第6話 寮監の仕事
務めている私立暁海学園の仕事は5時からスタートする。
当然その前に起きて身支度をして、家を出ないといけないので、起きるのは遅くとも4時半になる。
朝ご飯は寮で食べることができるので、家で準備する必要はない。
一応三人が食べられるように冷凍食品やパンの買い置きはある。まだ子供だが、自分たちで準備して食べることはできるだろう。
念のため、三食の食事代とお小遣いをリビングの机に置いて、書置きを添えておく。
『仕事に行ってきます。帰りは22時半頃』
淡泊な内容か?
でも、書置きに凝ってもなぁ。必要ならスマホで連絡も取れるし、問題ないか。
オレは寝ている新しい家族たちが起きないように注意を払いつつ、まだ暗い世界へと出勤していく。
学園は車で20分程度のところにあるので、それほど遠くない。
「おはようございます。風吹さん」
早くも寮の食堂で朝食の準備を始める青みがかった髪の同僚の女性に、オレは挨拶をした。
「おぉ、おはよう日暮さん。その……もういいの? 辛かったらまだ休んでいいんだ
よ。忌引き休暇、まだ取得できるんだから」
いつものように挨拶を返しつつも――
「正直まだ辛いです……でも、それで風吹さんの負担が増えるのは……」
今年に25歳になる風吹さんは、オレより5歳年下だが、寮監の先輩だ。一応寮母と呼ぶ方は変わるが。
歳はオレが上だけど、仕事の先輩なので社会人として敬語を使って接している。
三人の前では気丈に振舞っているが、兄さん――いや、義姉さんの死はオレの心を深く切り裂いたままだ。
「気にしなくていいのに。日暮さんの権利なんだから。普段有給とか取りにくいんだからこういう時に精一杯使っておかないと、ね?」
親元を離れて寮生活する子供たちのお世話をする仕事なので、土日も子供たちは寮にいる。しかも学園は部活に力を入れているので、世間の長期休暇全般と学生の春休み、夏休み、冬休みでも部活動がある。よってほとんど年中無休で寮を回さないといけない。
なので有給とかあまり使うことができない。と言っても休みの日が無いわけではない。土日のどちらかは交代で休むことができる。その場合は負担が一身に抱えることになるが、その辺は経験と慣れで何とでもなってくるものだ。だが、それが何日も続けばさすがに身体がきつくなる。
今回の忌引き休暇だって風吹さんに相当な負担になっていたはずだ。
2日連続で、二人でやる仕事を一人でこなしていたのだから、疲れているに違いない。
「今は春休みで実家に帰ってる子もいて、普段より仕事量少ないから気にしないでいいって言ったのに」
「だとしてもです」
朝食づくり始まって、各部屋のゴミ出し、洗濯物の回収、洗濯、布団干し、寮内の清掃、食材の買い出しとやらなきゃいけないことは多い。多少生徒が減って一つ一つの作業の量が少なくなっていても、やることが減るわけじゃない。寧ろ休日の方作業工程は一つ増える。
平日なら昼食は学園で学食があるが、休日だと学園の食堂は使えないので寮生活の生徒たちは寮で食べることになる。つまり一食多く作らないといけない。
風吹さんの気遣いには素直に感謝するが、やはり何日も休むわけにはいかない。
「やれやれ、それだと私も休み難いんだよね」
「風吹さんは気にせずに休んでくれてかまいませんよ」
うら若き20代だ。友達付き合いもあるだろうに、有給は年間二、三回しか使ってない。
オレもほとんど同じだが、30目前のおっさんと、まだピチピチの二四歳じゃ休みの重みが違う。
「それ、そのまま返すから……まぁ、働くって決めたなら、働こうか」
口よりも手を動かさないと――と風吹さんは止めていた朝食の準備を再開した。
「今日は何でしたっけ?」
「オカズはアジの干物とスクランブルエッグ。他はいつも通り」
つまりご飯と味噌汁にサラダ、後はお好みで納豆か生卵かふりかけ。
見た感じ米は風吹さんが洗っているので、オレはアジの干物を焼いていった方がいいだろう。
朝食の時間まで1時間半。焼き始めるにはまだ早いと思うだろうが、人数分を一度に焼けるわけではなく数回に分ける必要がある。
「了解です。サクッと終わらせましょう」
「うん。頑張っちゃお」
嫉妬するほど尊敬した兄と初恋の義姉さんはもうこの世にはいない。
それでも世界はいつも通り進んでいく。
大好きな人たちの死を嘆くのは、その人たちの関係者でけで、世界はけして泣いてはくれない。
◇
午前6時30分――。
学生の朝食の時間には、少し早いと思うかもしれないが、食堂が開かれる。
食堂自体は7時30分まで開いているので、一時間の間なら自分の好きなタイミングで食べられるシステムだ。
「おはようございます。あ、暦コーチ……もういいんですか?」
最初に来店したお客様は、オレが顧問を務める中等陸上部のマネージャー、東条帆莉だった。
暁海学園のジャージで、寝起きとは思えないパッチリとした瞳と癖のない長い黒髪は、既に手入れされた後なのだろう。
まだ中学2年生だというのに、しっかりした子だ。
東条はオレの顔を見るなり、少し気まずそうな表情を浮かべた。
二人の訃報を電話で聞いた時、魂の抜けたオレを心配していてくれたのは、少なからず覚えている。
「……大人を舐めるな。これくらいのこと慣れてる」
大人になれば葬儀の一つや二つ経験するものだ――でも、とても親しい人を亡くすのは、これが初めての経験だから……ウソだ。オレは見栄を張っている。
マネージャーとして何かとオレを気遣ってくれている東条に、これ以上気遣われるのは大人として沽券に関わる。何しろ相手は一回り以上も年下なのだ。へこたれている姿なんて見せられない。
「そうですか……なら、これからもよろしくお願いしますね」
軽く頭を下げて、東条は料理が並べられているカウンターに向かう。
配膳は自分で取りに行くビュフェスタイル。オカズとサラダの皿を取ってご飯と味噌汁は自分でよそる。
その後も一人、また一人とジャージ姿の生徒たちが増えていき、挨拶をしていく。
「ふあぁぁぁぁぁー」
そんな中、眠たい眼を擦りながら、よく日焼けした褐色の少女が大きなアクビと共に来店だ。
オレの昇給とボーナスのために、多少贔屓している期待の子、西野琴美だ。
ラフな室内着なのか、裾が短くて縦長の形のいいオヘソが姿を見せている。
日焼けしている部分とは違い、普段隠れているお腹周りは、驚くほど色白で肌のギャップに驚いてしまう。
「あぁー……西野、おはよう」
気まずくなってオレは視線を逸らして、とりあえず挨拶する。
「ぅん、コーチおはよぉ」
いつもなら一度は噛み付かれないと挨拶一つしてこない西野だが、今日はやけに素直に挨拶してきた。
見た目通り寝ぼけているのだろう。
朝が弱いことは散々主張されてきたので知っていたが、ここまで気の緩んだ姿を見るのは初めてだ。
西野はオレの脇を通りすぎ、数本歩いた先で立ち止まって首を傾げた。
「……うん? コーチ?」
それから何を疑問に思ったのか、錆びついたロボットのように、ギィギィギィとでも効果音が聞こえそうな動きで振り返ってきた。
「……まぁ、なんだ……年頃なんだし、身なりには気をつけろよ?」
暁海学園は女子校だが、教師の中には男がいて、寮監にもオレのような男がいるわけだ。
完全に女子だけの空間なら、それでもいいが……役得と喜ぶよりも肩身が狭いな。
「なっ! なななななななななっ!」
先程までの眠たげな瞳は何処へやら。
西野は目を見開いて、顔をあわあわさせて、オレを指差した。
こら、人のことを指差すんじゃない――なんて注意できる様子でもない。
「なんで、あんたがいるのっ!」
おうっ……寝起きとは思えない声のボリューム。もしかしたら寮全体に響き渡ったんじゃないか?
他の子に迷惑が……って、みんな笑いを堪えてるな。
「今日からまた出勤だからな。西野にも心配かけたようで――」
「ふざけんなし! 事前に言えっ!」
持ち前の脚力で、西野は食堂から脱兎の如く走り去った。
教師じゃないから、廊下は走るなっと言うつもりはないが、あの勢いで誰かにぶつかったらことだ。
次来たら叱っておこう。
それから10分くらいが経ち、改めて西野が食道に入って来た。
先ほどと違ってちゃんと顔を洗っているのか、顔はシャキッとして、寝ぐせの付いていた小鹿色の髪は、ポンポンの付いた髪ゴムで右側が跳ねるように縛っている。服もみんなと同じようにジャージ姿になっていている。
「こら、西野――」
「なんだしっ」
先ほど走っていったことを注意しようとしたが、その前に睨まれた。
いや、アレはお前がだらしなかっただけで……オレのせいか?
あまりの迫力で、出かかった言葉を引っ込んでしまう。
「あっ、いや……そのだな……」
「バカっ! エロ伯爵」
なんでオレが罵倒されなきゃならんのだ? と疑問に思いつつも、通り過ぎる西野の横顔があまりにも赤くて、突っ込むに突っ込めなかった。
「…………」
年頃の女の子はやっぱり難しい。
オレはそっと天井を見上げて、そう結論付けた。
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