第3話 お通夜の騒動
兄さんと義姉さんの訃報を聞いてから数日が経った
オレは日暮家が代々利用している寺に来ている。
以前オレの曾祖母さんや曾祖父さんが亡くなった時にも、お世話になった寺だ。
本堂に設置されている金ピカの祭壇には、兄さんと義姉さんの遺影が並べられている。
二人とも笑みを浮かべていて、今でも何かの間違いなのではと思わずにはいられない。
しかし、坊さんに唱えられる読経や焼香や線香の匂い、泣きじゃくる母の姿が、これは現実であることを突きつけてきた。
『兄さん、どうして……』
二人が死んだ理由は聞いた。
兄さんたちは初休みに草津温泉に家族旅行へ行っていたらしい。
その帰りに今流行りのあおってくる車に遭遇して、無理矢理車を止めさせられると、あおってきた相手に詰め寄られ、諌めるために兄さんは車外に出たことで口論。更に義姉さんが止めに入ったところで後続車が二人に突っ込んだらしい。
因みにあおり運転してきた相手は、寸前のところで逃げ果せて無事だとか。
ふざけるな! お前が死ねばよかったのに!
どうして! なんで! 兄さんと義姉さんが!
この事故はニュースにもなっており、ドライブレコーダーは公開され、兄さんの運転に非が無いことは証明されている。
一部ネット上では兄さんを悪く言うようなコメントもあったが、善良な人々から集中砲火を受けて、コメントは削除されていた。
『どうするんだよ。三人も娘を残して』
オレはそっと右隣にいる三人の姪たちに視線を送る。
義姉さんのトレンドマークとも言えるシルバーブロンドを受け継いだ、長女の
顔立ちは最も義姉さんに似ている、ブロンドの次女、
まだ幼く、今後の成長が楽しみなローズブロンドの三女、
三人が三人、疲れた顔をして目元を赤くしている。瞳は涙で滲み、今にも泣き出しそうだ。
辛いのだから、泣けばいいのに――。
一番泣いてるのは母さんだ。
母さんは出来のいい兄を末っ子のオレよりも可愛がっていた。
その兄さんが死んだショックは何よりも辛いことだろう。でも、子供たちより泣き叫ぶのはどうなんだ?
「………………」
それとも子供たちはもう泣き疲れて、涙が枯れてしまったのだろうか?
わからない……オレには何も……この子たちの気持ちが……どれだけ傷ついていることか、安易に想像するのも憚られる。
絶対にオレの想像なんて遥かに凌駕するはずだから。
楽しかったはずの旅行の思い出、続くはずだった当たり前の日常、大人に成長して結婚して二人から祝福されるはずの未来。
幸福に訪れるはずの未来が奪われたのだ。
『大人になったってのに……オレは……』
情けない。この子たちにしてあげられることが何一つ思いつかない自分の無力さが。
「クソが! これで俺の人生お終いだ! 勝手に死んどいて、どうして俺がわりぃんだよ! 被害者は俺だ!」
読経の中に、誰かの叫びが混じって来た。
当然、お通夜に参加しているオレたちは顔を上げ、声のした方向に視線を向けた。
本堂の外には、親族と極親しい人以外が焼香をあげるスペースが設けられていて、声はそちらの方からした。
参列している人の数を見ただけで、どれだけ兄さんに人望があるのか、痛感させられる。
オレが死んだとしても、この10分の1も集まらないだろう。
そんなことよりも――こんな場所で、あんなふざけた発言をする輩なんて、一人しか思いつかない。
顔は知らないが間違いない。兄さんと義姉さんを死に追いやったあおり運転野郎だ。
「テメェ、自分のしでかしたことを理解してねぇのか!」
「そうだ! 誰のせいで明智が――」
外は瞬く間に騒然となった。
兄さんの仕事の関係者か、それとも友人たちか、或いは全く別の繋がりかはわからない。ただ、みんなが加害者の男を取り囲むようにしているのは、見て取れた。
「ふざけるな! 轢いたのは俺じゃねぇだろうが! 捕まえるなら轢いた奴にしろっ!」
確かに実際に兄さんと義姉さんを轢いてしまったのは男ではない。だが、悪いのは誰がどう考えてもあおり運転した奴だ。
以前にも高速道路であおり運転による死亡事故があった。その時は実際に追突した運転手ではなく、あおり運転をした側に責任があると判決が言い渡された。
恐らくこの件も似た結果になるだろう。
今は事情聴取やらで留置所にいるって聞いてたのにどうして? まさか香典のために?
普通、事故の加害者がお通夜に来る時は、遺族側に参列していいか確認するものだ。誰か許可したのだろうか?
確認するようにあたりを見渡すが、誰一人として状況を理解している親族はいない。
それどころか――涙で顔を濡らし、顔を真っ赤にした母さんが、鬼の形相で声がする方へ向かっていく。
慌てた様子で、父さんが立ち上がり後を思う。
まさか――オレも少し遅れて立ち上がった。
読経はまるで何事もないかのように続いている――さすが坊さんだ。修羅場慣れしているのかもしれない。
「ふざけてるのはどっちよ!」
その場にいた誰よりも、大きな金切り声で母さんが叫んだ。
騒然としていたそこは静まり返り、人だかりは母さんの姿を見ると、自然と左右に分かれていった。
そしてたった一人をあぶり出すように、男はそこにいた。
見た目は四十代くらい。スキンヘッドなのか、ハゲなのかはわからない。人相は悪く、いかにも何かやらかしそうな奴だった。
「んだぁ、ババ」
「あんたが、あんたさえいなきゃ明智はっ!」
母さんが今にも男に飛び掛かろうと前のめりになったところで、後ろから父さんが肩を掴んだ。オレも透かさず母さんの前に回り込んで両肩に手を乗せる。
「母さん……そんなことしても兄さんと義姉さんは……」
殴りつけたい気持ちは痛い程わかる。
オレも、きっと父さんも同じ気持ちだ。
「そりゃこっちのセリフだ! テメェのバカなガキがいなきゃ俺はこんな目に遭わずにすんだんだ! どうしてくれんだ! これからの人生台無しだ!」
「…………」
何を言っているんだ、こいつは。
兄さんが運転していた車は高速を走る分には問題のない速度で、追い越し車線ではない左側を走っていた。
この男は追い越し車線に移動せずに、後ろからクラクションやパッシング、車間距離を詰めるなどしてあおりにあおって、その後強引に前に割り込んで車を無理矢理停車させたのだ。
兄さんと男の運転を比べて、問題があるのがどちらかなんて運転のルールを知らない者でもわかることだ。
本当に悪質極まりない!
あまりにも現実が見えていない傍若無人な発言に、背を向けているにもかかわらず、周りの人たちが殺気立ったのがわかった。
「ころ……してやる」
絞り出すように母さんは唸った。
反省の素振りさえ見せない男に、本当腹が立つ。腸が煮えくり返るは、こんな時のための言葉なのだろう。
「…………」
般若のような母さんの背後に、兄さんと義姉さんの三人の娘たちが歩み寄ってくる姿を見えた。
三人とも涙を浮かべ、やはり怒っている。
普通なら顔が真っ赤になるのだろうが、逆に真っ青だ。
「……母さん、それにみんなも。まだ式は終わってない。席に戻って」
オレは祭壇の遺影を見た。
変わらずこっちに笑顔を向ける兄さんと義姉さんに、母さんのこんなところを見せるべきじゃない。
オレの心情を察したように父さんが頷く。
「さぁ、母さん、暦の言う通り戻ろう」
「うぐぅぅぅ、二人は悔しくないの? 悲しくないの? 憎くないの?」
「悔しいさ。悲しいさ。憎いさ……でも、それは二人を見送った後だ。彼の罪は法が裁いてくれる」
父さんが母さんを後ろから抱きしめる。
ここまでされて暴れる母さんではない。元々は物分かりの良い優しい人だ。
だから――こいつをぶっ殺すのはオレの役目だ。
オレは振り返ると、外へと飛び出した。
空中で男をロックオン、距離を測りながら右腕を大きく振りかぶり、思いっきり左頬を殴りつけた。
オレは拳を振り抜いた形で着地して片膝を着いた。男は唐突の衝撃に踏ん張ることができなかったのか、尻餅をついた。
すぐにオレは二発目を叩き込むために、立ち上がり男に馬乗りのなろうとするが――
「待ちなさい!」
傍からサッと割り込んできた制服姿の男に腕を掴まれる。
葬式なのだから、普通は全員喪服だ。例外と言えばお寺の関係者とまだ礼服を持っていない子供たちだ。
しかし、その男は警察の制服を着ていた。
おそらくこの男をここまで連れてきた警察なのだろう。
今までどこにいたのか知らない。男が騒いでいることに気づき、近づいてきたタイミングでオレが殴りかかった。そんな感じかもしれない。
警察? 関係ない。この男は今ここで殺す。
「ざっけんな! こいつは兄さんと義姉さんを! 義姉さんを死に追いやったんだぞ!」
オレの初恋の人。
とっくの昔に叶わない恋になっていたが、それでも今なお奥に深くその存在を刻み込む特別な人だ。
ここまで抑え込んでいた怒りは既に臨界点を突破している。
激しい憤りで頭の中の血管がはち切れそうだ。眩暈だってする。
「こいつが! 義姉さんを! 殺して何が悪い!」
オレは警察の手を振り払い、口から血を流しながら、殴られた頬を押さえている男を指差す。
男は驚いたような、怯えた目でオレを見上げていた。
目には目を、歯には歯を、死には死を――それが人間の世界のルールだろ?
なら、殺しても問題ないよな? ないだろ! ないに決まってる!
「キミまで殺人犯になるつもりかっ。そんなことしても、キミの――」
「黙れ! そんな綺麗ごとで納得しろってか! 兄さんのことも義姉さんのことも知らないような奴が知った口を利くんじゃねぇ!」
オレは感情をコントロールすることができなかった。目の前で邪魔してくるそいつをぶん殴った。
制服姿の警官を――。
誰の目から見ても、一線を越えた瞬間だ。
「なにをやってるんだ! 暦っ!」
怒鳴るように叫んだのは、父さんだった。
オレはチラっと振り返る。母さんも姪っ子たちも驚いた顔をしているが、どうでもいい。すぐに男に顔を向け直した。
何で義姉さんが死んでるのに、お前が息をしてんだ。
待ってろ、すぐにその息の根止めてやる!
「やめるんだ、暦くん!」
「さすがにやり過ぎだっ!」
男に一歩近づいた瞬間に、唖然としていた周りの男の人たちが、左右からオレの腕を掴んできた。更に前後からもラグビーのタックルでもするかのように押さえ付けられる。
暦くんと呼んだ男のことをオレは知らない。昔どこかで会ったのかもしれないが、覚えてない。それとも父さんが名前を呼んだから、名前が知れたから勝手に呼んだだけか……そんなのはどうでもいいか。
「邪魔すんな! あんたらだって憎いはずだ! こいつが! どうして止めるんだよ!」
それとも所詮は他人事なのか?
だから止めようとするのか?
どいつもこいつもふざけやがって!
「退け! 退きやがれ! そいつを殺させろっ!」
オレは押さえてくる奴らを振り払おうと必死に藻掻いた。でも、数人が相手ではままならない。
陸上部の顧問をやっているので、今でも多少は身体を鍛えているが、俄かアスリートのオレではどうしようもない。
「退け! 退けよっ! 退いてくれ……そいつを、そいつを殺させろ……」
絶対に振り解けない。そう身体が理解すると、自然を力が抜けていった。
視界は涙で滲みよく見えなくなった。
◇
「悪かったね。遺族の方に謝りたい。誠意を見せたいと言うから連れてきたんだが、まさかこんなことになるなんて……」
男は警察によって寺の敷地の外へ連れ出された。たぶん、パトカーか何かが外で待機していて、その中に入れてきたのだろう。
オレが殴ってしまった警察の人は、よくよく見ると50を超えてそうなおじさんだった。
殴ってしまった頬は赤く染まった若干腫れているように見える。
「すみません……オレ、警察の人に……これってやっぱり公務執行妨害……とかなんですかね?」
現行犯逮捕だろうか?
二人の敵討ちすらできなかったのに、それはイヤな結末だ。
しかし、オレの懸念とは裏腹に――
「はて? なんのことだい? 私は何かキミに妨害されるようなことをされたのだろうか?」
そう言って、おじさんは人当たりのいい笑みを浮かべた。
それ以上言葉にしてもらう必要はない。
オレが殴ってしまったことは不問にすると言っているのだ。
それが理解できないほど、オレはお子様ではない。
「本当にすみません……ありがとうございます」
頭を深く下げて、謝罪と感謝を伝えた。
「いいよ。キミが悪いことなんて一つもありはしない」
ポンポンと優しく肩を叩かれた。
なんて温かみのある人なんだろう。
「……お通夜は終わってしまっているね。キミはみんなのところに戻りなさい。何も気にせずに、お兄さんとお義姉さんを送ってあげるんだ」
「……はい」
おじさんの言う通り、読経はいつの間にか聞こえなくなっていた。
まるで人払いでもされたかのように、オレたちの周りには誰もいなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます