第18話 家族との別れ
王女として王城へ赴くにあたって、エリーゼはギデオンに交換条件を突きつけた。
それは、これまで自分を慈しみ育ててくれたプリムローズの両親に、王家から十分な支援を与えること。
没落した家の復興はもちろん、母の治療費、チェルシーの社交界デビューや結婚に必要な費用、そして両親がこの先何不自由なく暮らせる程度の年金の支給――等々。
エリーゼにしてみればかなり強気の要求だったのだが、ギデオンはそれら全てに、拍子抜けするほどあっさりと頷いた。
「王女殿下の育てのご両親には、王家としても最大限の敬意をはらいたいと考えております」
先んじて彼が早馬で書簡を送ったところ、国王は娘が無事であったことを大層喜び、プリムローズの父に伯爵位を叙爵するつもりでいるらしい。
自分が頼むまでもなく、王家が両親に手厚い謝礼をしようと考えていたことに、エリーゼは心底安堵した。
そうして王都に行く決意を固めたはいいものの、国王に庶子が存在したことは、まだしばらく伏せておくらしい。
ひとつには、王妃の喪が明けていないということ。そして、宮廷に新たな王女を迎える体制が整っていないことが理由だそうだ。
王妃の喪が明けるまで、あと半年。その間、エリーゼはノースフォード公爵預かりの身となり、彼の屋敷で王女として立つに相応しい教育を受けることとなった。
その後、正式にハリエット王女として、国の内外にその存在を発表されるのだそうだ。
「いつかこんな日が来るかもしれないと思っていたけれど……とても寂しいよ」
王都へ出立する日、エリーゼはギデオンに付き添われ、エルドラン男爵邸の玄関先で家族との別れを惜しんでいた。
父は涙を必死で堪えているようだったが、母とチェルシーは真っ赤な目をして、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。
「皆、泣かないで。今生の別れってわけじゃないのよ。ノースフォード公爵だって、身辺が落ち着いたらいつでも会いに来ていいって仰ってたじゃない」
「もちろんです。タウンハウスの修繕も決まったことですし、是非、ご家族で王都へいらしてください。我々は、王女殿下のご家族を歓迎いたします」
「ほら、ね?」
「そうだけど、でも……今までみたいに、気軽に会えるわけじゃないわ」
あえて軽い口調で慰めようと思ったのに、妹のその言葉でエリーゼまで泣きそうになってしまった。
チェルシーの言う通りだ。いくら『いつでも会える』と言ったところで、グレイフィールドと王都ではあまりに距離が開きすぎているし、男爵令嬢と王女とでは求められる振る舞いや責任も違いすぎる。
エリーゼには常に王女として正しい行動が求められるだろうし、周囲には大勢の侍女や女官たちがいて、目を光らせることだろう。
家族が訪ねてきても、これまでのような団欒をすることは二度とできないかもしれないし、姉妹同士冗談を言って笑い合うこともできなくなるかもしれない。
「それでも、あなたたちはわたしの大切な家族よ。素敵な両親と可愛い妹に恵まれて、本当に幸せだった――いいえ、今もとっても幸せよ」
「お姉さま……」
「どんなに離れていても、一緒に過ごした思い出や絆が消えるわけじゃない。家族でなくなるわけじゃない。そうでしょう?」
幼い妹が何か悲しい思いをした時、いつもそうしていたように、エリーゼはチェルシーを抱きしめながら優しく背中を叩いた。
しばらくそうしていると、顔を見合わせた両親がゆっくりと近づいてきて、ふたりを囲うようにそっと抱きしめる。
父の腕は力強く、母の腕は優しかった。
家族のぬくもりを堪能するように、そっと目を閉じる。
「ああ、エリーゼの言う通りだ。たとえ住む場所や立場が変わっても、私たち四人が家族であることに変わりはない」
「どこにいても、どんな時でも、あなたのことを思っているわ。エリーゼ」
嗚咽を零す母と妹、そして肩を小さく震わせる父の様子に、鼻の奥がつんと痛くなり、今にも涙が零れそうになった。
それでも別れをこれ以上悲しいものにはしたくなくて、エリーゼは痛いほど奥歯を噛みしめ、泣くのを堪える。
本当は、宮廷になど行きたくない。
エリーゼ・プリムローズとして、ずっとこの家族の許で過ごしたかった。
父の営む薬草園の手助けをして、母のための薬を作って、チェルシーが婿を取って幸せになる姿を見守って。
そしてどこかのお金持ちと結婚したエリーゼは、実家の近くに住んで、時折、皆でガーデンパーティーを開くのだ。
母の大好きなさくらんぼのパイや、チェルシーの大好きなオレンジのジャム。甘い物が苦手な父のためにはチーズタルトやサンドウィッチを持ち寄って、カードや遊戯盤で遊びながら、皆でいつまでも笑顔で語り合う。
そんな未来を夢見ていた。
けれど、たとえハリエット王女の存在を公にしなかったところで、結局どこからか噂は漏れてしまうだろう。そうすれば己の目的のため、王女を利用しようとする者が大勢現れるに違いない。
実際ギデオンはそれを恐れて、自身の母親や弟にすら、己に課せられた王女捜索の任務を明かすことはなかったそうだ。
自分が側にいるだけで、家族を危険に巻き込んでしまうかもしれない。
そうなるくらいなら、自分のささやかな夢などいくらでも犠牲にして構わない。
エリーゼは、王女としての特権や名誉などになんの興味もない。ただ家族を守るためだけに、王女として名乗り出ることを決めたのだ。
「エリーゼ……元気で過ごすんだよ。お前は季節の変り目に風邪を引きやすいから、決して無理をしないようにね」
長いような短いような抱擁を終えた後、真っ先に口を開いたのは父だった。
「もちろん。もし風邪をひいても、お父さまから習った風邪薬ですぐに治すわ」
明るくそう答えると、エリーゼは相変わらず号泣している母と妹に向き直り、微笑みかける。
「ふたりとも、もう泣かないで。笑顔で送り出してちょうだい」
少しでも涙を止めようと明るく話しかけたのだが、まったくと言っていいほど効果はなかった。それどころか、顔を両手で覆ってますます大泣きする有様である。
これ以上その姿を見ていると自分まで泣いてしまいそうだ。
「あちらに着いたらちゃんとお手紙を出すから、楽しみにしていてね」
早口でそう言ったエリーゼは、そのまま家族に背を向けてギデオンを振り向く。
気を遣ってくれていたのだろう。彼は、少し離れた場所でじっと佇んでいた。
「もうよろしいのですか?」
「ええ、行きましょう」
「それでは。――お手をどうぞ、王女殿下」
差し出された手に、エリーゼはそっと掌を重ねる。
まっすぐ馬車へ向かって歩き、彼の手を借りて乗り込んだ。
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