第9話 ポンコツ?

 転職か……。

 寮と顧問の仕事はとにかく拘束時間が長い。

 基本的に朝の5時から夜の22時、1日中の半分以上、17時間も拘束されることになる。

 その間ずっと働き詰めと言うわけではない。自分の力量次第では自由時間を作ることもできるので、その間に仮眠をとることも許されている。

 適性さえ合えばただ働く分にはなんの問題もない。しかし、子育てを考えれば、拘束時間が長いと言うのはデメリットでしかない。

 風吹さんの言う通り、パートナーを作るべきなのかもしれない。

 しかし、オレは今年で30のおっさん。これまで付き合った経験は皆無で、今更どうやって女性と交際すればいいのかわからない。

 そもそも出会いがない。

 年がら年中女子校にいるのだから、出会うのは当然そこに通う生徒たちだ。


「…………いや、流石にそれはダメだろ」


 ふと頭に浮かんだ考えをオレは頭を振って振り払う。

 だめだ。それはダメだ……生徒たちに手を出すなんて、許されない。

 オレは教師ではなく寮監兼顧問だが、それでも成人男性としてしちゃいけないことだ。


「何がダメなんですか? 今日のメニューはどこかダメなんですか?」


 オレ一人の呟きを、聞き取った東条が手に持っているバインダーに挟んだ今日のメニューを確認した。

 時刻は14時――部活動の時間だ。

 休日の午前中は自主学習の時間で、お昼から各部活動を始める。


「え……ああ、違うメニューじゃなくてだな」

「……今日はずっと難しい顔をしてますね(やっぱり朝琴美ちゃんが言ったこと気にしてるのかな?)」

「難しい顔……してるか?」


 自分ではいつも通りのつもりだったが、表情に現れていたらしい。

 まぁ、難しい問題に直面しているから、そりゃ表情も強張るのかもしれない。


「はい。眉間にシワがよって、しわくちゃです」

「それはイヤだな」


 シワが癖になったらどうしよう。30手前のこの時期からシワなんてみっともない。

 オレは眉間を伸ばすようにモミモミ。


「何か悩み事ですか? 例えば……琴美ちゃんのこととか」

「西野? どうして西野のことでオレが悩むんだ?」


 どこか少し機嫌の悪そうな雰囲気を漂わせながら、オレを見上げる東条を見下ろして、首を傾げた。


「違うんですか?」

「……そりゃあいつには頑張ってほしいが、今のところタイムもちゃんと伸びてるし、特に悩むことはないぞ」

「そうですか(琴美ちゃんは関係ない? ってことは朝のことじゃない?)」

「何ボソボソ言ってるんだ?」

「あ、いえ、お気になさらず」

「そっか……まぁ、悩んでる事があるっちゃあるんだが……」

「そうですか」

「………………」

「………………」


 オレたちの間に無言の時間が流れる。しかし、それは気まずいものではなく、自然な時間の流れだ。

 春のまだ強すぎない日差しを浴びて、なんとも心地いい。


 いい季節になってきたなぁ〜


「えっ、話してくれないんですかっ!」


 考えるのをやめて、和んでいると、東条が素っ頓狂な声を上げた。


「話すって何を」

「悩み事です! 聞いてほしいって振りだと思って待ってたんですよ」

「そうなのか? だが、子供に相談するってのは大人としてどうなんだ?」


 転職するかどうかって悩みを打ち明けたとして、子供に的確なアドバイスができるとは思えない。

 まずは社会に出てもらわないと。


「(ぷくー)……」


 無言で東条の頬が膨らんでいく。

 まるでフグのようだ。

 なんだか、アレだな……うん、可愛いぞ。


「な、なんだその顔は」

「不満な顔です」


 それは見ればわかるが……。

 相談していいのか? 一回り以上も離れた子供相手に――。


「……なら、聞いてくれるか?」


 相談することに悩んで、時間を無駄にするのも馬鹿馬鹿しいので、とりあえずそう問いかけると――


「はい。お伺いしますよ」


――と東条はとてもいい笑顔を浮かべた。

 おっさんの悩みを聞くだけなのに、どうしてそんなに嬉しそうな顔になるんだ?

 内心小首を傾げながら、オレは率直に転職しようかどうか悩んでいることを説明した。


 ◇


「えっ! 暦コーチ、やめちゃうんですかっ!」


 話しを聞いた東条は目を見開いて、オレに詰め寄ってきた。


「待て待て、まだ決めてない。だから悩んでるんだ」


 年頃の女の子に気安く触るのはどうかと思うが、グググっと詰め寄って来られたら不可抗力だ。オレは東条の両肩に手を置いて、手加減しつつも距離を取る。


「でも、悩むってことはやめたいってことじゃないんですか! イヤになっちゃったんですか? 寮監と陸上部の顧問」

「別にイヤになったわけじゃなくてだな」

「(なら琴美ちゃんのせい? いくら照れ隠しだからって暦コーチにきつく当たるから、それがイヤで……でも、それは暦コーチが鈍感すぎるのも悪い気が……)」

「おーい。相談してるのに、なぜお前が悩むんだ?」


 唇に手を当てて考えるポーズになる東条に、オレは話し聞いてくれるんじゃねぇの? と問いかける。


「だって暦コーチがやめたら私――」

「私? 東条がどうかしたか?」

「……いえ、なんでもありません」

「悩みがあるなら聞くぞ?」


 持ちつ持たれつだろ、こういう時は。


「今は暦コーチの話です!」


 そうだったな。


「それで転職ってのはどのくらい本気なんですか?」

「どれくらいか……まぁ、10パーセントくらいか?」

「ぜ、全然する気ないじゃないですかっ」


 確かに10パーセントなんて聞いたら、本気度が伝わらないだろうが、いい条件が見つかればコロッと転がるように転職するかもしれないぞ。


「そうでもない。抱える問題を解決するには、転職する可能性が高い」

「そんな……その抱える問題を解決する方法は転職しかないんですか? 他の手段は」


 私と付き合う?


 そう尋ねてきた風吹さんの顔が脳裏に浮かんだ。

 転職以外の方法――それはオレと一緒に子供たちを世話してくれる女性と付き合うなり、結婚すること。

 正直、転職より現実味のない話だ。


「ないこともないわけじゃないが……」

「あるんですね! それを教えてくださいっ」

「ど、どうしてそんなこと知りたがるんだ」


 また詰め寄って来ようとするので、グッと押し返す。


「だって、やめちゃったら暦コーチとはもう会えないじゃないですか(まだ告白もしてないのに……このままじゃ部活のマネージャーってだけの寮生で記憶の片隅に)」


 相変わらずボソッと呟くところは聞き取れないが、オレなんかと会えなくなることを寂しがってくれるようなので、少し嬉しくなる。

 東条に慕われていると感じていたのは、勘違いではないと改めて認識できた。

 まぁ、だからって何かが起こるわけじゃない。


「そんなことないぞ? 連絡してくれればいつだって――」

「そうやって人付き合いって疎遠になっていくんですよね」


 まだ中学一年生――あと数日に二年生になる子供が、感慨深い様子で呟いた。

 確かにそうかもしれないが、それってもう少し人生経験詰んでから気づくことじゃねぇか?

 一体この子の人生に何があった?


「悩みがあるなら相談に乗るぞ。マジで」

「暦コーチ……今はコーチのお話しです」


 本気で心配してるんだが……オレの話しを優先してくれるらしい。優しい奴だな、本当に。


「結婚……或いは一緒に暮らしてくれる恋人ができれば――」


 って、中学生相手に何を言ってるんだ?


「え? 結婚? 同居? えっ? えっ?」


 ほら見ろ。東条が見たこともないまぬけな面になった。

 目をパチパチさせて、口が半開きだ。


「結婚? 私と暦コーチが? お付き合いもまだなのにいきなりそれはさすがに……」

「いやいや、おい! どうしてオレと東条が結婚する話しになってるんだ? あらぬ方向に飛躍してるぞ」


 もしそうなったら犯罪だ。

 それ以前にお前はまだ結婚できる歳じゃないだろ。

 自分の年齢を思い出せ!


「そ、そうですよね……ビックリしました」

「オレがな。東条はオレに牢屋に入ってほしいのか?」

「そんなことっ……因みにどういう経緯でご結婚とか言い出したんですか? 確か暦コーチ結婚は考えてないって」

「あぁー、それはだな」


 そう言えば教え子たちにはそんなこと言ってたな。「30歳になる前に結婚した方がいいよ!」とか舐めたこと言ってくる奴がいたから「結婚する気なんてねぇ」って。

 それは強がりとかじゃなくて、ただ義姉さんのことが忘れられなくて、誰かのことを好きになれなかった。

 いや、強がりなのか、これは?

 よくわからん。

 オレはどうして転職、結婚などと言い出したのか、その理由を掻い摘んで東条に説明した。


 ◇


「えっ? 私、いつの間に三人のお母さんになったんですか?(まだエッチだってしたことないのに……)」

「おーい、東条、またどこか遠くに飛躍したぞ、帰ってこい」

「……はっ、私いつの間にかお母さんになってました」

「我に返ったようで、まだ返りきれてないかぁー」


 頭を抱えたくなるわ!

 なにこの子、実はポンコツなの?

 オレの中で東条に対する認識がやや更新された。


「……暦コーチが三人のお子さんのお父さん」

「父親代わりな。オレの子じゃなくて兄さんの子たち」

「因みにその子たちのご年齢は?」

「うん? そんなことが気になるのか?」

「教えてください」


 別に隠すようなことじゃないから、構わないが……そんなに凄まないでくれ。


「今年で中学二年生、小学五年と三年だ」

「っ! 私と同い年……私は一体何歳でお母さんになったんですかっ」


 綺麗な目を見開いて、口元を押さえて驚く東条にオレはゴツンと拳を落とした。


「恐ろしいことを言うな。早く正気に戻れ、このポンコツ!」


 同い年なら、そりゃ0歳だろうよ! と心の中でツッコミを加えておく。


「うっ……痛いですよ、暦コーチ」

「昔の電化製品は叩けば直ったんだぞ」

「私、生物なんですけど」

「言い方! せめて生身とか言え」


 もう一度ゴツンと頭を小突く。


「はふぅ……暦コーチ」

「うん? なんだ?」


 ようやく接続が直ったか?

 はぁ、手間をかけさせやがって。


「虐待で訴えて良いですか?」

「やめてくれ!」


 そりゃリアルな脅し文句だった。

 オレはその場で土下座して謝った。


「暦コーチ。まだみんな帰ってこないですよね?」

「ああ……ロードに出したからな」


 オレたちがこうしてのんびり話しているのは、今現在陸上部員が誰もこの場にいないからだ。

 転職するか、結婚するか、悩んでいたので、とりあえずロードと呼んでいる校外を走る長距離マラソンをするように指示を出した。

 いつも2時間はかかる長い道のりだ。

 当然、短距離専門の西野なんて、猛反発していたが、みんなが連れて行ってくれたので静かだ。


「あと……1時間半は暇だな」

「ですよね……なら、その時間、私にくれませんか?」

「どういうことだ?」


 東条の意図することがわからず首を傾げる。


「訴えないので、1時間半、暦コーチの時間をください」

「はい。わかりました」


 理由なんてどうでもいい!

 オレは即承諾した。

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