだろうな」
そりゃ告白してくる相手の都合だから、麗羅の意思は関係ないだろう。
別に中学生のくせに、まだ早い! なんて言うつもりはない。
もしかしたら兄さんなら――いや、兄さんなら「何事も経験だ」と言って応援していたかもしれない。寧ろ義姉さんが反対しただろうな。あの人は三人を本当に可愛がっていたから。
昔こんなことを言われたことがあった。「暦くんになら任せられるんだけど、誰かと結婚しちゃわない?」と。
姪っ子とは結婚できませんと、笑いながら断ったが、あれは冗談だったんだよな? 本気じゃないよな?
「ちゃんと三人には丁重にお断りしてますので、安心してください」
「もう断ってるのか……って3人っ」
「驚くことですか? 因みに有紗は今日だけで7人だそうですよ」
「…………」
驚きすぎて言葉が出てこない。
義姉さんの娘ってことを考えればありえるのか?
もし義姉さんがオレの同級生だったなら、間違いなく告白していただろうから、男共が告白する気持ちは十分に理解できる。
それにしても有紗の7人ってやばいな。
顔立ちは一番義姉さんに似ているから、納得と言えば納得だが……7人か。
「因みに璃々夜は1人から告白されたみたいです」
璃々夜までもっ!
さすがに小学三年生は早くないか?
叔父さん的にはダメって言いたいんだが……。
今日は告白する日か何かなのか?
オレを含めて、家族全員が告白されてたなんて、信じられない。
「2人はその……」
「もちろん断っているみたいです」
恋人を作らないところまで一緒とは――。
仮に承諾して付き合い始めていたら、今以上に驚くが。
それにしてもだ。1日に3人から告白されているにも関わらず〝驚くことですか?〟と言えてしまう麗羅の感性はどうなっているんだ?
そんなことを言えるってことは、これまでどれだけの男から告白されてきたのか、少し気になるな。
「麗羅はこれまで付き合った男とか――」
「いませんよ」
「……そうか」
聞き終える前に否定されてしまった。
「いるわけないじゃないですか(私は昔から叔父さんのことが――)」
「うん? 何か言ったか?」
いるわけないってのは聞こえたが、その後がもにょもにょってなんて上手く聞き取れなかった。
「いえ、何も……」
「因みに告白を断った後ってどんな感じだ? ほら、それまで友達だったのに、そんな風に思われていたって知っちゃったわけだろ? 気まずくなったり、疎遠になったりあると思うんだが」
夜乃のことを思い浮かべながら、オレは尋ねた。
姪っ子の意見を参考に、今後夜乃とどう向き合うべきか考えようとした。
「そうですね。私の場合は相手次第です」
「相手次第?」
どういう意味だ?
「良くも悪くも告白され慣れしてしまってるんですよ。ですから、男子からどう思われようと、私が戸惑うことはないんです」
「な、なるほど」
告白され慣れてるって、本当にこれまでどれだけの男から告白されてるんだよっツッコミたいのを我慢して、麗羅の声に耳を澄ました。
「相手に変化が無ければ、それまで通り接しますし、私を避けるようになるのなら、追いかけたりはしません」
そこまでする間柄ではないので――とばっさり切り捨てる。
オレはどうだろうか?
もし夜乃が明日からオレを避けるようになったとして、そんな風に思えるだろうか?
無理だ。そんな簡単に割り切れるはずがない。
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